第2話 あべこべな私たち.2

 秋めく十一月、私は風の噂で美紀の告白が上手くいったことを知った。


 彼女の想いをわざとじゃないとはいえ打ち付けた身としては、どことなく安心を覚える便りだった。


 数少ない友人である心愛が、「必ず愛は勝つということか…」と掃除の時間中に私を悪者みたいに仕立て上げてふざけたから、思い切りそのお尻を箒の柄で叩きつけてやった。


 さすがに痛かったらしい心愛が、今際の際のカエルの声そっくりの悲鳴を発したから一時はスッキリしたものの、すぐにクラスメイトからSMプレイだの、女王様だの不本意な言葉を貰ったうえに、先生から酷く注意されたからプラスマイナス、むしろマイナスという感じだった。


 クラスの女子たちは、気弱で引っ込み思案だけれど芯のある性格をした美紀の幸せを嫌味なくお祝いした。もちろん、私も輪の隅っこのほうで祝福を口にした。


 風向きが少し変わったのは、美紀の恋人を一目見てみたいと、彼女を迎えに来るその人を、放課後、クラスメイト数人で校門にて待ち伏せしたことで始まった。


 美紀は照れた顔で、「みんなが考えてるような人じゃないと思うから…驚かないでね?」なんて予防線を張っているのを、誰もが適当な相槌でかわしていた。


 きっと、みんなちょっとした刺激が欲しかっただけなんだと思う。本気で美紀の恋人に興味がある者はいなかっただろう。


 その悪趣味には、私も付き合った。心愛が無理やり連れてきたのもあるが、最近、少しずつ関わる機会の増えてきている鈴音も、心愛によって無理やり参加させられていたから、彼女が心愛に変な悪ノリをさせられないよう、私も一緒にと思ったのだ。


 王子様みたいな人かもしれないだとか、いやいや、意外と派手な人かもとか、不良かもとか、みんな好き勝手に盛り上がっていたが、当の本人である美紀は、あくまで普通の人だと困った様子で笑っていた。


 みんな、息を潜めず堂々と美紀のそばでその人を待っていた。だが、一向に彼女へ向かって歩いてくる男の子は現れない。


 おかしいな、と何人かが思い始めたそのとき、不意に、美紀が片手を挙げて手を振った。


「あ、薫ぅー!」


 遂にこの時が、と一同身構えるも、やはり、男の子はどこにもいない。いるのは、他校の女子生徒ぐらいのもので――…。


「美紀、お待た、せ…?」


 直後、その他校の女子生徒が美紀の名前を呼んだ。


 薫と呼ばれた女の子が、私たちを見て浮かべた困惑顔は、それはもうすごいものだったが、私たちだって、一同、凍りついて動けなくなってしまっていた。


 そう、美紀の恋人は、“彼女”だったのである。




「ニューワールド…」


 顎に手を当て、意味が分からない単語を吐き出したのは心愛だった。


 美紀の恋人が女の子であった衝撃から、はや三十分。私たちは美紀と薫さんの邪魔にならないよう、すぐにその場を去り、学校近くのファミレスでポテトやらアイスやらをつまんでいた。


「美紀め…彼女ならそう言っとけやい…なんか、失礼な反応しちゃったかもじゃん」


「あんたはだいたい失礼なんだから、気にしても意味ない」


 珍しく自分の振る舞いを気にした心愛にフォローのつもりでそう告げるも、彼女は口を尖らせ、周囲に同意を求めるように声を大きくした。


「いやぁ、もう、色々とセンシティブな時代じゃぁん。私、そういうところで常識ないって思われるのは嫌なんだよねぇ」


「うわ、何その発言、槍の雨が降りそう」


「槍時々斧?」


「意味が分かんないから、黙って」


「せっかくノッてあげたのに」と心愛が唇を尖らせたのを、みんなで笑う。


 私はなんとなく、誰も美紀のことを悪く言う者がいなかったことでホッとした。多少、冗談が過ぎるメンバーもいるが、誰も本気で友人を傷つけたり、差別したりしないと分かったからだろう。


