第10話 新しい日常、これからの未来


 裁判から三ヶ月。


 季節は巡り、秋風が心地よい季節になっていた。


 私は今、リョウさんの会社で正社員として働いている。  経理と総務を兼任し、あの時必死に覚えたスキルをフル活用する毎日だ。


「相沢さん、この決算書の処理、完璧ですね。助かります」


「ありがとう。次はこちらの資料をお願いできるかな?」


 社内の人たちは皆、私を一人の「仕事仲間」として尊重してくれる。


 「お前には無理だ」「邪魔だ」と否定され続けた日々が、まるで遠い昔のことのようだ。


 私は今、確かに自分の足で立ち、社会の中で呼吸をしている。


     ◇


 十七時。定時を過ぎた頃。  私は社長室のドアをノックした。


「社長、少しよろしいですか?」


「……ああ、入れ」


 中に入ると、リョウさんがデスクに突っ伏していた。  新しいプロジェクトの立ち上げで、相当疲れが溜まっているようだ。


「リョウさん、ちゃんとお昼食べました?」


「……忘れてた。ゼリー飲料は飲んだ」


「それ、食事じゃありませんよ」


 私は呆れながら近づくと、デスクの端に置かれた空き容器を片付けた。


 かつての「強制労働」とは違う。  これは私がやりたくてやっていること。  だって、放っておくとこの人は本当に死んでしまいそうだから。


「今日はもう上がりましょう。夕飯、私が作りますから」


「……いいのか? 疲れているのに」


「リョウさんの顔色が悪い方が心配です。  それに、私のマンションのキッチン、料理したくてうずうずしてるんです」


 そう言うと、リョウさんはようやく顔を上げ、少し照れくさそうに笑った。


「……いつもすまない。甘えてばかりだな」


「お互い様です。リョウさんのおかげで、私はここにいるんですから」


     ◇


 二人は並んでオフィスを出る。  夕焼けに染まる街を歩き、スーパーで食材を選ぶ。


 私のマンションで夕食を終え、コーヒーを飲んで一息ついた時だった。


 リョウさんがふと、真剣な眼差しで私を見た。


「ミユ」


「はい?」


「……このマンションの契約更新、来月だよな」


「あ、そうですね。早いものです」


「更新、しなくていいぞ」


 え、とカップを持つ手が止まる。  まさか、追い出される?


 一瞬不安になった私を見て、リョウさんは慌てて首を振った。


「違う、そうじゃない。……その」


 彼は視線を泳がせ、耳まで真っ赤にして言った。


「俺の家も広いし、部屋も余ってる。  ……それに、俺の家事能力が絶望的なのは知っての通りだ」


「ふふ、そうですね」


「だから、その……一緒に住んだ方が、効率的というか、合理的というか……」


 しどろもどろな言い訳。  でも、その瞳は熱を帯びていて、私の答えを待っている。


 私はコーヒーカップを置き、彼に向き直った。


     ◇


 かつて「牢獄」だと思っていた結婚生活。  でも、この人となら。  対等で、お互いを思いやれるこの人となら、きっと違う。


「リョウさん」


「……なんだ」


「それ、家政婦として雇うつもりですか?」


 私が悪戯っぽく尋ねると、彼は強く首を横に振った。


「まさか。……パートナーとしてだ。一生、俺のそばにいてほしい」


 その言葉を聞いた瞬間、胸いっぱいに温かいものが広がった。  私は満面の笑みで答える。


「……はい。家事能力ゼロの社長さんのお世話、私が引き受けます」


 リョウさんが安堵の息を吐き、私をそっと抱き寄せた。  彼の腕の中は、驚くほど温かくて、安心できる場所だった。


 窓の外には、都会の夜景が広がっている。  私の未来はもう、曖昧じゃない。


 自分の足で歩き、愛する人と共に築いていく。  そんな、明るく輝く日々が待っているのだ。


 私はリョウさんの背中に腕を回し、小さく呟いた。


「私、今、すごく幸せです」


 長い長い夜が明けて。  私たちの新しい朝が、今ここから始まる――。


(完)

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『お前は邪魔だ』と言い捨てた冷徹義兄が、実は私を地獄から救い出すために猛特訓させていた件〜200万の給料と資格を武器に、モラハラ夫と義実家を完膚なきまでに叩き潰します〜 品川太朗 @sinagawa

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