第2話 無傷踏破
雑木林の影でスマホの電源を落としても、胸の鼓動は静まらなかった。
ポイント。隠しステータス。反映。
さっきまでの俺の世界には存在しなかった言葉が、頭の中で渦を巻く。
興奮しているのが分かる。怖いのも分かる。だから余計に、冷静になろうとして逆に熱が上がる。
俺は深呼吸して、視界の端を意識した。
“見ようと思えば見える”――一般のステータスウィンドウと同じ感覚で、透明板がふっと浮かび上がる。
◆
【隠し項目:ポイント】
所持ポイント:0(割り振り済み)
【隠しステータス】
・身体補正 1
・耐久補正 1
・感覚補正 1
・成長補正 1
・ドロップ補正 1
【次の課題】
・スライム討伐:0/300 +1
・Fランクダンジョン踏破:0/3 +1
・レベル差10撃破:0/1 +1
・ソロ無傷踏破:0/1 +1
・素材換金:合計5万円 0/50000 +1
◆
「……更新って、こういうことかよ」
独り言が、夜の雑木林に吸い込まれる。
全部、現実的だ。現実的なのに、やってることが全然違う。
スライム三百。踏破三回。無傷踏破。レベル差十撃破。換金五万円。
最後の“換金五万円”が、いやに生々しい。
俺の生活そのものを、課題にされている感じがする。
……でも。
課題なんて、いまはどうでもいい。
俺の体が、違う。
俺は指を握って開いた。手袋越しでも分かる。掌の皮膚が、以前より“自分のもの”になっている感覚。余計な力が抜けていて、それでいて芯がある。
身体補正。
これが、攻撃力に関係しないわけがない。
なのに一般のステータスは、さっきのままだ。
怖くて、俺は一般のウィンドウも開いた。現実に引き戻されたいのか、確認したいのか、自分でも分からない。
◆
【ステータス(篝 灯)】
レベル:12
スキル:ユニーク[見えざる目]
HP:128
MP:42
攻撃力:36
防御力:31
魔力:14
俊敏:29
器用:27
◆
「……変わってない」
数値は変わっていない。
なのに、体感は別物。
俺は施設の壁際へ視線をやった。雑木林と施設の境目、コンクリートの縁に、落ちた太い枝が転がっている。受付脇の植え込みから折れて落ちたやつだろう。
人目は……ない。警備員は少し離れた場所でスマホを眺めている。
俺は枝を拾い上げて、片手で軽く振ってみた。
軽い。
いや、枝が軽いんじゃない。俺の腕が、軽い。
試しに、枝の先をコンクリートの角へ叩きつけた。
パキン。
乾いた音がして、枝が一発で折れた。
今までも折れたかもしれない。でも、こんなにあっさりじゃない。手首が痛む前に折れた。
俺は息を呑んだ。
「……身体補正、これ……」
言葉が続かない。
強くなった、というより、世界の方が“脆く”なったみたいだ。
自分が変わったのか、周囲の認識が変わったのか、境目が分からなくなる。
俺はゲートを見た。
さっき出てきたばかりの光。
中は湿った洞窟。スライムの気配。泥の匂い。
スマホは、落としたままにした。配信はしない。
もし本当に強くなっていたとしても、いきなり世界に見せる必要はない。
月に数回の新人漁りが、もし偶然この瞬間に居合わせたら?
切り抜かれたら?
協会に目を付けられたら?
