第4話 ニーマンスラント

◇◇◇



 帝国歴1917年02月14日同日 09時30分

 最前線 第四セクター突出部戦闘塹壕~ニーマンスラント



 ブランディス少尉の背に乗って入り込んだ戦闘塹壕には、異様な緊張感が満ちていた。

 二個の騎士挺身小隊が守るエリア間に作られたスロープからは、左右の部隊が見える。全ての兵士が射撃台の梯子に足をかけて、凄まじい砲撃を受ける敵塹壕を睨んでいた。

 銃口がちょっと上を向いているのが新兵で、水平に構えているのが古参。分かりやすい。


「ごきげんよう。ブランディス少尉」

「ツィツェヴィッツ少尉。調子は」

「絶好調ですよ」


 お隣さんの小隊長ヒルデガルド・フォン・ツィツェヴィッツ少尉たちが横に並んだ。

 薄いグリーンの髪をお下げに結い、丸眼鏡をかけた大人しそうな女性のケンタウロスだ。前世風に表現するなら、図書委員っぽいとでも言おうか。

 お隣の魔法兵と互いに敬礼を交わす。


「またそれで行くのか?」


 ブランディス少尉が呆れた声で言った。ツィツェヴィッツ少尉は照れたようにふふっと笑う。


「コレでないと、騎兵とは言えません」


 そう言って掲げたのは、四メートルもある長大なハルバードだった。無骨で、物理的な破壊力そのものを体現したような、鈍くギラつく刃だ。原始的な殺意を放っている。

 大人しそうにニコニコと笑っているくせに、とんでもない。


「私にも、もう少しばかり勇気があればそれを持っていた。羨ましいよ」

「いえ。わたくしにも少しばかりの合理性があれば、そちらの軽機関銃を持っていました。羨ましいことです」


 二人のケンタウロスが交わす言葉には、寂しさが滲んでいた。

 会話が止まる。遠くで連続的に鳴り響いていた爆音が、同時に静まりかえった。

 ブランディス少尉が息を吸い込む。


「行くぞッ!!」


 怒号一発、ぐんと慣性に背中を引っ張られる。スロープを駆け上がる。視界が急に開けていく。

 煙たなびく無人の平原、ニーマンスラントが姿を現した。幅、数キロ。奥行き、わずか五〇メートル。


 陣地から怒鳴り声が溢れ出した。同時に兵たちが這い出す。

 突撃開始だ。


 世界が激しく上下に揺れる。背骨を緩く曲げて衝撃を殺した。

 スパイク付きの蹄鉄が、緩みきった湿地を踏み砕く。弾け飛んだ泥が僕を襲う。風が髪を掻き上げた。

 あっという間に仲間の歩兵たちは後方へ。正面に待ち構えるのは、除去しきれなかった有刺鉄線と、砲撃が抉った窪み。そして、緩慢に持ち上げられた幾本もの銃口だ。早い、もうダグアウトから出てきやがった。


 両足でしっかり鞍を挟んでから、少尉の鎧に触れる。


『凝塊』


 舌を噛まないよう、もごもごと唱えた。鎧の全てが灰色に染まる。

 それと同時に、僕の下半身から全ての感覚が消え失せた。膝で振動を受け止められなくなり、激しく体が揺れる。


「おおおおおおおおおおおッ!」


 少尉が叫び、軽機関銃が火を噴いた。空薬莢が後ろに飛んでいく。

 石を割るような、硬くて強烈な音が断続的に響いた。少尉の鎧に銃弾が当たる音だ。耐えろ、僕の魔法に、意味よ在れ!


 オルカンフォイヤーが効いている。反撃は鈍い!


 ふわりと強烈な浮遊感。少尉の体が高らかに空を舞った。大きな跳躍は、突撃成功の合図。魔法が銃弾に耐えきった合図だ。歯を食いしばり、両手で鞍につけられた突起を握り締め、着地の衝撃を耐えきった。


 敵の戦闘塹壕を飛び越えた少尉が、足下で狼狽える自由連邦兵に容赦無い連射を浴びせる。青灰色の敵軍服に赤い点がボツボツと生まれた。ハンスに似た中年兵士が、目を見開いて倒れる。


