第3話 目減りする誇り

◇◇◇



 帝国歴1917年02月14日同日 09時05分

 最前線 第四セクター突出部



 日差しがぎらつき始めたらサボりの合図だ。塹壕の凹みに木箱を置いて腰掛け、ライフルを磨くフリをする。

 ハンスの怒声にビビった新人たちが真面目に歩哨するのを横目に、背中を丸めてとっくに綺麗な銃を擦った。


 敵であるルテティア自由連邦は、最近になって新大陸のヒュペリア合衆国から新型砲を買い付けている。精度の高い新型砲と、大量に供給される弾薬を手にしたあいつらは、突撃前には気前よく砲弾を飛ばしてくるのだ。


 だから、歩哨してもそんなに意味がない。突撃のタイミングを敵から教えてくれるからね。


 それにしても重たいライフルだ。

 VG97。全長一四〇センチで、着剣すれば一七〇センチにもなる。正確な射撃を出来るように、そして着剣すれば槍になるように作られたボルトアクションライフルだけど、塹壕戦ではただ取り回しが悪かった。

 体感だけど四キロは確実に越えている。装弾して着剣したら五キロを超えるだろう。


 仕方がないね。僕ら歩兵が穴ぼこを掘りまくって、近距離で睨み合うなんて想定されていなかったんだ。


 戦争とは平原や都市周辺で行われるものだった。

 そこではケンタウロスの騎兵がハルバードを振り回していた。貧相な丸っこい銃弾を鎧で弾き飛ばし、存在がオマケみたいな歩兵どもを粉砕していたのだ。


 だからライフルは対騎兵として方陣を組んでハリネズミみたいに身を守るように発展してきた。長槍とかパイクと同じ設計思想なんだ。


「バート、なんで動いてんだ。夜間任務してたんだろ。お前は上手にサボらなくたって、寝てりゃ良いんだ」


 僕の前を通ったハンスが優しく話しかけてくる。


「ハンスが教えてくれたサボり方なんだけどな。でもさ、多分だけど今日は新兵が来るはずなんだ」


 ハンスは凹みだらけの懐中時計を出して、舌打ちした。懐中時計の鎖が切れている。きっと戦死した士官の懐から拝借したものだ。


「うんこ食わせて帰らせてやろうか」

「腹を下したくらいじゃ、漏らしながら突撃するだけだね」

「クソが」

「それに、新兵には英雄になりたいのも混じってるから」


 二人で同時に肩を竦める。泥が乾いた軍服の肩がバリバリ鳴った。

 ハンスは懐をまさぐってから、僕を見る。


「バート、タバコ持ってないか?」

「何と交換する?」

「ハンスポイントだな。貯めたら新品の靴下と交換できる」

「ひどい取引になりそうだよ」


 お互いに笑みがこぼれた。

 ハンスはどこからか濡れていない靴下を見つけ出してくる天才だ。足裏が湿って真っ白になる塹壕で、新品の靴下は食料よりも貴重だった。


 僕はポーチから帝国国旗が描かれたタバコ缶を出した。折りバネを指で押さえて一本出し、ハンスに渡す。ハンスは火をつけたマッチを足下の水溜まりに放り捨てた。

 唇の端から濃い煙がぱっぱっと漏れる。


「不味いな。ハンスポイント一つしかやれん」

「期待してないけどね」


 また笑い合った。

 少し離れたところから、独特ながなり声が聞こえた。潰れた喉から発せられる、いかつい怒声だ。およそ軍曹と呼ばれる人たちっぽい。


「お、新兵を配ってんな。もう来るぞ」

「そんな、配給のカブスープみたいに」

「薄くてしょっぱくて、すぐなくなる」


 ハンスは茶色い唾と一緒にタバコを吐き捨てると、軍服の襟を整えた。真っ直ぐな目で僕を見る。


「バート、備えとけ。四日前から味方の砲声が少ない。今朝はゼロだ」

「あっ」


 思わず背筋が伸びた。


「オルカンフォイヤー」


 ハンスが小さく頷く。

 砲弾を貯めて貯めて行う、ごく短時間での超集中砲撃だ。一気に大火力を叩き込んで敵を混乱させ、塹壕への突撃を支援する。


 新兵たちが発するざわめきが近づいてきた。それと同時に、遠くから弾着の地響き。個々の振動も炸裂音も分からないほど、高密度の爆発が立て続けに起きている。


 ――始まってしまった。

 ハンスが僕の手を引く。引き起こして貰い、水溜まりの中に足をつけた。


「行ってくる」

「ああ、突撃ならお姫様が頼みの綱だ。新兵はこっちで引率しておく」

「じゃあ、お互いに無事で」


 ◇


 通信塹壕の脇に背嚢を放り捨てる。弾帯、雑嚢、サスペンダーとベルトにつけた装備、ガスマスク缶を指で触れて確認しながら走った。

