放火魔くん
火の用心
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「俺の言うことだけを聞け」と父は言う。
「少しは自分で考えて」と母は言う。
よって、齢六歳の少年は何もしないことにした。
特に反抗心があったわけではなく、彼なりに考えたうえでのことであった。
ただ、本当に『何もしない』のであれば、どちらにも背くことになる。彼にとっての何もしないとは、自ずから何かをしたいとは思わないことだった。父に見られているときにはその言うことを聴く。母に見られているときは、周囲と母の顔色を観察して適当な行動をとっていた。
少年は抑圧的な家庭で育った。
夫婦仲は絶望的に悪く、互いの親戚の目を気にして離婚をしていないだけだった。
そうして貯まる鬱憤を少年は一身に受けてきた。
物心がつく頃、どうやら自分の家庭が異常らしいことに気が付く。
だが為す術を知らぬがゆえに、普通の家庭に対する憧れを持ったまま日々を過ごす。
その憧れすらも抱かぬようになったのは八歳の頃。
母の日に、手渡した折り紙の花を握りつぶされた。
足繁く通った図書館で、何度も失敗しながらやっと作れた一つだった。
それが紙くずとなって足元に投げられたとき、思った。無理なんだな、と。
きっと自分には学校のみんなが話す「家での出来事」が起きることはないんだ。
褒められず、祝われず、愛されない。
じゃあ、なんで自分はここにいるんだろう。
部屋で一人考えて、考えて考えて。わからなかったから、考えるのをやめた。
不運にもその年にして聡明だった少年は、諦めることを選んだ。
毎日、何も感じず、何も考えず過ごした。
できるだけ苦痛を感じないために、求められる役割に徹した。
両親の言う「普通」を演じて、気づけば少年は十七になった。
──学校の帰り道、道端に落ちていたジッポライターを拾った。
軽いので、どうやら燃料は入っていないようだ。
家に持ち帰り、ふと蓋を開くと、思惑を甚だしく外すような火があがった。
結論から言うと少年の家は焼け落ちた。両親ごと。
少年はホームレスになった。
少年は一人夜道を歩いた。
誰ともすれ違わない河川敷で、手元のライターをいじりながらふと考えた。
マッチ売りの少女という話がある。
寒い寒い雪の日に、マッチを売る少女は寒さに耐えかねてマッチの火をつけるのだ。
すると、まるで暖炉の中にいるかのようにみるみる全身が温まっていく。
やがてマッチは燃え尽きてしまう。
少女はまた火をつける。すると今度はごちそうの山が目の前に現れた。しかし、それにかぶりつこうとすると、マッチの火は消え、ごちそうも消えてしまった。
悲しくなって空を見上げると、そこには流れ星が一筋の光になって落ちていった。
少女は「誰かが死ぬんだ」と感じた。というのも、彼女の亡くなったおばあさんはいつも彼女にそう教えていたから。
もう一度、少女はマッチに火をつける。すると、目の前に笑顔のおばあさんが現れた。
彼女はおばあさんと一緒にいたくて、何本も何本もマッチをつける。
すると彼女たちはふわりと空高く浮かんで、雲よりもずっと高いところ、神様のもとへと行ったんだとか。
なるほど、火の中にしあわせはあるんじゃないだろうか。
少年は思いついた。
マッチ売りの少女にとってマッチが幸せへの道しるべなら、自分にとってはこのライターこそが自分なりの「しあわせ」につながるのでは、と。
そうだ、みんな燃えれば灰になる。きっとそれはしあわせなことだ。
ということで少年は色々燃やしてみることにした。
最初はほんの小火から。ゴミ捨て場、雑木林、倉庫、畜舎。段階を踏めば簡単だった。
今少年は、郊外にある宿屋の前にいた。
建物は年季を感じさせる汚れがあって、月明かりがぼんやりとそれを照らしていた。
ぽつぽつと、客室と思われる窓の灯りがついている。
手慰みに弄んでいたジッポライターを利き手に握る。反対の手で鞄をまさぐれば、ホームセンターで購入した着火剤がごろごろと出てくる。
ちょっと油っぽい木片みたいなそれを、袋ごとそこらじゅうに置く。
そのうえにボタボタとゲル状の液体燃料をかけて、散歩でもするみたいにひとり歩いた。適当に握りしめられたチューブからはヘンゼルの道標みたいに粘性の高い液体が点々と落ちた。
空になったチューブを放って、少年は近くの切り株に座り込んだ。
見上げた空は微妙に雲がかっていて、そこから覗く月は満月に成りきらない変な形をしていた。国語の資料集には十三夜月だとか、綺麗な言葉で紹介されていただろうか。
ひょいと立ち上がって、少年は火をつけた。
至近距離で熱を放つ灯りは、蛇のようにするすると伸びて建物を呑み込んだ。
少年は燃える建物をすぐ側で見ていたけども、火は彼のことなんか気にもしていないように燃え移ることはなかった。
「……たぶん、死ぬよなぁ。誰か。」
煌々とした灯りに取り憑かれた壁は瞬く間に炭化して、骨組みにまで侵食していく。
当然、中にいた人も無事ではないだろう。
当たり前のことだからわかっていた。
片手でライターをいじる。さっきしてたみたいに。
「んぁー……。」
人のいる建物を燃やしてみたけれど、いつもと変わんないや。
「誰も来ないし、黙って燃えるし。」
一枚の紙が燃えるように、瞬く間に建物はただの煤になった。
「なんも残らないし。」
雨でも降ってくれないだろうか。なんだ、自分は何をやっているんだろう。
「『なんで』は他でもない自分だけが分かっている。」
少年は立っているのが嫌になって、その場に座った。夜露でジーパンが濡れて、もっと嫌な気分になった。
「なんでかなぁ。なんでだろう。」
少年はカバンから余っていた液体燃料を取り出して、手のひらに中身を出した。
火をつける。
すると、ライターから伸びた火は冷ややかな質感のゲルだけ燃やし、少年の手のひらには焼け跡ひとつ残らなかった。
少年はため息をこぼす。
「なんか、もういいや。」
少年は立ち上がる。
軽くなったカバンを持って、近くの駅に向かい、何処に行くかも分からない電車に乗る。
今度は座った席に火をつけた。
火は全ての車両に伝播して、音もなく燃え尽きた。
放り出された線路上に横たわる。
少年はふて寝をした。
枕木は枕にちょうど良かった。
敷石は敷ふとんにはならなかった。
寝てたら別の車両がやってきた。
少年の上を通過した端から、燃えた。
「おーいー。」
煤があたりにはらはらと舞う。
夜空は曇天で、流れ星なんか見えっこない。
「来いよー、警察とか。ヒーローとかー。」
少年はぶすくれた。
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ふしぎと生きる短編集 みぎのく @nagai_kirin
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