第3話 あべこべな私たち.3
あれって、まあまあ行き過ぎたスキンシップだったんじゃないだろうか?
前の夜、浴室で湯あたりするぐらい長い間考え続けたことを、次の日の放課後にまでなって考え込んでいる私も、たいがいな性格だと思った。
『そんなに気になるなら、聞けばいいじゃん』
頭の中で、いつも正論ばっかり振りかざしてくる私が、事も無げに告げる。
『そんなに簡単じゃないだろ』
『でも、いつもそうやって簡単に言ってきただろ?』
脳内の自分の声に叩き切られて、思わず、苦い顔を浮かべてしまう。
そうか、今まで私が正論で詰めてきた相手は、こんな気持ちだったのか。だとすれば、申し訳ないことをしたと、今更ながらに反省する。
こうしたい、という気持ちにハッキリとした輪郭を帯びさせることはなかなか至難の業だったのである。自分の気持ちって、こんなにおぼろげなものなんだ。
だからだろう。テスト勉強の息抜きにと、食堂の自動販売機そばの自販機に腰かけてぼうっとしている私に鈴音が話しかけてきたとき、何も言えず、彼女に恨みがましい目線を送ることしかできなかったのは。
「あ、お疲れ様、島添さん。休憩中?」
遠慮がちな微笑みと共に、ひらひら手を振って挨拶してくる鈴音。
昨日、あんなことをしてきたくせに…どうしていつも通りに話しかけられるのだろうか。
「あれ?島添さん、聞こえてる?」
何も言わず口を閉ざしていた私に、鈴音がそう尋ねる。
「この距離で聞こえないはずないでしょ」
「それはそうだけど…それなら、返事くらいしてほしいなぁ」
私がもの言いたげなことぐらい、気づいているだろうに、鈴音はあろうことかそのまま私の隣に腰かけた。
「……」
そのふてぶてしさに呆れた私は、ため息交じりで皮肉を口にする。
「なんかさぁ、鈴音さんって、だいぶイメージと違うくない?」
「えぇ、そうかなぁ」
「そうだよ」
「例えばどんなところが?」
鈴音がこてん、と小首を傾げて問いかけてくる。愛らしい仕草だが、今さらこれに騙されはしない。
「……意外と、人をからかうのが好きなところとか。全然、ドMじゃない」
「ふーん…ふふふ」
私は鈴音の瞳がいつもの感じで妖しく瞬くのを見逃さなかった。
「なに、その顔」
鈴音は一瞬、言うかどうか迷うみたいに、視線をぐるりと動かしたが、ややあって、太ももが触れるか触れないかの距離までスペースを詰めると、ヒソヒソ声でこう言った。
「それを言うなら、島添さんだって、イメージと違うよね。ドSってよく言われてるけど」
「…そもそも私、ドSなんて自称したことないし」
「それは私もだよ。みんな勝手にイメージを押しつけてくるの、ちょっと面倒だよね」
「め、面倒…」意外な言葉に、面食らう。「鈴音さんも、そういうこと言うんだ」
「あはは!もちろん。表に出すとなんかこう、みんなの望む私じゃないし、こじれるかもしれないから、あんまり出すつもりないけど」
ころころと朗らかに笑う鈴音の姿は、確かにクラスの中で見せる彼女とは違った印象を受ける。だが、最近は私と二人のときはよくこんな感じの気もした。
私がその感想を正直に口にすると、鈴音はまたも挑発的な目つきで自分の膝に肘を置き、下から覗き上げるみたいにこちらを見た。
「それはね、島添さんだからだよ?」
ぐっ、と首が絞められたかのように、息が詰まった。ただ、不思議と嫌な感覚ではない。
「ど、どういう意味?それ」
「さて、どういう意味でしょう」
「…分からないから、聞いたんだけど」
私はそっと反対側に視線を逃がしながら、ぶつぶつ呟く。そうすると、鈴音はおかしそうに笑った。
それからしばらく、「こっち向いてよ」と「嫌だ」の応酬を繰り返したが、そのうち、鈴音のほうから、「話を戻すけど」と違う言葉を投げかけてきたのだが、これがまた、私の喉をひゅっ、と言わしめるほど衝撃的な一言であった。
「島添さんはぁ…どっちかと言うと、M気質でしょ?」
「は、はぁ!?」
跳ね橋が上がるときみたいに、慌てて立ち上がって自分を見やる私を指差し、鈴音が笑った。
「あはは、図星なんだぁ」
「ち、ち、違うし、はあ?なに、Mって、意味わかんない。鈴音さん、頭おかしいんじゃないの。なんで、私が…!」
自分でも、どうしてこんなに慌てているか分からなかった。ただ、正直に言って、その時点で私は、自分をMかSかに二分するのであれば、どちらに属する人種なのか、心のどこかで分かっていたような気はする。
「えー、可愛い、その反応。っていうか、その感じがすでにMだよね。島添さん」
「だから違うって、からかうな」
「からかってないよ。――ねぇ、少しその辺、歩かない?」
なんで、と一応、聞きはしたものの、半ば強引に連れられて、私は鈴音と中庭を歩くことになった。
「私、小学校の頃はもっと陽キャだったの」
肌寒い十二月上旬の風が肌を刺す中、ぼそりと鈴音が漏らした。
「陽キャ?」
「そ、心愛さんみたいな。クラスの中心になって毎日、毎日、色んな人とおしゃべりするようなタイプだったんだよ」
鈴音が心愛と同タイプだなんて信じられなかった私は、どこか違う誰かの話ぐらいの感覚で彼女の話を聞いていた。
「でもね、ちょっと調子に乗り過ぎちゃって…。当時の私は、好きな子ほど意地悪したくなるタイプだったから、それでちょっと、色々と空回りしちゃって…それからはもう、ほどほどに大人しくしておこうと思ったわけ」
「へぇ、なるほどね…。で、それを私に聞かせてどうするの?」
わざわざテスト期間中に時間を設けてした話だ。なんとなく、という理由ではないだろう。
「んー…」
鈴音は私の表情から何かを読み取ろうとするみたいに、じっとこちらを凝視してから、曖昧な笑みを浮かべて言った。
「さっきも言ったけどね、島添さんも、私と同類なんじゃないかなって」
「同類?」
少し前を歩いていた鈴音が足を止めて、くるり、とこちらを振り返った。
ふわっ、とゆるく波打った鈴音の髪から、甘い匂いが漂ってくる。
「うん。なんか、こう、誤魔化してる感じ」
トン、トン、とスローな足取りで間合いを詰める鈴音から、私は目が離せなくなっていた。
「みんなに対して取り繕ってる部分、ない?」
「私は…」
パッと頭に浮かんだのは、『本当はもっと、意地悪してほしい』という気持ちだった。それが私にとって、分かりやすい、愛の形である気がした。
愛の形?
