第3話 初フォロー

家に着いても、眠れなかった。


 布団に入って目を閉じても、昨日の“反映”が体に残っている。

 筋肉の奥に染みるはずの疲労がなく、呼吸が深いまま落ち着いてしまう。眠りに落ちる前の、あの沈み込みが来ない。


 視界の端を意識すると、あの透明板が出る気がした。実際に出さなくても、“そこにある”と分かる感覚が気持ち悪い。

 嬉しいのに、気持ち悪い。


 所持ポイント:1。


 その数字が、脳みその裏側に貼り付いたみたいに剥がれない。


 たった一ポイント。

 それだけで、世界がねじれる。


 じゃあ、次は?

 次の一ポイントは?


 考えた瞬間、胸が勝手に熱くなる。

 同時に、胃が冷える。


 レベル差10撃破。


 あの文字を見るだけで、体の奥のどこかが「死ぬぞ」と言う。

 強くなった実感があるのに、“死ぬ”が具体的に想像できるのが嫌だ。


 だから俺は、決めた。


 慎重に。確実に。

 派手に勝つんじゃなくて、地味に積む。


 ……でも。


 布団の中で、もう一つの感情が顔を出す。


 見せたい。


 昨日の俺は、誰にも見せなかった。

 誰にも見せなくても強くなれるなら、それは理想だ。


 けど、四年だ。

 四年間、数字が伸びない画面に向かって喋り続けた。


 誰かが来て、去っていくのを何度も見た。

 「古参になりたい」って理由で覗かれて、つまらないと判断されて去られるのを、何度も。


 だから――見せたい。


 ほんの少しでいい。

 「お?」って思わせたい。


 自己顕示欲なんて、もう枯れたと思ってた。

 なのに、火種が一個できただけで、こんなに簡単に再燃する。


 俺は息を吐いて、天井を見た。


 ……落ち着け。


 見せるのは、あとでいい。

 今は、死なない選択を取る。


 翌日。昼のバイトを終えて、夜。

 俺は黒いスウェット上下に着替え、スニーカーを履いた。腰に刃物。ハーネスを締める。スマホを胸元に固定する。


 配信アプリを開いた瞬間、指が止まった。


 いつもなら、機械的に配信を開始するだけだ。

 今日は――違う。


 俺の中に、しょうもない期待がいる。


 「一人でもいいから見てくれ」

 「変化を気づいてくれ」

 「古参になりたい奴でもいいから、残れ」


 喉が乾く。


 俺は、深く息を吸った。


「こんばんは。篝(かがり)灯です。今日も楢木第七。Fランク、第二層まで。……いつも通りです」


 最後の「いつも通り」を、わざと強調した。

 自分に言い聞かせるためだ。


 視聴者数:0。


 ……うん。現実。


 それでも足は軽い。

 昨日の俺とは違う。


 受付端末にカードをかざし、ゲートをくぐる。

 境界の粟立ち。湿った石の匂い。雫の音。ライトが照らす狭い通路。


 俺は、視界の端を意識した。



『スライム討伐:150/300』

『Fランクダンジョン踏破:1/3』

『ソロ無傷踏破:連続1回』

『素材換金:15300/50000』

『レベル差10撃破:0/1』



 最後の行だけ、見ないふりをする。

 今日も積めるものを積む。


 通路の先で、ぬるりと動く影。

 スライム。


 俺は刃物を抜いた。


 ――ここで、ふと思う。


 カメラ、ちゃんと映ってるか?


