︎【第2章:旅に出る理由】
来週の約束は、思っていたよりも簡単に守られた。
駅の改札前で、澪(みお)は小さく手を振っていた。
人混みの中にいるはずなのに、彼女の周りだけ時間がゆっくり流れているように見えた。
「こんにちは、朝比奈(あさひな)くん」
「早いな」
「朝、目が覚めたら、もう行きたくて」
そんな言い方をされると、少しだけ胸がくすぐったくなる。
澪は今日はパンツスタイルで、歩きやすそうな靴を履いていた。
それだけで、この人は“遠くへ行く気”なのだと分かった。
改札を抜け、ホームに降りる。
「今日は、どこに行くんだ」
「……内緒です」
「信用されてない?」
「期待してほしいだけです」
電車が来るまでの数分間、澪は落ち着かない様子で時刻表を眺めていた。
「電車、好きなんですか」
「はい。移動してる時間が、一番“生きてる”って感じがして」
何気ない言葉のはずなのに、なぜか引っかかる。
車内に乗り込み、並んで座る。
澪はカバンを膝に置き、しばらく黙っていた。
「……これ、見てください」
やがて、小さなノートを取り出す。
ページを開くと、丁寧な字で書かれたリスト。
・観覧車に乗る
・海を見る
・写真を撮る
・電車で遠くまで行く
・誰かと、ちゃんと約束をする
最後の一行に、視線が止まった。
「これ、俺?」
冗談半分で聞くと、澪は一瞬だけ目を伏せた。
「……半分は」
その答えが、胸の奥に静かに落ちる。
「やりたいこと、たくさんあるんだな」
「たくさんじゃないですよ」
澪は首を振った。
「数えるほどしか、ないです」
その言い方は、あまりに真っ直ぐで、冗談に出来なかった。
電車が走り出す。
景色が、少しずつ都会から遠ざかる。
「期限とか、あるのか」
今度は冗談じゃなかった。
澪は窓に額を寄せたまま、しばらく答えなかった。
「……未来の話をすると、怒られるんです」
「誰に」
「お医者さんに」
胸が、少しだけ強く鳴った。
「それでも、行きたい場所は、減らないんですよね」
澪はそう言って、困ったように笑った。
「だから、行けるうちに」
その言葉の裏を、俺はまだ直視出来なかった。
「今日は、海に行こう」
そう言うと、澪の顔がぱっと明るくなる。
「いいんですか」
「一番行きたそうだった」
「……ばれました?」
その笑顔が、少し眩しかった。
電車を降り、バスに乗り換え、海へ向かう。
潮の匂いが近づくにつれて、澪の言葉数は増えていった。
「写真、撮ってもいいですか」
「いいけど、俺写る?」
「もちろん」
シャッター音。
澪は何度も撮り直して、その度に楽しそうに笑った。
「ちゃんと、残したいんです」
「何を」
「今日を」
その言葉が、胸に刺さる。
防波堤に腰を下ろし、海を眺める。
波の音だけが、ゆっくり流れる。
「朝比奈くん」
「なんだ」
「全部叶えられなくても……」
澪は足先を揺らしながら言った。
「一つでも、一緒に出来たら、それでいいです」
俺は、海を見たまま答えた。
「全部、やる」
即答だった。
「欲張り」
「約束だろ」
澪は一瞬、言葉を失って、
それから、小さくうなずいた。
「……じゃあ、次は」
ノートを閉じて、澪は言う。
「親友も、連れてきてもいいですか」
その名前は、まだ聞かされない。
でも俺は、この瞬間に思った。
この旅は、澪一人のものじゃない。
誰かに託される時間なのだと。
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