佐々木前日譚

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仕事終わり、ピロンと軽快に通知が鳴る。

スマホにつけたピンク色のくまのキーホルダーが揺れ、少し口元が緩むのを感じた。

ピロンピロンと続けて通知が鳴る。


「…おや」


友人からの連絡だ。

大学時代からの友人である。

ついこの間に変な女に会ったという話を聞いたばかりだというのに。

一体、今度はなにがあったというのだろうか。



数日後、僕は友人の自宅に訪れていた。

まず驚いたのが、友人の風貌である。

この間会って話を聞いたときに比べて頬がこけ、顔色が悪い。

ふらふらと歩くその姿に、少しの不安を覚える。


「…体調でも、悪いんですか」


ここ数日であまりにも変わりすぎている。


「…え?あぁ…だいじょ、うぶ…大丈夫だ…」


友人は掠れた声で答える。

心ここにあらず、といったような受け答え。


「一体、何が…。また、なにかあったんですか」


友人はぎゅっ、と強く僕の肩を掴んだ。

突然のことに驚き体が硬直する。


「なんですか、」


と、問いかける僕の声に被せるように友人は言葉を紡いだ。


「結ばれないと、いけないんだ」


結ばれる?

それはあまりにも唐突で。

何が言いたいのかよくわからない。

脳内でいくら答えを探しても、正解なんてどこにもなかった。

僕は「どういう意味ですか」ということしかできない。


「結ばれないと、誰かと結ばれないと。早く…じゃないと、俺が」


頭を抱えうずくまる友人。

”おかしい”。

明らかに常軌を逸している。

今すぐ逃げなければ。


「なぁ、佐々木。お前なら、お前なら俺を助けてくれるよな。助けてくれよ、ずっといるんだ。あの女がずっと俺を見て笑ってる。早く結ばれないと、俺が、俺が、」


凍えそうなほど冷えた空気の中で、友人の言葉だけが静かに響く。

声の抑揚はほとんどなく、ただ機械のように何度も同じことを繰り返す。

「佐々木、なぁ、たのむよ。佐々木、」


指先は白くなるほど僕の腕に食い込み、感情の読めない骸骨のような友人の顔がすぐそばにあった。

ぎゅうっ、と僕の腕を掴んで離さない友人を無理やり振り払い、家から逃げ出す。

友人が後ろで何かを怒鳴っているが、僕は自分のことで頭がいっぱいで。

足音よりも、自分の心臓の音のほうが大きく響いているように感じた。


焦りのせいか、足元の小石につまずき握っていたスマホが手から滑り落ちる。

ガシャン、と嫌な音がした。

画面には細い亀裂が蜘蛛の巣のように広がっている。

ロック画面には、無邪気に笑う姪の写真が映ったままだった。

亀裂が顔の上を走り、笑顔の輪郭だけが歪んで見える。

可愛いはずのそれが、なにか別の嫌なものに思えて。

僕は割れた画面を気にせず、スマホをポケットに押し込んだ。



それから更に数日後のことだった。

友人が首を吊って死んだ、と聞いたのは。

喉がひゅっ、と小さく音を出す。

水中にいるように息が詰まった。

周囲のざわめきが遠のき、まるで自分だけ音のない世界に閉じ込められてしまったかのような感覚に陥る。


胃の奥がぐらりと揺れ、口の中に苦い味が広がる。

耐えようと歯を噛み締めたが、抑えることができず壁に手をついて前かがみになる。

喉の奥から込み上げるものを吐き出す音が、びちゃびちゃとやけに大きく耳に響いた。


先程聞いた話が、吐き気の名残をかき混ぜるように頭の中で渦巻く。


”遺体が水でびしょびしょだったそうよ。でも、おかしいと思わない?水場は使われた跡がなかったんですって。”


あぁ、なぜあの時見捨ててしまったのか。

こんなの僕が殺してしまったようなものじゃないか。

重い鉛のようなものが沈んでいく感覚。

息を吸うたび、それが段々と僕を支配する。


視界の端に女が映る。

長い黒髪の美しい女性だ。

美しいが、どこか不気味な笑顔でこちらを見つめている。


女が近づいてくる。

空気が冷え、背筋を氷の指でなぞられたような感触が走る。

”逃げろ”と脳は危険信号を出しているのにもかかわらず、僕の体は動こうとしない。

膝がわずかに震え、足は床に縫い止められてしまったようだ。

女は僕の耳元で囁くように言う。


「邨舌∋」


耳から入った言葉は、僕の心臓を直接ぎゅっと握りしめたように、絶対に逃さないという強い意志を見せる。

僕は、このとき初めて友人の言っていた言葉を理解した。

鼓動が乱れ、心臓の音だけが異様に大きく響く。


「結ばれないと、」


この時、自然と漏れ出た言葉に僕は気が付かなかった。


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気づくと、一軒の家の前にいた。

足元の影だけが妙に色濃く伸びている。

なぜ、ここにいるのかはわからない。

はっきりとしない頭の奥で”なにか”が「ここだ」と囁いている。

ここに来た理由は思い出せないのに、その囁きに従うべきだと感じる。


あぁ、思い出した。

ここは私の知人の家だった。

名前を思い浮かべようとしても指先から砂のようにこぼれ落ち、顔だけが鮮明に浮かぶ。

その落差が不気味で、汗でシャツが張り付くのを感じた。

”なにか”が「早くしろ」と怒鳴る。

頭が割れそうなほど痛い。


おぼつかない足取りで玄関の前へ進む。

ピンポーン、と軽快なチャイム音が鳴り響く。


それから少しして、がちゃがちゃと音がしてドアが開く。


「…一体、どうしたっていうんだ。こんな時間に。」


眠たげな表情。

寝ていたのだろうか、声に少し苛立ちが滲んでいる。


私は、少し笑みをこぼし家主にある提案を告げる。

「ドライブに、行きませんか。」

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うみおんな まるたろう @marutaro_17

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