 誰も見てないのに、胸元のスマホを微調整してしまう。

 角度を少し上げる。ライトの輪にスライムが入るように。


 俺、何やってんだ。


 自嘲が湧くのに、手は止まらない。

 見せたいんだ。無意識で。


 踏み込み。


 刃が走る。


 抵抗が薄い。

 スライムの粘り気が“邪魔”じゃなく“ただの物”になっている。


 裂ける。

 魔石が落ちる。


 俺はそのまま次へ向かう。

 動きが早い。体が先に危険を避ける。足が勝手に滑らない場所を選ぶ。


 気づく。


 「楽々」だ。


 昨日の時点で分かっていたはずなのに、今日の方が“自分のもの”になっている。

 強くなった自分が、体に馴染み始めている。


 スライム三体の溜まり場に出た。

 いつもなら位置取りを慎重に――いや、今は。


 俺の方が速い。


 一体、裂ける。

 二体目、裂ける。

 三体目、裂ける。


 終わり。


 俺の息は上がらない。

 腕も震えない。


 心の中で、声が出る。


 ……これなら、踏破が楽になりそうだ。


 余裕、ってやつだ。

 四年間の俺の辞書に、ほとんど載ってなかった言葉。


 俺はその甘さを噛みしめながら、狩りを続けた。

 スライムが寄ってくるたびに、刃が通る。

 粘液を浴びる前に終わる。


 視界の端で数字が増える。



『スライム討伐:170/300』



 積み上がってる。


 それだけで、胸が熱くなる。

 四年間、これが欲しかった。

 誰にも見えなくてもいいから、自分に見える“成果”が。


 ……なのに。


 スマホの画面の端が、ぴく、と揺れた。


 コメント通知。


 反射で心臓が跳ねた。

 俺は視聴者数を見る。


 1。


 喉が詰まる。


 月に数回の、新人漁り。

 来た。来たけど、いつもみたいにすぐ去る。


 分かってる。分かってるのに、指先が冷たくなる。


「……こんばんは」


 声が変に上ずった。

 自分でそれが分かって、さらに焦る。


 コメントが流れた。


『レベル12でF周回? 初心者?』


 胸がちくりと痛む。

 初心者。優しい言い方。でも俺は四年目だ。


「……四年やってます」


 言った瞬間、恥ずかしさが追いかけてきた。

 四年。レベル12。F。


 自分で言って、自分で傷つく。


 コメントがすぐ返ってくる。


『え、四年で12? スキルなに?』


 来た。

 そこに来る。


 スキル。


 俺の一般ステータスには、普通に表示される。

 隠しステは見えない。ポイントも見えない。見えるのは名前だけ。


 名前だけが、やたら強そうに見えるやつ。


「ユニークの……[見えざる目]です」


 数秒、コメントが止まった。

 その止まり方が、嫌だった。


 そして、流れた。


『ユニーク当たりじゃんw』

『効果なに?』

『鑑定系?』


 いつものやつ。


 ユニーク=当たり。

 現実は違う。四年、何も起きなかった。


 ――いや。


 昨日から起きた。

 今この瞬間も起きてる。


 だから余計に、言葉が引っかかる。


「……分かんないです。四年、何も起きなくて」


 言った瞬間、自分の中で何かが跳ねた。


 違うだろ。


 本当は分かってる。

 起きたんだよ。とんでもないのが。


 言いたい。


 「昨日から急に来た」って言いたい。

 「俺、変わった」って言いたい。

 「見てろ」って言いたい。


 でも同時に、頭の奥が冷たい声を出す。


 やめろ。


 言った瞬間、終わる。

 切り抜かれる。調べられる。囲まれる。


 四年の底辺が、いきなり舞台に立って耐えられるか?


 無理だ。


 コメントが流れる。


『草』

『じゃあ外れやん』

『装備しょぼw』


 胸が熱くなる。怒りに近い熱。


 ――見返したい。


 これも自己顕示欲だ。

 四年で削れたと思っていたのに、まだ残っていた。


 俺はスライムを斬った。

 いつもより少しだけ早く。少しだけ派手に。

 刃が通り、スライムが“抵抗なく”裂ける。


 ……見せてる。


 俺は気づいて、すぐに呼吸を整えた。


 やめろ。

 派手にやるな。

 俺は俺のペースで行け。


 コメントが、また一つ流れた。


『……なんか動き良くね?』


 心臓が跳ねた。


 気づくな。


 でも同時に、嬉しい。

 見られて、初めて“良い”と言われた。


 俺は平静を装って言った。


「慣れてるだけです。Fなんで」


 嘘じゃない。慣れてる。Fは弱い。

 でも“だけ”じゃない。


 コメントが続く。


『被弾してなくね?』

『レベル12にしては手数多い』

『踏破、普通に楽そう』


 ……やめろ。


 喉が乾く。

 笑いそうになる。

 怖くて、嬉しくて、どっちにも振れそうになる。


 俺は口を閉じた。


 変に乗ったら、もっと見せたくなる。

 見せたくなったら、もっと踏み込む。

 踏み込んだら――いつかレベル差10に手を出す。


 俺の中の慎重さが、それを嫌というほど理解している。


 俺は淡々と、帰還ルートに入った。

 地味な踏破。地味な撤退。

 でも、内側は燃えている。


 スライムが寄ってくる。

 刃が通る。

 被弾しない。

 足を取られない。


 そして、ゲートの光が見えた。


 視聴者数:1。


 コメントが最後に一つ流れた。


『フォローしとく。古参になりたいし』


 古参。


 その言葉が、胸の奥に刺さった。

 四年間、誰も残らなかった場所に。

 たった一人でも“残る”と言った。


 俺は返事をしなかった。


 返事をしたら、嬉しさが声に出そうで嫌だった。

 嬉しさを見せたら、弱みになる気がした。

 ――そして何より、俺の“見せたい”が止まらなくなりそうだった。


 ゲートをくぐる。


 現実の空気。蛍光灯。施設の匂い。


 視界の端が光る。



『ソロ無傷踏破:連続2回達成』

『解放条件まで:あと1回』



 ……よし。


 次だ。


 次の踏破で、何かが解放される。


 体が熱くなる。

 怖いのに、笑ってしまいそうになる。


 俺はスマホを見た。

 視聴者数:1。

 そいつは、まだ見ている。


 古参になりたい奴。


 ……なら、勝手に古参になれ。


 俺は俺のペースで行く。

 地味に積む。確実に強くなる。

 その上で――いつか、見せる。


 見せたい気持ちは、もう否定しない。


 四年間底辺だったんだ。

 欲が出るのは、当たり前だ。


 ただ、その欲に殺されないように――俺は今日も、慎重に前へ進む。

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底辺探索者、見えざる目で未来を観る @saito_

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