 ただ、そんなメンツでも、やはり面倒は起きるのだと改めて実感することになるのは、話題が美紀と薫さんから少し逸れて、『女の子同士の恋愛』になったあたりからだった。


「椋は女子に好かれそう」


 そう言い出したのは誰だったか。いつもどおり、心愛だったか。


 あー、分かるぅ、とみんな揃って心愛の意見に賛同する。鈴音も、「島添さんかっこいいもんね」とはにかみながら肯定していた。


「あんたらさ、どういう理屈で言ってんの、それ」


 私が目くじらを立ててメンバー一同を睥睨すれば、誰からともなく、私の例の性質について言及し始める。


「ほら、椋って、ドS俺様系じゃん」


「分かる。なんか、壁ドンとか、エロい意地悪とかしてくれそう」


「アタシだけ見てろ、的な?」


「言ってそー!」


 勝手にはしゃぐ友人たち。私がどれだけ不服さをみなぎらせた眼差しを向けても、どこ吹く風。妄想の世界にどっぷりだ。


 私は生まれてこのかた壁ドンなんてしたことないし、そんな気持ちの悪い台詞を吐いたこともない。俺様系なんて心外極まりないし…エロい意地悪って、なんなんだよ、それ。


「うぜー…」とため息混じりにぼやけば、冗談が行き過ぎたと思ったのか、心愛以外のメンバーは中身のない謝罪を始めた。


 そういったものにうんざりした私は、「謝るくらいなら始めから言うなよ。馬鹿なの?」と吐き捨てたのだが、それでますます雰囲気が沈んだものになってしまって、いよいよ苛立ちが加速した。


 勝手に私という人間に“ドS”属性を付与して、勝手に扱いづらい人間にしないでほしい。無責任だ。


 周囲のこういった扱いのせいで、教室での私はまるで野良犬のようだ。本当は、もっとコロコロ転がしてもらえそうな、愛され玩具系ワンワンがいい。いじるなら、最後まで責任をもっていじるべきではないか。


「そもそも、私はさぁ…」


 勢いのままそう切り出した私を、誰もがじっと見つめた。でも、その先に続く言葉を自分自身が持っていないことに気づいて、我ながら間抜けだと口元をへの字に曲げる。


「私は?」と心愛が続きを促すが、私はどうしようもなくて、「なんでもない」と答える他なかった。


 そもそも、なんだ。


 そもそも私は、なんだ。


 何を言おうとしていたのか、口を閉ざして考えたが、どうにもまとまらず、曖昧模糊としている。


 色々考えるのが面倒になっていたときだった。不意に、鈴音が隙間風みたいな声で笑った。


「ど、どうしたの?鈴音ちゃん」と心愛が心配そうに問う。私も心配だった。


「え、あ、ごめんね。ただ…」


 きらっ、と光る、鈴音の黒曜石。この間見た、少し意地の悪い輝きだ。


「不満気な島添さんって、なんか可愛いなぁって思っただけ」


 心臓が一つ強くはねた。


 息苦しくて、どうしたらいいか分からずにいるうちに、心愛がふざけた口調で、「えー、鈴音ちゃん、椋推し?同担じゃあん」なんて言ったから、一同もつられて声を上げて笑った。


「お前がふざけるから、鈴音さんまでふざけ始めただろうが、馬鹿」


 私は打って変わって満更でもない気分になり、軽く心愛を睨んだのだが、それに応えたのは彼女ではなかった。


「ふふっ、私は全然、『椋推し』でいいよ?」


 それはきっと、私の名前を呼んだわけではなかったのだろう。だが、それが分かっていても、鈴音の口から私の名前が出た途端、胸が熱くなる、形容し難い感情が押し寄せてきたのは事実だ。


「ちょ、い、いいから、悪ノリしなくて」


「ん?悪ノリしてないよ?」


「いや、悪ノリだって、それ…」


「なんで?」


「な、なんでって…」


 間髪入れずされた質問に、一瞬、答えに窮する。しかし、すぐに我ながらこれ以上ない理由が浮かんで、思わず自嘲的な笑いと共に口を開く。


「はぁ…あのね、私も馬鹿じゃないから。自分が間違っても可愛い系じゃないのは重々承知してますよ」


 そうだ。私は別に、可愛がられるタイプじゃない。それが自分でも分かっているから、腹立たしいことが多いんじゃないか。


 だが、鈴音がすぐに打ち返してきた言葉は、そんな私の持つ自己像を容易く否定した。


「えー?私は可愛いと思うよ?ねぇ、みんなもそう思うよね?」


 鈴音の声に欺瞞はなかった。私を馬鹿にしてやろうという意思も。だからこそ、みんな、どう反応したらいいか分からない顔で互いの出方を伺っていた。


 そのうち、行動の正解を求めるみたいにして、全員の視線が私に集まった。


 私が可愛いかどうか、見定めているのか?