考えただけで胃が縮む。
俺は無音で入場端末にカードをかざした。
ランプが点滅し、入場記録が通る。
記録が残るのは分かっている。
でも今夜だけは――どうしても確かめたい。
ゲートをくぐる。
境界の粟立ちは相変わらずあった。
ただ、今回は“怖さ”じゃなく、“輪郭”として認識できた。皮膚が空気を読むように、内側と外側の違いをなぞる。
洞窟の空気が肺に入る。湿り気。石。苔。
ライトを点けた瞬間、世界が開く。
暗がりの境目が、さっきよりはっきり見える。足元の泥の深さが分かる。滑りやすい場所が分かる。
耳が拾う反響で、奥の空間の広さまでなんとなく掴める。
「……感覚補正、やばいな」
俺の声が、洞窟の壁に返ってくる。
その“返り方”すら、さっきより分かる。距離が分かる。位置が分かる。
スライムの気配がした。通路の先で、ぬるりと動く。泥の色に溶ける半透明。
俺は歩幅を落とした。以前なら、近づいてから気づく個体に、今は早めに目が行く。
視線が勝手に“危険の芽”を拾う。拾いすぎて、逆に笑いそうになる。
スライムが一体。
次の角にもう一体。
奥の溜まり場に三体。
分かる。分かりすぎる。
怖い……というより、今までの自分が“見えていなかった”ことが怖い。
俺は刃物を抜いた。いつも通りのはずなのに、構えた瞬間に違いが出る。
手首の角度。肘の高さ。重心。呼吸。
迷いがない。
踏み込み。
刃が走る。
――ぬちゃ、じゃない。
今までの感触は、もっと重かった。粘るものを切っている抵抗があった。
でも今回は、抵抗が薄い。
刃が、スライムを“裂く”んじゃなく、“通る”。
スライムが二つに分かれる前に、もう分かれている。
魔石が落ちる。粘液が跳ねる――はずなのに、跳ねる前に体が次の動きへ移る。
俺はそのまま角を曲がり、次の一体へ。
スライムが寄ってくる。いつもなら“まとわりつかれない距離”を意識する。
でも今は、その距離が自然に取れている。足が勝手に“危険じゃない位置”へ滑る。
斬る。
裂ける。
落ちる。
回収。
その一連が、早すぎて自分でも怖い。
この速度で動いて、息が上がらない。
耐久補正。
俺は一度立ち止まって呼吸を確かめた。
肺が楽だ。汗が少ない。脚が軽い。
四年間ずっと、ダンジョン帰りは“疲労が染み付く感覚”があった。筋肉の奥が鈍く痛む。肩が重い。
それが、ない。
「……反則だろ」
喉の奥が乾いた。
反則なのに、俺の四年は報われていい。
誰も見ない配信を、誰も評価しない狩りを、誰も褒めない踏破を、四年続けたんだ。
反則くらい、許されろ。
溜まり場に踏み込む。三体のスライムが、ぬるりと寄ってくる。
いつもならここは面倒だ。囲まれないように位置取りして、順番に削る。足を取られたら転ぶ。
でも今は――俺の方が速い。
半歩ずれるだけで、スライムの進行がズレる。
そのズレに刃を差し込む。
一体、裂ける。
二体目、裂ける。
三体目、裂ける。
抵抗が薄いから、刃先の軌道が崩れない。
器用、ってのはこういうことか。今まで俺が“器用27”でやってたのは、器用じゃなく必死だっただけだ。
魔石がぽとぽと落ちる。
そして視界の端に、小さな表示が出た。
◆
『スライム討伐:6/300』
◆
「……表示されるのかよ」
口元が勝手に緩んだ。
達成状況がリアルタイムで見える。これがあるだけで、作業が“積み上がってる”実感になる。
四年間、俺に一番足りなかったのはこれだ。
見える成果。
俺は狩りを続けた。第二層を浅く回って、スライムだけを狙う。
普段なら“効率”を考えて別のモンスターや素材も拾う。でも今日は検証だ。
歩いて、斬って、拾って、進む。
進むほどに確信が強くなる。
これ――スライムごときが、障害にならない。
いつもは「ミスったら終わる」って感覚があった。
今は「ミスる前に避けられる」感覚がある。
感覚補正が、視界の情報量を増やす。