 僕も柄付き手榴弾をポーチから抜き、キャップを外して紐を引くと、塹壕内目掛けて放り込んだ。轟音と同時に土煙が噴き上がる。

 生まれた束の間の隙。足を止めた少尉から軽機関銃を受け取り、弾薬ベルトを交換した。


 その間に、ツィツェヴィッツ少尉が追いついてくる。彼女は塹壕の縁を走りながら、容赦無くハルバードで掬い上げるように敵兵を殴り飛ばした。血煙が、腕が、頭が空を舞う。

 うちのブランディス少尉も、塹壕を沿うように走りながら、機銃掃射を叩き込んだ。


 圧倒的。まさに圧倒的だ。

 ケンタウロスによる突撃は、塹壕線まで到達した瞬間に、覆しようのない破壊を振りまく。

 ろくな抵抗も出来ないまま積み上がる死体の道を目掛けて、追いついた歩兵たちが飛び込んだ。



 塹壕の上から、中の地獄を見下ろす。僕も鞍に括っていたライフルを取り出し、ぴくりとでも動いた敵兵を撃った。

 窪みからフラフラと自由連邦兵が這い出してくる。若い兵士だ。怪我をしているのか、血が滲む右腕を下ろし、左腕を挙げて叫ぶ。


『グラース!』


 素早く銃口を向けていたグランディス少尉が、軽機関銃を下ろした。


「投降か」

「グラナーテ!!」


 僕は少尉の言葉を掻き消すように全力で叫び、その兵士目掛けて発砲する。同時に、少尉が素早く飛び退いた。三秒の沈黙後、敵兵がいた場所が吹き飛ぶ。

 凄まじい血と脂の臭いだった。まぶたも唇もぬめっている。


 あいつ、手榴弾を隠し持って投降するフリしやがった。

 前に同じやり方で同期を殺されていなかったら、気づけなかっただろう。嫌な学びだ。


 そこら中から手榴弾の音。それと、銃剣やフェルトシュパーテン――短いシャベルで殺し合う罵声が響く。

 ひときわ大きな声が聞こえた。ハンスだ。


「見つけた、見つけたぞ!」


 ダグアウトから身を乗り出したハンスが誇らしげに、ウサギの耳のように二股に分かれた双眼鏡を掲げている。


「よくやった、ハンス! 地図や通信機はあるか!?」

「ありました! 分度器と鉛筆持った兵士も!」

「電話線は何本ある?」

「八本です!」


 ブランディス少尉は深々と頷いた。


「確定だ、完膚なきまでに破壊しろ」

「はっ!」


 ハンスはダグアウトに手榴弾を放り込むと、腰からニッパーを出した。あれで電話線を切っていくのだろう。


「破壊工作を終えたら下がるぞ! この塹壕は維持出来ん! 手が空いた奴は負傷者の回収を始めろ!」


 これで任務は完了だ。敵の即時反撃が行われる前に戻れるかな。

 すっかり硬化した両足を無意識のうちに擦った。



 纏まって素早く撤収。自陣の塹壕のスロープを降りる。体感だけど、歩兵の数は突撃前より三割ほど減っていた。

 ケンタウロスによる高速突撃が成功してコレだ。歩兵だけならば、突撃が成功しても六割くらい死んでいそう。


 前世で軍は三割死んだら壊滅判定とか聞いたことがある。そんなことはない。ゼロになったら足すだけなんだから。


 完全にブランディス少尉の姿が塹壕に収まったのを確認してから、ようやく魔法を解除した。鎧の色が戻るのと同時に、僕の両足に焼かれたような激痛が走る。

 声を漏らしてはいけない。奥歯をきつく食いしばって悲鳴を潰す。濁った息が喉を鳴らした。

 反射で背筋が反り、膝下がびくびくと大きく痙攣する。


 驚かせたか、少尉の肩が小さく跳ねた。


 血が止まっていたのかな。原理はよく分からないけれど、長時間の魔法使用後は、固まっていた場所に凄まじい痛みが走る。まぁ、慣れた。覚悟している痛みは、意外と耐えられる。


「あ、バート君?」

「どうしましたか? お怪我はありませんか?」

「い、いや、私は大丈夫だ」


 少尉の問いかけはどこか不安そうだった。無事に帰れたのに、今さら何が不安なんだろうか。


「それは何よりです。いやぁ、凄かったですね。やっぱり開けた場所での戦いはケンタウロスこそが覇者ですよ。自由連邦兵、完全に反応が遅れてました」

「そ、そうだな」

「風に流れる後ろ髪も良い匂いでしたし」

「おい」


 めっちゃ良い匂いだった。なんでクソ汚い塹壕で過ごしてその匂いになるのか、理解を超えている。これが神威というやつか。ハンスなんて、ネズミの糞みたいな臭いがするのに。

 突撃は不安とストレスが凄まじいけれど、終わってしまえば良い思い出、でもないけれど。それなりに達成感みたいなものがある。


「士官塹壕に戻ったら、泥を落として装備の手入れをしないとですね!」

「……そうだな」


 話しているうちに、痛みがマシになってきた。脂汗に風が当たって冷たい。

 僕は後遺症でぎしぎしと軋む膝をほぐすように、鐙から抜いた足をゆっくりと振った。

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