底辺探索者、見えざる目で未来を観る
灯
第1話 見えざる目の覚醒
「こんばんは。篝(かがり)灯(あかり)です。今日も、いつものFランク」
スマホのフロントカメラに向かって軽く手を上げる。胸元のハーネスに固定した画角は、たぶん最低限。ライトの反射で顔が白く飛びやすいのは分かってるが、機材を変える金がない。
俺の配信は、そういう“最低限”で出来ている。
画面の端に視聴者数。
0。
ただ、四年間ずっとゼロ……というほど、完全に無風ではない。
月に三、四回。ふらっと数字が「1」になる日がある。
大抵は数十秒。長くて二、三分。
“新人漁り”。
これから伸びそうな探索者を早い段階で見つけて、「古参」を名乗れる位置取りをしたい人たち。配信文化が成熟しすぎた今、そういう層が一定数いる。
そして俺の配信を覗いて――去る。
当然だ。画面に映るのは黒いスウェット上下の男が、湿った洞窟に入っていくだけ。喋りは地味、装備は地味、展開は地味。切り抜く価値もない。
今日も、たぶん誰も来ない。
それでも俺は配信ボタンを押す。理由は二つ。
ひとつは習慣。もうひとつは、もし何かが起きたとき――証拠が欲しいからだ。
もっとも、“何か”なんて起きたことはない。
俺の人生みたいに。
息を吐く。冷えた夜気が肺に入る。郊外の雑木林の奥にあるコンクリートの簡易施設。ここが協会管理のFランクダンジョン『楢木(ならき)第七』の入口だ。
ダンジョンが日本で最初に見つかってから、五十年以上。
いまや国が封鎖して軍が張り付くような時代ではない。制度は整い、探索者免許があり、ランクがあり、装備の規制があり、ドロップ素材の換金相場がある。
そして、誰もが知っていることがある。
ステータスウィンドウは、見える。
ダンジョンの外でも。内でも。
意識すると、視界の端に薄いウィンドウが浮かぶ。初めて見た子どもは泣くらしいが、今の世代には生まれつきの“当たり前”だ。
俺も念のため、表示した。
◆
【ステータス(篝 灯)】
レベル:12
スキル:ユニーク[見えざる目]
HP:128
MP:42
攻撃力:36
防御力:31
魔力:14
俊敏:29
器用:27
◆
……弱い。
これが現実。
数字の感覚が分からない人のために、協会が公開している“目安”がある。探索者向けの安全講習で必ず出される資料だ。個人差はあるが、だいたいの基準になる。
◆
【協会公開・目安ステータス】
■レベル12前後(F〜E下位)平均
HP:180前後 / MP:70前後
攻撃力:55前後
防御力:50前後
魔力:45前後
俊敏:50前後
器用:50前後
◆
俺はそこから一段……じゃない。二段、三段落ちている。
攻撃力も防御力も平均に届かない。魔力に至っては半分以下。俊敏も器用も、平均に対して明確に低い。
同じレベル帯でも“伸び方”が違うのはよくある話だ。だが、ここまで差が開くと、努力や装備の問題じゃないと言われる。
そして、比較のためにもう一つ。
上を見ればキリがないが、現実として“化け物”は存在する。配信サイトで毎日切り抜かれて、協会の広報にも利用されるような連中。Sランク、あるいはそれに準ずる最上位探索者。
彼らの詳細な数値は非公開だ。危険すぎるし、軍事的価値があるからだ。
ただし“目安”なら噂と統計で出回っている。上位ダンジョンの討伐記録、救援報告、観測された戦闘ログ――そういうものを突き合わせて出した、おおまかな推定値。
◆
【最上位探索者・推定目安(Sランク級)】
レベル:100前後〜(個体差)
HP:5000以上 / MP:3000以上
攻撃力:1500以上
防御力:1500以上
魔力:1500以上
俊敏:1500以上
器用:1500以上
※“化け物”と呼ばれる上澄みはここから更に上
(攻撃力や俊敏が3000〜、という推定もある)
◆
同じ“人間”の数値に見えない。俺の攻撃力36が、冗談みたいだ。
でも、その冗談みたいな差が、この世界の現実でもある。
才能。スキル。運。
そういうものに左右される世界だ。
俺のユニークスキル[見えざる目]は――役に立たない。
名前だけは強そうだった。ユニークの響きに、少しだけ期待もした。
けれど四年、何も起きない。