身体補正が、動作の余裕を増やす。
耐久補正が、集中力の持続を増やす。
つまり、事故が減る。
俺はふと、課題の一つを思い出した。
ソロ無傷踏破:0/1 +1
「……これ、いけるんじゃね?」
言った瞬間、背筋がぞくりとした。
無傷踏破。
Fランクでも、これができる探索者はそこまで多くない。油断、転倒、擦り傷、粘液被り……何かしらの“ミス”が起こるのが普通だ。
でも今夜の俺は、ミスりそうな気配がない。
いや、正確に言うなら――ミスの前兆が見える。
足元が滑る場所。空気が重い場所。気配が変な場所。
危険が、形になる。
なら、避けられる。
俺はスライムの討伐を一旦切り上げて、踏破のルートを頭の中で組み立てた。
無駄な戦闘を避ける。溜まり場は通る角度を変える。狭い通路は走らない。泥の深い場所は踏まない。
何より、深追いしない。
踏破は“生きて出る”ことだ。
討伐数を稼ぐのはそのあとでもいい。
俺は第二層の奥へ向かった。
洞窟の天井が少し高くなる区間、反響が変わる。空間が広い。スライム以外の影がある。
……別種。
Fランクにも、スライムだけじゃない。
小型のゴブリン、コウモリ型、時々――“変なやつ”も出る。
俺は足を止めた。
暗がりの向こうで、カサ、と乾いた音。
骨みたいな細い手足の影が見えた。たぶん、スケルトン系の下位種。Fランクの中でも“ちょい上”だ。
倒せる。今の俺なら、たぶん倒せる。
でも今日は無傷踏破。
俺はゆっくり後退した。音を立てない。
感覚補正が、相手の視線の向きまでぼんやり教える。こっちを見ていない。
避けられる。
避ける。
……強くなっても、俺は慎重でいたい。
強者の配信は派手だ。派手に戦って、派手に勝つ。
でも俺は、四年の底辺だ。派手に戦うほど死にやすいことを知っている。
踏破ルートは、地味でいい。
地味で、生きて帰れるなら、それが最強だ。
帰還ゲートへ向かう道をなぞるように進む。
途中、スライムが二体寄ってきたが――楽だ。
刃が通る。抵抗が薄い。粘液が跳ねる前に終わる。
魔石を拾う動作すら、以前より滑らかだ。手元で落とさない。器用、ってこういうことか。
そして、気づく。
ドロップが、微妙に違う。
魔石の透明度が高い。
粘液袋も破れにくい。
偶然かもしれない。気のせいかもしれない。
でも俺の視界には、あの項目がある。
ドロップ補正 1。
偶然じゃない可能性が、現実味を持ってしまう。
俺は深く息を吸って、吐いた。
落ち着け。まだ一日目だ。
興奮すると事故る。四年の経験が、そこだけは正確に俺を抑える。
帰還ゲートが見えた。
光。境界。現実への出口。
俺は最後に、自分の体をざっと確認した。
擦り傷、なし。
粘液を浴びた感触、なし。
息切れ、なし。
……無傷だ。
俺は、ゆっくりゲートをくぐった。
現実の空気が肺に入る。蛍光灯が白く眩しい。施設の匂い。人の匂い。
それでも、体の軽さは消えない。
その瞬間、視界の端が強く光った。
◆
『条件達成:ソロ無傷踏破(1/1)』
『報酬:ポイント+1』
◆
……来た。
喉が鳴る。心臓が跳ねる。
俺はその場で固まった。誰かに見られていないか確認してから、呼吸を整える。
透明板は続けて表示する。
◆
『所持ポイント:1』
『割り振り可能:1』
◆
「……マジか」
声が震えた。
たった一日。
いや、正確には“今夜の追加潜行”だけで、一ポイント。
しかも、さっき体感した。
五ポイントでこれだ。
一ポイントでも、常識が曲がる。
俺は一瞬、課題一覧を見た。
◆
『スライム討伐:38/300』
『Fランクダンジョン踏破:1/3』
『レベル差10撃破:0/1』
『素材換金:0/50000(本日の換金は未実施)』
◆
踏破は1/3。ちゃんと積み上がっている。
スライムも増えている。このペースなら数日で300は行ける。
そして――レベル差10撃破。