「な、なに」


「いや…椋推しの鈴音ちゃんがああ言ってますぞ。コメントは?」


「コメント…!?」


 一体何だ、何を求められているんだ。


 ぐるぐる回る頭で、一応、一生懸命に考える。


 可愛いはずがない。ドS、ドSと揶揄される私が。


 それなのに…どうして、そんなふうに確認してみせるのだ。


 いっそのこと、誰でもいいから、『椋が可愛いはずないじゃん』と一笑してくれないだろうか。


 見られている、という感覚が、私から平常心というバリアを奪い去った。


「…じ、じろじろ、見んなし」


 かあっ、と頬に、耳に、熱が宿っていくのが嫌でも分かった。誰も見ていないなら、パタパタと手で顔を仰ぎたくなるほどだったから。


 落ち着かなくて、前髪をいじる。視界を閉ざすように、何度も、何度も。


「おぉ…」なんてぼやいたのは、多分心愛だったはず。そのときの私は、とてもじゃないけれど冷静でなんていられなかったから、はっきりとはしない。


「確かに、これはこれでギャップ萌えかも」


「だ、だからぁ!見んなって、ばかっ!」


 潮のように心に満ちていく羞恥心を隠すべく、慌てて両手で顔を覆うが、これがまた周りには意外に見えたのだろう。いつものメンバーたちは、見慣れない私の姿を目の当たりにしてざわついていた。


 そんな中、鈴音が満足気に呟く。


「ね?恥ずかしがってるところなんて、特に可愛いでしょ」


 指の隙間から覗く鈴音の面持ちには、あの意地悪な光が瞬いていたのである。



 ④




 私のような人間にとってみれば、テスト期間中の静けさは、自分の孤独を浮かび上がらせる嫌な装置であった。


 友人がいないわけではない。当然、いじめられているわけでもない。むしろ、相手の反応からしか自分の発言の良し悪しを判断できないこの口のせいで、人を傷つけることのほうが多い。でも、やっぱりありのままの自分を知ってもらえていないという感覚は強い。何かと仲良くしてくれる心愛でさえ、本当の私に触れることはないのだ。


(…って、本当の私なんて、イタイよなぁ…)


 自分自身でさえ知り得ないものを、どうして他人が知ることができるだろうか?くだらない妄想に浸る暇があるなら、一つでも多く公式や単語を脳みそに定着させたほうがいいに決まっている。


 …とはいえ…。ついさっきも、「椋が図書室なんて、どうしたの」なんて言われたばかりだから、気乗りはしない。


 私は元来、勉学に励むのは嫌いなほうではないのだ。正解がわかりやすく存在している問題集は、夜道の街灯みたいなものだった。


 それから、本だって好きだ。口にしても絶対に似合わないと否定されるから言わないが、恋愛小説が自室の本棚にはたくさん並んでいる。


 だから、図書室を使うこと機会だって少なくはないのだが…所詮、イメージには勝てない。実像は脆い。


「はぁ…」


 テーブルが狭いせいで、あまり人が寄りつかない、図書室の隅のほうにため息が一つこぼれる。目の前の窓には、揺れるクスノキの葉がいくつか貼り付いていた。


 集中が途切れた拍子に、なんとなく、最近よく喋るようになった松江鈴音のことを思い出す。


 決して気弱なわけではないが、なんでも許してくれる感じのために、クラスメイトから何かと絡まれるゆるふわ系女子。ルックスは普通に可愛いだろう。クラスの男子が彼女にしたい、と内緒話をしているのを何度か聞いたことがあるくらいだ。


 たまに、『ドS』と『ドM』なんて酷いペアにされる私と鈴音だが、よくよく考えると、鈴音は一言だって私のことをサディスト呼ばわりしたことはない。むしろ、ありえないことだが、可愛いとか、押しに弱いとか、意外な評価を下してくるのである。


 鈴音に見えている私は、一体何者なのだろう。


 実像?それとも、やっぱり虚像?


 それは誰が決めるのか…。


 私はゆっくりと目を閉じる。思い出をあさるとき人が無意識にする、自然な動作だ。


 いたずらっぽく微笑む鈴音を脳裏に浮かべると、妙に胸がざわついた。彼女にそうして微笑まれたとき、悪い気がしなかったことだけは間違いない。


(…あぁ、もう。恋する乙女かよ、私は)