協会の端末で検索しても情報は出ない。相談窓口に行っても「ユニークは個体差が大きいので……」で終わる。先輩探索者に聞いても、「外れ引いたな」「鑑定系じゃね?」と適当に笑われるだけ。
見えざる目。
何が見えるのか、俺には見えなかった。
だから今日も、Fランクを淡々と回る。命を賭けて、生活費を拾うために。
黒のスウェット上下。スニーカー。手袋。腰の短い刃物は協会規定の一般品。派手さはない。派手さがあるほど高い。
バックの中には回復薬が一本だけ。節約している。
節約、というより、余裕がない。
入場端末にカードをかざし、ゲートをくぐる。境界を越える瞬間、肌が軽く粟立つ。この感覚だけは何年経っても慣れない。慣れたくない。
洞窟型のダンジョンは湿っていた。石の匂い。苔。泥。天井から落ちる雫の音。ライトの輪の外側は深い影。
「今日も楢木第七。第二層まで。スライム中心。いつも通りです」
視聴者数:0。
たぶん、今日も誰も見ていない。だけど喋る。黙ると、自分が何のためにここへ来ているのか分からなくなるから。
通路の先で、ぬるりと何かが動いた。
スライム。
半透明のゼリーみたいな体。洞窟の泥と同化して見えにくい。Fランクの“定番”で、弱い――はずの敵。
弱い、はず。
それでも死ぬ奴は死ぬ。足を取られて転んで、別個体に覆われて、窒息して。笑えない死に方で。
俺は腰を落として刃を構える。呼吸。踏み込み。刃を走らせる。
ぬちゃ、と嫌な感触が手に伝わり、スライムが裂けた。小さな魔石がぽとりと落ちる。透明の石。価値は低い。だけど積み重ねるしかない。
淡々と狩った。
曲がり角で一体。溜まり場で三体。天井から落ちてくる個体もいる。何度も見た光景。何度も繰り返した動作。
四年。
最初は夢があった。バズって、スポンサーがついて、装備が良くなって、ランクが上がって。
……そんな未来を想像した夜が、確かにあった。
いまは、習慣に近い。
仕事帰りにコンビニへ寄る感覚でダンジョンに潜る。危ないのに、危なくないふりをする。怖いのに、怖くないふりをする。
――レベルが上がれば変わる。
そう思っていた時期もあった。でも現実は、レベルを上げても俺の数値は伸びない。上位探索者の配信を見れば分かる。同じレベルでも別世界の数値だ。
自分の努力が足りないのか、と何度も考えた。
訓練メニューも真似した。食事も変えた。装備の手入れも怠らなかった。
それでも、数字は“平均”に届かない。
結論は一つしかなかった。
俺の土台が、弱い。
だから今日も、何も起きない。
そう思っていた。
ダンジョンから出たのは数時間後。第二層を一通り回り、目標数を狩り終えたところで切り上げた。Fランクは深追いしない。深追いしても儲けは少ない。事故率だけ上がる。
ゲートをくぐって現実の空気を吸い込むと、肩の力が抜けた。施設の蛍光灯が白く眩しい。警備員が暇そうに立っている。
俺は退場端末にカードを通し、配信を切った。
「ありがとうございました」
誰もいない画面に、癖で頭を下げる。
スマホの画面がホームに戻る。
そこで、素材換金の窓口へ向かった。遅い時間でもこの施設は最低限の受付が残っている。ダンジョンが“職業”になった証拠だ。
トレーに魔石を並べる。小粒の透明石が十数個。ついでにスライムの粘液袋がいくつか。どれも低級品。
受付の女性が端末でスキャンし、淡々と告げた。
「魔石、合計で……八千四百円。粘液袋が……千二百円。合計、九千六百円です」
「……ありがとうございます」
九千六百円。
数字だけ見れば悪くない。深夜の居酒屋バイトで四、五時間働いたくらいにはなる。コンビニの昼勤より、少しだけいい。
でも――命を賭ける対価としては、軽すぎる。
たった一度、転んで頭を打てば終わる場所だ。絡まれば息ができなくなる場所だ。救助が間に合わないことだってある。
そういう場所で数時間過ごして、九千六百円。
割に合わない。
割に合わないのに、やめられない。
俺は受け取った明細と現金を財布に入れて、施設の外に出た。雑木林の夜風が頬を撫でる。
今日は、いつも通り終わった。
そう思った。
帰り道だった。
視界の端が、ちらついた。
最初は疲労のせいだと思った。ダンジョン帰りは神経が張り詰めていて、光が滲むことがある。
でも、ちらつきは一回では終わらない。