 士官塹壕のダグアウトに飛び込むと、通信兵がテーブルに乗ってブランディス少尉にザッペンパンツァー――防弾鎧を着せようとしている。


「バート・シュミット二等兵です! そこ、代われ!」


 通信兵を怒鳴りつけると、若い男は驚いた表情で僕に鎧を渡した。

 軽い鎧だ。一〇キロ近い歩兵用とは違って、厚みは二ミリもない鉄板で作られている。単体で弾を止めることを諦め、魔法兵の命で防御させることにした、血塗られた鎧である。


 といっても、魔法兵が完全に防弾出来るかと言われると、だいぶ怪しいんだけどね。当然、騎兵突撃には失敗事例が積み重なっている。


「少尉、失礼いたします」

「わざわざバート君がしなくとも……」


 少尉はなんとも微妙な顔をした。


「私利私欲はありませんので、ご安心を」

「なら通信兵にさせても良いじゃないか」

「そうですね??」

「こわい」


 思わず低い声が出てしまった。少尉に胴鎧を頭からすっぽり被って貰う。簡易的な構造だ。戦場で鎧は消耗品で、軍事用の消耗品には量産性と整備性が求められるんだから、そうなってしまう。

 残念だ、華がない。鎧は騎士の誇りだったはずなのに。


 鎧の背中側につけられたベルトに、弾薬ベルトと手榴弾ポーチを取り付ける。獣胴にフランケンシュッツ――側面を守る装甲板と鞍を載せて、テーブルから降りた。

 装甲と鞍をしっかりと固定したら、今度は少尉の腹にベルトを巻いて、サーベルを固定する。


 ガスマスク缶は手渡しだ。これは少尉自身が使いやすいところに吊るして貰う。ガスマスクの装着が数秒遅れたら死んでしまうから。


 最後に手に持つ武装として、テーブルの上にはベルト給弾式の軽機関銃が置かれている。


 一歩離れて少尉の全身を眺めた。


「神々しい。まさに現代に生まれ落ちた戦女神。研ぎ澄まされた刃が弾く陽光ほどに煌びやかで、だというのにアフロディーテーのような女性性の柔らかで耽美な美しさも」

「ちょっと待て。こわい、恥ずかしい、こわい」


 少尉は硬質な足音と共に後ずさった。

 目元はドン引きしているが、手で覆った頬は赤くなっている。感情が混線していた。


「あぁ、声に出ていましたか」

「出ていましたか、じゃないぞ。失礼な。バート君を背中に乗せるのが怖くなってきた」

「また世話になる、すまない。と仰っていましたよね?」

「本当にいい性格をしてるな……」


 じっとりした視線が気持ちいい。なんであれ、強い感情を向けられるのは良いことだ。うん。


「それで、突撃はいつからですか?」


 通信兵が少尉に懐中時計を見せる。


「あー、と。九分後だ」

「近いですね」


 互いに頷く。

 戦闘塹壕にいる歩兵に突撃指示が知らされるのは、本当に直前も直前だ。

 横に長い戦闘塹壕に、それぞれの小隊長ケンタウロスが姿を見せたら、下士官が歩兵たちに背嚢や外套を捨てさせる。ケンタウロスが塹壕に設けられた専用のスロープから飛び出したら、一気に続く。


 事前に教えたら、歩兵――特に経験の浅い新兵が怖じ気づいちゃうからね。恐怖に震えて足が動かなくなる前に、怒鳴りつけて勢いで走らせるんだ。


「そろそろ行きます?」

「……ああ」


 ブランディス少尉が纏う雰囲気が変わった。吐き出す息が白い。これでもかと石炭を放り込んだ蒸気機関のようだ。

 僕も気を引き締めなければならない。


 ケンタウロスは支配階級である。

 戦場では容易く人間を蹴散らし、都市間を高速で駆けて手紙を運んだ。


 けれど、帝国歴一九一七年の世界はどうだ。


 泥沼があり、塹壕があり、鎧を撃ち抜くライフルがある。機関銃は人間もケンタウロスも区別しない。毒ガスは人間以上に、肺の大きなケンタウロスを殺傷する。

 張り巡らされた電話線が、遅延なく情報を伝達する。ガソリンエンジンを積んだトラックが、人も物資も高速で運ぶ。耕運機が力強く畑を耕す。


 この大戦こそが、分水嶺だ。

 騎兵が誇らしく騎兵として生きられるか。そして、騎兵として死ねるのか。


 僕はブランディス少尉の背に跨がった。人間胴の腰元、獣胴とのつなぎ目に生えた柔らかな青毛に指先で触れる。


 支えなければならない。ブランディス少尉の誇りを。

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