自分で考えて、おかしくなる。
友人に対して、愛を求めるのは変じゃないか?
同性の……彼女らに対して…。
そんなもの、あるわけない。
自分自身に対しても、そして、鈴音の問いに対しても、そう応えようとした矢先のことだった。
不意に、鈴音が私の片腕を取った。
「ちょ…」
そのまま、鈴音は有無を言わさず、私を庭木の間に引きずり込む。
彼女の意図が掴めないまま、ツツジの影で彼女がさらに間合いを縮めてきた。
少し体を屈めれば、キスしてしまいそうな距離に鈴音の顔があった。
いつも柔和で穏やかに見えるその顔立ちが、また、挑発的な感じで木漏れ日を受ける。
「ほら、言ってみて」
「だから、何を言って――」
ぴとっ、と鈴音の人差し指が私の唇に当てられた。
その大胆な行動にも驚いたが、直後、鈴音が口にした、まるで私の心の深奥を最初から悟っていたような言葉に、すうっと意識を抜き取られる。
「ここなら、誰も聞いてないよ?」
このツツジの影には、私と鈴音しかいない。
私の声を聞くものは、先程自らの秘密を明かした松江鈴音しかいないのだ。
そっと、鈴音の指が私の唇から閂を外す。
『言ってみるなら、今しかないぞ』
そう、誰かが私の耳元で囁き、そして、背中を突き飛ばした。
「…私、別にドSじゃないから、みんなが勝手に押し付けてくるイメージに、うんざりしてるんだ」
「うん」
「本当は…私が反射的に口にする淡白だったり、冷たく聞こえたりする物言いなんて、無視してほしい。私の言葉とか、意思なんてどうでもいいから…」
「うん、うん」
誰かを責めたいわけでも、強気に振る舞いたいわけでもない。私の習慣がそう見せるだけなんだ。
だから…私を…。
「もっと、子犬みたいに可愛がってほしい。ぞんざいに扱っても、いいから…」
「犬みたいに?」
「…うん」
魂が抜けたように、上の空で呟いた私は、自分がとんでもないことを鈴音に明かしてしまったと遅れて気付いた。
しかし、気付いたときには、遅かった。
キラキラと光らせた瞳で、鈴音は私をじっと見つめていた。
まるで、ずっと探していた宝物をようやく見つけたみたいに。
刹那、鈴音が私の肩を両手で掴み、唇を寄せてきた。
逃れる暇なんてなかった。いや、暇があっても、私は逃れようとしたのか?
触れる寸前、鈴音が囁いた。
「スケベ」
胸が、ぎゅうってなった。
それがキスをされたことによる驚きとか、興奮とかなら、まだよかった。
でも、たぶん、大元は違った。
だって、私の心は、『もっと言って』と高揚していたから。
いつの間にか身を離していた鈴音が、満足そうに私を見つめていた。
一気に顔が熱くなる。焼却炉の中で踊る炎に当てられたかのよう。
「見ないで…」
消え入りそうな情けのない声を上げ、両手で顔を覆う。あぁ、自分の声なのか?これが。
「嘘」
鈴音は私の懇願なんて全く無視して、顔を隠す私の両手を無理やり剥ぎ取る。いや、違う、私がさっきそう望んだんじゃないか。彼女は私のお願いを聞いただけだ。
「もっと見てほしいくせに。恥ずかしがってるところ」
心臓がどうかしてしまうのではというほどの胸の高鳴り。気が狂いそうな、高揚感。
私、変態だ。からかわれて、う、嬉しくなっている。
この心をこじ開けた張本人は、私が羞恥や興奮から言葉を失っているのを理解すると、またも満足そうに、意地悪に微笑み、こう告げた。
「可愛い、可愛いよ。ドMな島添さん」
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