第6話

第6章:ショッピングデートは、変装必須で

 土曜日。

 それは本来、平日の過酷な学校生活と受験勉強で擦り減ったSAN値を回復させるための、聖なる安息日である。

 昼まで泥のように眠り、溜まったアニメの録画を消化し、夕方から申し訳程度に単語帳を開く。それが私の正しい休日の過ごし方だった。

 しかし、今日という日は、そのルーティンが完全に崩壊していた。

「……なんで、私がこんなに気合入れてるわけ?」

 自室の姿見の前で、私は一人ごちた。

 ベッドの上には、試着しては脱ぎ捨てた服の山ができている。

 最終的に選んだのは、淡いミントグリーンのブラウスに、膝丈のフレアスカート。そして、普段は履かない少しヒールのあるパンプス。

 いわゆる「清楚系女子大生」を意識したコーディネートだ。

「違う。これはデート服じゃない。あくまで『プロデューサーとしての正装』よ。仕事着みたいなものよ」

 誰に対する言い訳なのか分からない言葉を呟き、私は頬をパンパンと叩いた。

 今日のミッションは重要だ。

 Vtuber『白雪マシロ』の次回アップデートに向けた、新衣装のネタ探し。

 ネットの画像検索だけでは質感が掴めないという如月くんの要望(という名のワガママ)により、実店舗へリサーチに行くことになったのだ。

 場所は、隣町の大型ショッピングモール。

 リア充の巣窟であり、カップルの聖地であり、土日のフードコートは地獄のような人口密度になる場所。

 そんな戦場に、あの『氷の貴公子』と二人で乗り込む。

 自殺行為だ。

 もし学校の知り合いに見つかれば、翌日のホームルームで私は社会的に抹殺されるだろう。

「……でも、まあ。あっちも考えてるでしょう」

 彼は賢い。成績優秀な優等生だ。

 自分が目立つことくらい自覚しているはずだ。完璧な変装をしてくるに違いない。

 私はそう自分に言い聞かせ、カバンを掴んで家を出た。

          ◇

 待ち合わせ場所は、駅前の時計台広場。

 約束の十分前に到着した私は、柱の陰に隠れて周囲を警戒した。

 まだ彼は来ていないようだ。

 スマホを取り出し、時間の確認をする。

 と、その時。

「――お待たせしました、先輩」

 背後から、聞き覚えのある低音が降ってきた。

 ビクッと肩を震わせ、振り返る。

「うわっ!? びっくりし……た……?」

 文句を言いかけた私の口が、ポカンと開いたまま固まった。

 そこに立っていたのは、一人の長身の青年だった。

 黒のスキニーパンツに、シンプルな白のオーバーサイズTシャツ。その上から薄手のチェックシャツを羽織っている。

 ここまではいい。普通の、しかしスタイルの良さが際立つ私服だ。

 問題は、顔だ。

 深く被った黒のキャップ。

 そして、顔の半分を覆うような、太い黒縁の伊達メガネ。

「……如月、くん?」

「はい。どうですか、この変装。これならバレませんよね?」

 彼はメガネのブリッジをくいっと持ち上げ、自信満々に微笑んだ。

「…………」

 私は頭を抱えた。

 バレない?