 勉強に集中するべきだ。そうでないなら、せめて息抜きにコーヒーでも買って飲んでくるべきだろう…。


 そっと目を開いた刹那、私は驚いて飛び上がった。


「うわっ」


 図書室なのに大声を出してしまう。図書委員がチラリと私を一瞥したが、目線があうや否や、何も見なかったふりをするべく、バッと手元の本に視線を戻していた。


 私はちょっとした気恥ずかしさから、頭をかきながら椅子に座り直し、じろり、といつの間にか隣の席に着いていた客人を見据える。


「いつからいたの、鈴音さん」


 私の問いかけを受けて、松江鈴音はやはり悪戯っぽく微笑んだ。


「さっきだよ、島添さん。テスト勉強?」


「まあ」


「ふぅん。島添さん、成績良いもんね」


「それほどでも…」


 今の返しは謙遜でもなんでもない。成績は中の上程度だ。


 私は頭に思い描いていた人物が思いがけずその場にいたことに驚きを覚えていたのだが、そのうち、鈴音が聞き慣れない声と共に指差した自分の右手のことですぐに忘れてしまった。


「島添さん、指、血が出てる」


「え?あ、本当だ」


 さっき飛び上がったときにプリントの端で切ったのだろう。肌の表面に真一文字に入った線から、赤い血が滲み出ていた。


「大丈夫?絆創膏、いる?」


 少しくらいは罪悪感を抱いたのか、鈴音が眉をひそめる。私は小さく首を振ると、羽虫でも払うみたいに手を小さくひらひらさせて答えた。


「こんな傷、絆創膏がもったいないって」


「…でも、プリント汚れちゃうよ」


 それもそうだと思いつつ、肩を竦めてから指先を口の前に持ってくる。


「舐めときゃ、血も止まる」


 私はそう告げるや否や、躊躇なく、自分の人差し指を一瞬咥えた。


 口の中に広がった鉄の味を厭わしく思いつつ、唇の間から抜けば、目を丸くした鈴音と視線が重なる。


(あ、汚いと思われたか…)


 ちょっとだけ羞恥心に見舞われる。見るからに育ちの良さそうな鈴音からすると、ありえない対処法と思われた気がしたからだ。


 だが、私の指をしばらくじっと見つめた鈴音が口にしたのは、こちらの品のない行動への苦言ではなかった。


「…島添さん、まだ、血…止まってないよ?」


「あ?ああ…」


 刹那、じゃあ、テイッシュでも…と考えた私の手を、鈴音の手が捕らえていた。


 どうしたのと、意図を問う暇も、必要もなかった。


 私の指先を覆う、生暖かい感触。そしてすぐに感じた、ざらりとした、舌の感じ。


 鈴音が私の指を咥え、傷口を口の中でぺろりと舐めた――その事実を認識するのに、馬鹿みたいに時間がかかってしまった。


 呆気に取られているうちに、鈴音の桜色の唇が、ちゅぱ、と音を立てて離れる。酷くいやらしく、下品だった。だがそれと同時に、強烈に扇情的で、彼女の唇から目が離せなくなってしまった。


「い、い、今…く、くわ…」


 ようやく口が動いたと思ったら、情けなく口ごもってしまう自分がいた。


「あ…ごめんね」


 それが形だけの謝罪なのは、私みたいな人間にはすぐピンときた。なのに、嫌悪感は覚えない。


「……嫌、だった?」


 私の手を握ったまま、姿勢を前に倒し、小首を傾げてそう尋ねてくる鈴音。その瞳には、小悪魔みたいな光が生き生きと脈動していた。


 あざとい、可愛い。もっと。


 そういう言葉が繰り返し、脳内で乱反射。


 もっと、って何を?


 自分に問う。


 指先を咥えられたことでは断じて無い。また違う何かが…。


 私は思考を断ち切るみたいに首を小刻みに左右へ振る。


「べ、べ、別に、嫌じゃない、び、びっくり、した、だけだし」


「うぅん、でも、今の…間接キスになっちゃったし…気持ち悪いとか、思わなかった?本当に?」


「かっ…」


 一生懸命カッコつける私を粉々にしたいのか。


 そうとしか思えないような、鈴音の発言。


 心臓が止まりそうだった。陸なのに、呼吸ができなかった。鈴音と目が合っている間だけ、自分が魚にでもなっているみたいだった。


 思わず、目を逸らして俯く。そうしないと、声など、言葉など、生み出しようもなかったのである。


 だから私は、狡猾にも、鈴音がきちんと周囲が自分たちを見ていないかどうかを確認していることに気づかないまま、情けなく、小さな声を震わせてこう告げるしかなかった。


「…………べ、別に…」


「ふふ」


 ぐっ、とさらに姿勢を前に倒した鈴音が、俯いた私をさらに下から上目遣いに覗き上げ、無理やり視線を合わせて言う。


「じゃあ、いっか?ね、島添さん?」

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