俺の目の前に――文字が浮かんだ。
スマホの画面じゃない。現実の空間に、薄い透明板みたいなものが現れて、その上に光の文字が並ぶ。
「……は?」
足が止まる。夜風が吹いても、体が動かない。
文字は、読めた。
◆
『ユニークスキル[見えざる目]:条件達成』
『隠し項目の表示を開始します』
◆
「……なに、これ」
喉から情けない声が漏れた。
見えざる目。ゴミスキル。何も起きない四年間。
その名前が、堂々と俺の視界の中心にある。
心臓が遅れて跳ねた。呼吸が浅くなる。俺は周囲を見回した。施設の外には夜の雑木林と、遠くの車の音しかない。
これ、俺だけに見えている。
直感でわかった。
怖い。期待したくない。期待して裏切られるのが一番嫌だ。
四年前、免許を取った夜も似たような浮つき方をした。未来が変わる気がして、朝になって何も変わってなくて、勝手に冷えた。
同じことを繰り返したくない。
でも、文字は消えない。
むしろ、増えた。
◆
『隠し項目:ポイント』
『所持ポイント:5』
◆
「……五?」
声に出してしまった。
ポイントなんて聞いたことがない。協会の制度にもない。一般のステータスウィンドウにも、そんな項目は存在しない。
透明板は続けて表示する。
◆
『達成済み課題(抜粋)』
・スライム討伐:100/100 +1
・Fランクダンジョン踏破:1/1 +1
・ソロ探索:100回 +1
・連続生還:30日 +1
・回復薬未使用で踏破:1/1 +1
◆
……抜粋。
その二文字が背筋を冷たくした。
抜粋ってことは、他にもあるのか。
俺が四年かけて積み上げた、“誰にも評価されなかった作業”が、どこかでは評価されていた?
誰に? 何に? ダンジョンに?
透明板が淡々と次を示す。
◆
『ポイントを割り振ってください』
『割り振り可能:5』
◆
そこに並んだ五つの項目を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
悔しさが、怒りが、報われなさが、一気に形を持つ。
◆
【隠しステータス】
・身体補正 0
・耐久補正 0
・感覚補正 0
・成長補正 0
・ドロップ補正 0
◆
ゼロ。
でも、俺には“五”がある。
俺は指を動かした。空中の透明板に触れる感覚はない。それでも、触れた“つもり”で項目をタップすると反応が返ってくる。
身体補正に、+1。
耐久補正に、+1。
感覚補正に、+1。
成長補正に、+1。
ドロップ補正に、+1。
◆
『ポイント割り振り完了』
『反映を開始します』
◆
次の瞬間。
世界の輪郭が変わった。
音が近い。葉が擦れる場所が分かる。空気の匂いが分かれる。施設の奥、警備員が飲んだ缶コーヒーの甘さまで妙に鮮明だ。
目の焦点が勝手に合う。暗がりの境界が、はっきり線を引く。
体が軽い。
背中の荷物が、まるで空になったみたいに軽い。ダンジョン帰りのはずなのに、筋肉の鈍い痛みが残っていない。息が深く吸える。
「……やば」
小さく呟いた声が、自分でもはっきり聞こえた。
怖い。嬉しい。信じられない。全部が混ざって、胸の中が落ち着かない。
俺はスマホを見た。通知はない。現実はいつも通り。九千六百円の明細が財布に入っているだけだ。
それなのに、俺の体だけが別の世界に踏み出したみたいに“変わっている”。
視界には透明板が残っている。
その下に、小さく表示された文字。
◆
『次の課題が更新されました』
◆
更新。
終わりじゃない。
この先がある。
俺は反射的に、施設のゲートを見た。さっき出てきたばかりの光。
もう一度入るのは馬鹿だ。今日は帰って寝るべきだ。事故る。
四年で身についた判断が、頭の中で警告する。
それでも。
この変化が本物かどうか、確かめないと眠れない。
俺は一度、雑木林の影に身を寄せ、スマホの電源を落とした。配信はしない。証拠は要らない。まずは、自分の体で確かめる。
見えざる目。
ゴミスキル。
――その名前が、いまだけはやけに頼もしく見えた。
そして俺は、気づかないまま笑っていた。
九千六百円じゃ割に合わない命を、今日だけは少しだけ“取り返せそう”な気がして。
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