第3話

第3章:イケメンの悩みは「自分の顔が邪魔」

 ふわり、と甘い香りが鼻孔をくすぐった。

 意識の底から浮上する感覚。

 頬に触れる柔らかな感触。

 どこか遠くで、小鳥のさえずりと、優雅なジャズの旋律が聞こえる。

(あぁ……ここは天国か)

 私はぼんやりとした思考でそう結論づけた。

 そうだ。私は確か、推しに会いにカフェに行って、そこであまりの尊さと情報の奔流に耐えきれずに爆発四散したんだった。

 ということは、ここは死後の世界。

 オタク、殉職。死因:萌え死に。

 悪くない人生の幕引きだ。お経の代わりにマシロちゃんのアーカイブを流してほしい。

『――輩……相田、先輩……っ!』

 天界にしては、随分と切羽詰まった声が聞こえる。

 しかもその声は、私がこの世で一番愛している、白雪マシロちゃんの声だ。

 神様は粋な計らいをしてくれる。死後のガイド役に推しを派遣してくれるなんて。

 私は重い瞼をゆっくりと持ち上げた。

 視界がぼやけている。

 白い天井。お洒落な照明。

 そして、私の顔を至近距離で覗き込んでいる、絶世の美少女――

 ではなく。

「……あ」

 そこにいたのは、彫刻のように整った顔立ちをした、黒髪の男子高校生だった。

 切れ長の瞳。通った鼻筋。

 憂いを帯びた表情は、ルーブル美術館に展示されていても違和感がない。

 学園の女子が黄色い悲鳴を上げる『氷の貴公子』こと、如月結人。

 現実(ヘル)だ。

 記憶が急速に巻き戻る。

 そうだ。天国じゃない。ここは駅前のカフェ『ブラン』のボックス席だ。

 そして私は今、長椅子に横たえられ、彼のジャケットを枕代わりに敷かれている。

「気がつきましたか……!?」

 彼が安堵の息を吐く。

 その口元にはスマホがあてがわれており、そこから再生されるのは、私の脳髄を溶かす愛らしい少女の声。

『よかったぁ……! 急に倒れちゃうから、救急車呼ぼうか迷って……! ご気分、どうですか?』

 視覚情報:クール系イケメン。

 聴覚情報:妹系美少女。

 脳の処理が再びエラーを吐きそうになるのを、私は必死に理性の杭を打ち込んで食い止めた。

 気絶している場合じゃない。

 私はむくりと上体を起こした。頭が少しクラクラするが、それ以上に混乱で胸がバクバクしている。

「……状況整理、させて」

 私は渇いた喉でそう告げた。

 如月結人――いや、目の前の彼は、シュンと肩を落とし、大人しく対面の席に座り直した。

 その仕草がいちいち絵になるのが腹立たしい。

 脚が長い。座高が高い。テーブルの下で足を持て余しているのがわかる。

「単刀直入に聞くわ」

 私は彼を睨みつけた。

 彼はビクッと震え、まるで叱られた大型犬のように視線を泳がせた。

「アンタが、白雪マシロなの?」

『……はい』

 スマホ越しの返答。

 まだ信じられない。いや、信じたくない。

 私のマシロちゃんは、身長148センチ、体重リンゴ3個分、趣味はカワイイお洋服集めとパンケーキ巡りだ。

 目の前にいるのは、身長178センチ(推定)、体重コンクリートブロック50個分、趣味は「他者を見下すこと」に見える男だ。

「証明して」

『え?』

「今ここで、配信の時の挨拶をやってみて。……ボイチェンなしで」

 私は鬼の形相で要求した。

 彼は「えっ、ここで……?」と顔を赤くし、周囲を気にするようにキョロキョロした。

 幸い、このボックス席は観葉植物で隠れており、他のお客さんからは死角になっている。

「やって」

「…………」

 彼は観念したように息を吐いた。

 そして、コホンと一つ咳払いをすると、スッと表情を変えた。

 冷徹な無表情から、ふわりと柔らかい、慈愛に満ちた表情へ。

 ……悔しいが、その笑顔が破壊的に美しい。

「――こんマシロー! キミの瞳に降り積もる雪、白雪マシロだよっ! ……これで、信じてくれますか?」

 低い。

 落ち着いた、磁気を含んだようなバリトンボイス。

 いわゆる「イケボ」だ。

 だが、その抑揚、間の取り方、語尾の跳ね方。

 それは紛れもなく、私が毎晩聴いているマシロちゃんの「それ」だった。

 確定。

 

