︎【第5章:触れられない場所】
最初に変わったのは、集合時間だった。
「少し遅れます」
澪からのメッセージが届くことが、増えた。
理由は、書かれない。
ただ、短いスタンプが添えられているだけ。
待ち合わせ場所で待っている間、
俺と紗良は、あまり会話をしなくなっていた。
話せば、
どこまで踏み込んでいいのか分からなくなるから。
ある日、三人で行くはずだった場所が、急に変わった。
「今日は……屋内がいいです」
集合してすぐ、澪がそう言った。
「歩くの、しんどい?」
俺が聞く前に、紗良が聞いた。
「ううん、平気」
でも、澪の声は少し掠れていた。
結局、その日は近くのショッピングモールにした。
エスカレーターで上り、
ベンチを見つけるたびに、澪は腰を下ろした。
「座りすぎじゃない?」
冗談めかして言うと、
澪は少しだけ困ったように笑った。
「最近、イスと仲良しなんです」
その言葉を、
誰も拾わなかった。
検査の日のことを、俺は偶然知った。
待ち合わせの時間を過ぎても澪が来なくて、
連絡を入れようとした時だった。
「今日は病院」
紗良が、ぽつりと言った。
「え?」
「検査。定期的なやつ」
それ以上は、何も説明しなかった。
「……どんな?」
俺がそう聞くと、
紗良は一瞬だけ、迷うような顔をした。
「朝比奈さん」
静かな声だった。
「知らないままでいられるなら、
それが一番楽ですよ」
その言葉が、
胸に冷たく落ちた。
澪は、その日遅れて合流した。
少し青白くて、
いつもより口数が少ない。
「ごめんなさい」
開口一番、それだった。
「検査、長引いちゃって」
「大丈夫か?」
「……終わったから、大丈夫」
終わった、という言い方が引っかかった。
結果じゃなく、行為が。
その日は、ほとんど歩かなかった。
カフェで過ごして、
窓の外を眺めて、
時間が過ぎるのを待つだけ。
それでも、澪は何度も笑った。
その笑顔が、
逆に痛かった。
疲労は、隠しきれなくなっていった。
階段の途中で、立ち止まる。
呼吸が、少し乱れる。
会話の途中で、言葉を探す時間が増える。
「ちょっと休んでいい?」
澪がそう言う回数が、
いつの間にか、当たり前になっていた。
俺は、
「いいよ」としか言えなかった。
他に、言えることがなかった。
決定的だったのは、
駅構内でのことだった。
人の流れが多い時間帯。
澪は人を避けるように歩いていた。
急に、足が止まる。
「……あ」
その声と同時に、
膝が折れた。
床に手をつく前に、
俺と紗良が同時に支えた。
「澪!」
「大丈夫、大丈夫……」
そう言いながら、
立ち上がろうとして、力が入らない。
その瞬間、
周囲の視線が集まった。
澪は、はっとした顔をして、
小さく首を振った。
「見ないで」
誰に向けた言葉か、分からなかった。
駅員が近づいてきて、
「椅子を用意しますか」と言った。
その一言で、
澪の表情が変わった。
「いえ、大丈夫です」
声が、少し強かった。
「本当に、大丈夫なので」
紗良は、何も言わずにうなずいた。
俺は、
その判断が正しいのか分からなかった。
ベンチに座る澪の足は、
微かに震えていた。
俺は、
その震えに触れることが出来なかった。
帰り道。
三人の距離は、
少し広がっていた。
澪は真ん中。
俺と紗良は、左右。
守る、というより、
倒れないように囲んでいる配置。
「ね」
澪が、急に言った。
「もし……」
言いかけて、止まる。
「もし?」
「……なんでもないです」
その「なんでもない」が、
一番、触れられない場所だった。
別れ際、
澪はいつもより早く帰った。
「今日は、ここまでにします」
「送ろうか?」
「大丈夫」
その一言に、
これ以上言えなかった。
背中を見送りながら、
俺は初めて思った。
出来なくなっていくのは、
行動だけじゃない。
言葉も、
未来の話も、
触れていい場所も。
全部、少しずつ減っている。
その夜、
俺はスマホを握ったまま、
何度も画面を見た。
「大丈夫?」
「無理しないで」
「何かあったら言って」
どれも、送らなかった。
どれも、
彼女が一番言われたくない言葉な気がして。
代わりに送ったのは、
短い一文だけだった。
「次、いつ会う?」
返事は、少し遅れて来た。
「近いうちに。
ちゃんと、元気な日に」
その「ちゃんと」が、
やけに重くて。
俺は、
初めて未来を怖いと思った。
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