そこだけが、異質に重い。
レベル差10。
今の俺が、レベル22を倒す。
無理だろ。
さっきまでなら即答でそう言えた。
でも今は、即答できないのが怖い。
倒せるかもしれない。
いや、倒せるかどうかじゃない。挑んだ瞬間に、死ぬかもしれない。
俺の中の“底辺の生存本能”が叫ぶ。
やめろ。
今の勝ち筋は慎重さだ。
調子に乗るな。
死んだら終わりだ。
俺は唾を飲み込んで、首を振った。
「……レベル差10は、まだ無理」
言い聞かせるように呟く。
無傷踏破はできた。
踏破は積める。
討伐数も積める。
換金も積める。
やれることからやればいい。
俺は換金窓口へ向かった。
トレーに魔石と素材を並べる。さっきより数が増えた。透明度が妙にいいやつが混じっている。
受付の女性がスキャンし、首を傾げた。
「……今日、追加で潜られました?」
心臓が跳ねた。
記録、残ってる。
当然だ。協会管理なんだから。
「……ちょっと、忘れ物して」
自分でも雑な言い訳だと思った。
受付の女性は深追いせず、「そうなんですね」とだけ返して端末を操作する。
数秒後、表示が出た。
「魔石、合計で……一万二千八百円。粘液袋が……二千五百円。合計、一万五千三百円です」
「……」
俺は言葉を失った。
追加で潜ったから増えるのは分かる。
でも、それだけじゃない。
同じFランクのスライム。
同じ低級素材。
なのに、単価が上がっている。
受付の女性が淡々と補足する。
「透明度が高い魔石が混じってます。粘液袋も、品質がいいですね。状態がいいと、ちょっとだけ上がるんです」
「……そう、なんですね」
声が掠れた。
ちょっとだけ、じゃない。
俺にとっては“ちょっと”が生死を分ける。
バイトより少しマシだった日当が、バイトを明確に超えた。
それでもまだ、命を賭ける対価としては軽い。だが――この上がり方が本物なら、話は変わる。
俺は現金を受け取って、財布に押し込んだ。
手が震えそうになるのを必死に抑える。
外に出て、雑木林の風を浴びる。
視界の端に、透明板が浮かぶ。
◆
『素材換金:15300/50000』
◆
「……積み上がってる」
呟いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
透明板をもう一度見る。
所持ポイント:1。
割り振り可能:1。
俺は、その一ポイントをどこに振るか、迷った。
身体補正に振れば、さらに火力が上がる。スライムなんて影にすらならなくなる。
耐久補正に振れば、無傷踏破の安定が増す。
感覚補正に振れば、危険をもっと早く嗅ぎ取れる。
成長補正に振れば、今後の伸びが加速する。
ドロップ補正に振れば、生活が変わる速度が上がる。
……全部、欲しい。
欲張りたくなる。
でも、その欲張りが“レベル差10撃破”に繋がったら――死ぬ。
俺は一度、目を閉じた。
落ち着け。
今夜は勝った。
無傷踏破で一ポイント取った。
それだけで十分だ。
俺は、スマホの電源を入れかけて、やめた。
今夜はまだ、誰にも見せない。見せる必要がない。
月に数回の新人漁りが、もし明日覗いてきたとしても――ただのFランク周回に見えるようにしておけばいい。
俺はゲートの光を、少しだけ遠くから見た。
さっきまで“割に合わない場所”だった。
でも今は――未来へ続く入口に見えた。
そして、その未来には、課題がある。
踏破を三回。
スライム三百。
換金五万円。
そこまでは、手が届く。
だが、レベル差10撃破は――まだ手を伸ばさない。
俺は自分に言い聞かせて、夜道を歩き出した。
胸の奥で、透明板が静かに光っている。
見えざる目が、俺の“次”を見せ続ける限り。
四年分の無駄は、これから全部“意味”に変わる。
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