 私は天を仰いだ。

 カフェの天井の木目が、涙で滲んで見える。

「……なんてこった」

 推しの中身が男だった。

 その事実自体は、まあ、ネットの海にはよくある話だ。昨今は「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」なんて言葉も市民権を得ている。

 だが、よりによって。

 私が一番苦手とする、「人生イージーモードのイケメン」だなんて。

 私は深い溜息をつき、冷めかけたコーヒーを一口飲んだ。

 そして、改めて彼を見た。

 彼は不安げに、上目遣いで私の反応を窺っている。

「如月くん」

『は、はい』

「なんでボイチェン戻したの」

『あ、す、すみません。地声だと、先輩が怖がるかと思って……』

 彼は慌ててスマホを口元から離した。

「……一つ、聞かせて」

 私は努めて冷静な声を出した。

 これは、糾弾ではない。純粋な疑問だ。

「アンタほどの容姿があれば、Vtuberなんてやらなくても、現実でちやほやされるでしょ? モデルでも俳優でも、なんだってできる。なんでわざわざ、女のガワを被って、声を加工してまで『白雪マシロ』をやってるの?」

 そう。それが解せない。

 持たざる者が、理想の自分を演じるためにバーチャルへ行くのはわかる。

 だが彼は「持っている側」だ。

 現実世界(リアル)での成功が約束された人間が、なぜ虚構(バーチャル)に逃げ込む必要がある?

 もしかして、イケメンの道楽か?

 「俺、実はネカマやってるんだけど、オタクたちが必死で貢いでくるのウケるw」と笑うための余興なのか?

 もしそうなら。

 私はこの男を許さない。社会的に抹殺してやる。

 私の冷ややかな視線を受け、如月結人は俯いた。

 長い沈黙が流れる。

 やがて、彼は膝の上で拳を握りしめ、絞り出すような声で言った。

「……僕のことが、気持ち悪いからですか」

「は?」

 予想外の言葉に、私は眉を顰めた。

「どういう意味?」

「そのままの意味です」

 彼は顔を上げないまま、自嘲気味に笑った。

「僕、昔から可愛いものが好きなんです。フリルのついた服とか、パステルカラーの小物とか、甘いお菓子とか。……男の子が好きな、戦隊モノとかロボットとかには興味がなくて、ずっと魔法少女になりたかった」

 淡々とした語り口。

 けれど、その言葉には、長年澱のように溜まった重みがあった。

「でも、成長するにつれて、僕の体は勝手に大きくなって、声も低くなって……。中身はずっと『可愛い』が好きなままなのに、外見だけがどんどん『男』になっていく」

 彼は自分の顔に触れた。

 その整った顔立ちを、まるで呪いのように忌々しげに指でなぞる。

「中学の時、勇気を出して、好きなピンク色のポーチを持って学校に行ったんです。そうしたら、クラスの女子に言われました。『如月くんがそれ持ってるの、なんか違和感すごくない?』って」

「……違和感?」

「はい。別の人はもっと直接的でした。『顔が良いのに、趣味がキモい』『勿体無い』って。……男友達からは『お前、狙ってんの?』って茶化されました」

 如月結人は、苦しそうに胸元を掴んだ。

「僕はただ、好きなものを好きと言いたかっただけなのに。この顔のせいで、この図体のせいで、僕が可愛いものを手に取ると、それは『異物』になるんです。周囲が僕に求めているのは、『クールで男らしい如月くん』であって、フリフリの服を着たい僕じゃない」

 あぁ、わかる気がする。

 彼のような完璧なヴィジュアルには、世間が勝手に押し付けた「正解」があるのだ。

 王子様は、白馬に乗っていなければならない。

 王子様が「実はぬいぐるみが好きで、夜な夜な抱きしめて寝てます」なんて言おうものなら、世間は勝手に幻滅し、石を投げる。

「だから、諦めました。現実で『本当の僕』を出すのは」

 彼の声が震え始めた。

「でも、Vtuberを知って……マシロに出会って。画面の中なら、僕はこの忌々しい体を捨てて、なりたかった『可愛い女の子』になれる。誰も僕の顔を見ない。僕の声と、仕草と、魂だけを見て『可愛い』と言ってくれる」

 彼はゆっくりと顔を上げた。

 その漆黒の瞳には、涙が溜まっていた。

「相田先輩。あなたのDM、本当に嬉しかったんです。『あなたの存在が光だ』って言ってくれて。……現実の僕は、ただのデカくて可愛くない、出来損ないの男です。でも、マシロとして生きている時だけは、僕、息ができるんです」