 バカを言うな。逆だ。逆効果だ。

 普段の彼は「近寄りがたいクールな美少年」だが、今の彼は「お忍びで休日の街に繰り出したハリウッドスター」あるいは「正体を隠している人気アイドル」そのものだった。

 黒縁メガネが、彼の知的な瞳を強調し、キャップから覗く襟足がとてつもなくセクシーに見える。

 隠せば隠すほど、「ただならぬイケメンオーラ」が隙間から漏れ出しているのだ。

「……アンタねぇ。素材が良すぎる食材は、どんなに濃い味付けしても誤魔化せないって知ってる?」

「え? 料理の話ですか?」

「もういいわ。とりあえず、前を歩かないで。私の斜め後ろを歩いて。SPみたいな顔して」

「SP? よくわかりませんが、先輩を守ればいいんですね? 任せてください」

 彼は頼もしく頷き、私の荷物(小さなショルダーバッグだけだが)を持とうと手を伸ばしてきた。

「あ、いい。自分で持つから」

「ダメです。レディの荷物を持つのは、紳士の嗜みだとマシロも言ってます」

「マシロちゃんの中にいるのはアンタでしょうが……」

 結局、押し問答の末、彼が車道側を歩くという妥協点で決着した。

 駅へと向かう道中、すれ違う女性たちが「え、今の見た?」「モデルかな?」と振り返るのを、私は必死に気づかないふりをして歩いた。

 これじゃあ、変装デートというより、公開処刑への行進だ。

          ◇

 電車に揺られること二十分。

 私たちは隣町のショッピングモール『ララスクエア』に到着した。

 吹き抜けの巨大なアトリウム。煌びやかなショーウィンドウ。楽しげに行き交う家族連れやカップルたち。

 その光景に、私は早くも目眩を覚えた。

「うう……空気がキラキラしてる。オタクには酸素が薄い……」

「そうですか? 僕はワクワクします! 見てください先輩、あそこのマネキン、春の新作ですよ!」

 対照的に、如月結人は目を輝かせていた。

 普段は無気力な彼が、可愛い服を前にすると、まるで遊園地に来た子供のようにはしゃぎ出す。

 このギャップに、私はまだ慣れない。

「さ、行きましょう先輩! まずは二階のレディースフロアです!」

「ちょ、待って! 歩くの早い!」

 彼は私の手首を(自然に!)掴み、エスカレーターへと急ぐ。

 その掌の熱さと、強引なリードに、私の心臓が不覚にも跳ねた。

 悔しい。

 中身は「フリフリの服が見たい」という乙女な欲望なのに、やっていることは完全に「彼女をリードする彼氏」なのが悔しい。

 二階に上がると、そこは乙女の園だった。

 パステルカラー、花柄、レース、リボン。

 甘い色彩の洪水に、私は「うっ」と呻いたが、隣の如月くんは「ほう……」と感嘆の声を漏らしている。

「今年のトレンドは、シースルー素材とレイヤードなんですね。マシロの3Dモデルに実装する場合、テクスチャの透過処理が難しそうですが、揺れ物は映えますね」

 彼の目が、完全にクリエイターの目になっている。

 伊達メガネの奥の瞳が、鋭く商品をスキャンしている。

「ねえ、如月くん。男一人でレディース服を見てると怪しまれるから、私が選んでるフリをしてね」

「はい、承知しました。じゃあ、これとかどうですか?」

 彼が手に取ったのは、オフショルダーの白いニットワンピース。

 あざとい。とてつもなくあざといデザインだ。

 これをマシロちゃんが着て、萌え袖で「寒くない?」とか言った日には、スパチャの雨が降るだろう。

「うん、いいと思う。マシロちゃんのイメージカラーだし」

「ですよね! あと、この質感! 先輩、触ってみてください」

 彼がワンピースの袖を私に差し出す。

 私が手を伸ばすと、布越しに彼の手と指が触れた。

「っ!」

「あ、すみません。……でも、すごくふわふわでしょう?」

 彼は気にした様子もなく、愛おしそうにニットを撫でている。

 その指先が、細くて長くて綺麗で、なんだかいやらしい。

 ただ服の素材を確認しているだけなのに、どうしてこの男がやると、こうも背徳的な空気が生まれるのだろう。

「……ねえ、ちょっと試着室借りていいですか?」

「は?」

 私は耳を疑った。

 今、こいつ、なんて言った?

「試着室。……鏡の前で合わせてみたいんです。サイズ感とか、顔映りとか」

「バカなの!? ここはレディース売り場よ! 身長180近い男がワンピース持って試着室に入ったら事案発生よ!」

「でも、着てみないと……」

「着るな! 当てるだけにしなさい、当てるだけに!」

 私は慌てて周囲を見渡した。

 幸い、店員さんは接客中だ。

 私は彼を鏡の前へと引っ張っていった。

「ほら、ここで合わせるだけ。いい?」

「はい……」

 彼は少し不満げに、ワンピースを自分の体に当てた。

 鏡の中に映るのは、長身のイケメンと、その胸元に当てがわれた可憐なワンピース。

 シュールだ。

 あまりにもシュールな光景だ。

 だが、恐ろしいことに――

「……どうですか、先輩?」

 彼が少し首を傾げ、上目遣いで私を鏡越しに見つめる。

 その表情は、計算された「マシロ角度」。

(……似合ってる、だと……?)

 私の脳がバグを起こした。

 本来なら「女装趣味の変な男」に見えるはずの構図だ。

 しかし、彼の顔面偏差値が高すぎるせいで、そして彼自身が纏う空気が中性的であるせいで、不思議と「美しい」と感じてしまう。

 もはや、性別という概念が仕事をしていない。

「うん……悔しいけど、似合ってるわ。マシロちゃんの新衣装、それで決定でいいんじゃない?」

「本当ですか! よかったぁ」

 彼がパァッと笑顔を咲かせた、その時だった。

「あら、とってもお似合いですよー!」

 背後から、明るい声がかかった。

 店員さんだ。

 若くてお洒落な女性店員が、ニコニコしながら私たちに近づいてくる。

「彼氏さん、優しいですねぇ。彼女さんの服、一緒に選んであげてるんですか?」

「えっ」

「あっ」

 私と如月くんの声が重なった。

 彼氏。彼女。

 そうか。端から見ればそう見えるのか。

 私が選んでいる服を、彼が代わりに持って合わせてくれている――そういう構図に見えているのか。

 違う。事実は真逆だ。

 彼が自分のために選んで、私が付き添っているのだ。

 しかし、そんな真実を口にできるはずがない。

 