 一筋の雫が、彼の頬を伝い落ちる。

 

「……でも、やっぱり、幻滅しましたよね? 中身がこんな、ゴツい男で。騙していて、ごめんなさい。もう二度と、先輩の前には現れませ――」

「バッカじゃないの!!!」

 私は、テーブルをバンッ! と両手で叩いた。

 店内の客が一斉にこちらを見るが、知ったことか。

 如月結人が、目を丸くして固まっている。

 涙が止まり、呆然としている。

「え、あ、あの……?」

「アンタさぁ、自意識過剰もいい加減にしなさいよ!」

 私は身を乗り出し、彼の顔を指差した。

「『顔が良いのにキモい』? 『違和感』? はっ、笑わせないで。それはね、アンタがキモいんじゃないの。アンタの顔面偏差値が高すぎて、周りの人間の脳みそがバグを起こしただけよ!」

「え……?」

「いい!? 想像してごらんなさいよ! 国宝級の彫刻が、いきなりサンリオショップで買い物してたらどう思う!? 『えっ、芸術作品がなんでここに!?』ってビビるでしょ! それは恐怖じゃないの、畏怖よ! アンタの美しさと可愛さのギャップに、凡人たちの処理能力が追いつかなかっただけ!」

 私は一息にまくし立てた。

 彼はポカンと口を開けている。

「それに、『出来損ない』なんて二度と言うな! アンタが積み上げてきた『白雪マシロ』はね、数千時間、数万回の試行錯誤の上に成り立ってる結晶なのよ! 声のトーン、喋るスピード、細かな目線の動き……どれほどの努力があれば、あそこまで自然に『女の子』になれると思ってるの!?」

 私は自分の胸を拳で叩いた。

「私はオタクよ。伊達に何年も画面に張り付いてないわ。マシロちゃんの可愛さが、ただのガワだけの偽物なら、とっくに見抜いてた。……アンタの魂はね、誰がなんと言おうと、世界一キュートな乙女なのよ!!」

 ゼェゼェと息切れする私。

 静寂が戻る。

 如月結人は、瞬きも忘れて私を見つめていた。

 その頬は、涙で濡れたままだ。

 でも、先ほどまでの「諦め」の色は消えている。

「……僕の、魂は……乙女……」

「そうよ! 文句ある!?」

「いえ……ありません。……嬉しい、です」

 彼が、ふにゃりと笑った。

 それは、作り笑いでも、マシロとしての演技でもない。

 年相応の、男の子の素顔。

 でも、その笑顔は、どんなに可愛らしい女の子よりも、守ってあげたくなるほどに儚げで、愛おしかった。

(……やばい)

 私の心臓が、今までとは違うリズムで跳ねた。

 これは「推しへの尊さ」ではない。

 もっと生々しい、異性に対するときめき――いや、違う。認めてたまるか。

 私は咳払いをして、乱れた呼吸を整えた。

 そして、努めて偉そうな態度で、彼に告げた。

「わかったわ。如月結人」

「はい」

「アンタの悩みは理解した。現実が生きづらいなら、私がアンタの『カワイイ』を守ってあげる」

 私は右手を差し出した。

「私は相田愛花。白雪マシロのトップオタクにして、今日からアンタの共犯者よ」

「共犯者……?」

「そう。アンタが『マシロ』として輝き続けるために、私が全力でサポートする。メンタルケアでも、配信のネタ出しでも、炎上対策でも、なんだってやってやるわ」

 これは、契約だ。

 推しを推し続けるための、そして、この不器用で愛すべきイケメンを、世間の偏見から守り抜くための。

「……騎士(ナイト)気取りですか。先輩は」

 彼はクスリと笑った。

 そして、恐る恐る、私の手に自分の手を重ねた。

 彼の手は、想像よりもずっと大きく、ゴツゴツしていて、熱かった。

 男の人の手だ。

 

「お願いします、相田先輩。……僕を、世界一可愛い女の子にしてください」

 その瞬間、彼の手から伝わる熱が、私の全身を駆け巡った。

 

 ……あぁ、ダメだ。

 前言撤回。

 このイケメン、全然キモくない。

 むしろ、中身の健気さと外見の強さのギャップで、オタクの性癖を的確に串刺しにしてきやがる。

 私は、自分が開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったことを、この時の熱さで自覚したのだった。

(第3章 完)

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