「あ、あの、この人、すごくセンスが良くて! 私なんかより全然詳しくて!」

 私は必死に弁解した。

 店員さんは「まあ素敵!」とさらに目を細める。

「羨ましいですぅ。こんなイケメンで、しかもお洋服選びに付き合ってくれるなんて。自慢の彼氏さんですね」

 イケメン。

 そう、店員さんの目にも、変装した彼は隠しきれないイケメンとして映っているのだ。

 そして「自慢の彼氏」というワードが、私の心臓を抉る。

 違う。彼は私の彼氏じゃない。

 推しだ。後輩だ。共犯者だ。

 でも、「彼氏」と間違われることが、こんなにもくすぐったくて、同時に苦しいなんて。

 私はチラリと如月くんを見た。

 彼は伊達メガネの奥で目を瞬かせ、何か言いたげに口を開きかけている。

 まずい。

 彼のことだ。「いえ、これは僕が着るんです」とか言い出しかねない。

 私は反射的に叫んだ。

「ち、違います! 弟です!!」

「……へ?」

 店員さんの笑顔が固まった。

 如月くんの表情も、ピタリと止まった。

「お、弟なんです! 年子の! 今日は母の日のプレゼントを選びに来てて、姉の私がサイズ係で……そう、だからカップルじゃないんです!」

 苦しい。苦しすぎる言い訳だ。

 身長差20センチ以上の弟。

 顔の系統も全く違う弟。

 でも、それしか思いつかなかった。

「あ、あー……なるほど、弟さんでしたか! 失礼しましたー! いやー、あまりにも美男美女のカップルに見えたので、つい!」

 店員さんはプロの接客スマイルで取り繕ってくれたが、明らかに「無理があるだろ」という顔をしていた。

 私は逃げるように、「じゃ、じゃあこれ買います!」とワンピースをレジに持っていった。

          ◇

 買い物を終え、私たちはモールの屋上にあるベンチで休憩していた。

 秋風が少し肌寒い。

 私の手にはタピオカミルクティー。彼の手には、戦利品の入ったショッパー。

 さっきの店での出来事以来、如月結人は無口だった。

 怒っているのだろうか。

 無理な嘘をついたから。

「……ごめんね、如月くん」

 私は恐る恐る切り出した。

「変な嘘ついちゃって。弟だなんて、無理があったよね」

「…………」

 彼はストローを咥えたまま、遠くの空を見つめている。

 そして、ポツリと言った。

「……嫌でした」

「え?」

「弟、っていうのが」

 彼は伊達メガネを外し、不機嫌そうに唇を尖らせた。

 その表情は、いつものクールな彼でも、演技したマシロちゃんでもなく、ただの拗ねた子供のようだった。

「確かに僕は年下ですけど。先輩より一つ下ですけど。……でも、弟扱いは心外です」

「そ、そう? でも、カップルって勘違いされたままよりはマシじゃ……」

「マシじゃありません」

 彼は私の言葉を遮り、強い視線を向けてきた。

 その漆黒の瞳に、私の顔が映る。

「僕は、先輩の弟になりたいわけじゃありませんから」

「……じゃあ、なんなのよ」

 私が聞くと、彼は一瞬言い淀み、そして顔を背けた。

「……パートナー、です。マシロの」

「あ、うん。そうね。わかってるわよ」

 私は胸を撫で下ろした。

 なんだ、仕事上のパートナーとして対等に見られたかったのか。

 弟扱いされると、一人前として認められていない気がして嫌だったのだろう。

 男の子にはそういうプライドがあるらしい。

「ごめんごめん。訂正するわ。アンタは私の優秀なパートナーよ。弟じゃない」

「……はい。そう思っててください、今は」

「今は?」

 彼が最後に呟いた言葉の意味を、私は深く考えなかった。

 ただ、彼が機嫌を直してくれたことに安堵し、ミルクティーを吸った。

 しかし、私は気づいていなかった。

 横に座る彼が、自分の右手をじっと見つめていることに。

 さっき、ワンピース越しに私と触れ合った、その指先を。

 彼自身もまだ名前の付けられない、独占欲にも似た熱い感情が、その胸の中で燻り始めていることに。

「……先輩」

「ん?」

「次のお店、行きましょうか。今度は、先輩の服を選びたいです」

「えっ、私はいいよ。金欠だし」

「僕が買います。……僕の隣に並んでも、弟に見えないような服を」

 彼は立ち上がり、私の手を取った。

 その握る力が、来る時よりも少しだけ強くなっていたことを、私は微かな痛みと共に記憶した。

 ショッピングデートは、まだ終わらない。

 変装したイケメンと、オタク女子。

 ちぐはぐな二人の距離は、この街の雑踏の中で、少しずつ、しかし確実に縮まっていた。

(第6章 完)

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2026年1月12日 20:00
2026年1月13日 20:00
2026年1月14日 20:00

『推しがイケメンの年下バ美肉 Vtuberだった件について!?』 @yuukiakiya

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