第9話 裁判という戦場


 電話に出た夫・ユウジの第一声は、予想通り間抜けなものだった。


『おいミユ、どこにいるんだよ? 母さんが「夕飯まだか」って怒ってるぞ。早く帰ってきて謝れよ』


 私は冷静に、事務的に告げた。


「帰りません。離婚してください」


『は? ……何言ってんの? 冗談だろ』


「本気よ。弁護士を通じて書類を送ります。もう二度と、あなたたちの顔を見るつもりはありません」


 一方的に通話を切ると、私はスマホの電源を落とした。  震えていた指先は、もう止まっていた。


     ◇


 それからの展開は泥沼だった。  ユウジと義両親は離婚を断固拒否。「育ててやった恩を仇で返すのか」と、私の実家にまで電話をかける騒ぎとなった。


 だが、今の私には最強の味方がついている。


 裁判の日。  法廷で対峙したユウジと義母フミエは、私を見るなり鬼のような形相で睨みつけてきた。


「ミユ! いい加減にしなさい! 家族の恥を晒して、何様のつもり!?」


「ユウジくんは仕事で疲れてるのに! あんた、それでも妻なの!?」


 相変わらずの罵意雑言。  けれど、私は眉一つ動かさずに彼らを見据えた。


「私はもう、あなたたちの奴隷じゃありません」


 裁判が始まると、相手側は「性格の不一致に過ぎない」と主張し、離婚の無効を求めた。  こちらの弁護士が、静かに一冊のファイルを提出する。


「原告は被告らにより、著しい精神的苦痛と経済的搾取を受けていました。これがその証拠です」


 提出されたのは、リョウさんが作成してくれた『給与明細と振込記録』。  そして私が毎日つけていた『家事・業務日誌』。


「原告は朝四時から深夜一時まで労働を強いられ、被告・フミエ氏は、原告の給与を半年間にわたり横領していました」


「なっ……!?」


 義母が顔を真っ赤にして叫ぶ。


「人聞きの悪い! あれは嫁の管理をしてやってただけよ!  家族なんだから財布が一緒なのは当たり前でしょう!」


 そこへ、証人として証言台に立った人物を見て、二人は絶句した。


「……リ、リョウ……?」


 スーツ姿のリョウさんは、氷のように冷たい視線を家族に向けた。


「会社の代表として証言します。  母・フミエは『ミユには金を持たせるな』と要求し、全額を搾取しました。これは明確な経済的虐待です」


「兄貴!? お前、ミユの味方するのかよ!?」


 ユウジが情けない声を上げる。  リョウさんは弟を一瞥し、冷たく言い放った。


「俺は正しい方の味方をしただけだ。  ユウジ、お前は夫として彼女を守らなかった。その罪は重いぞ」


 さらに、法廷には私が密かに録音していたボイスレコーダーの音声が流された。  リョウさんが渡してくれた、あのペン型のレコーダーだ。


『食い扶持分は働け』 『無料の家政婦』 『邪魔だ』


 罵倒の数々に、裁判官の表情が険しくなっていく。


 勝負は、一瞬でついた。


 判決は、私の全面勝訴。


 離婚の成立と、多額の慰謝料支払いが命じられた。


「嘘よ……こんなの、嘘よぉぉ!」


「金なんてないぞ! 兄貴、なんとかしてくれよ!」


 泣き崩れる義母と、リョウさんに縋り付こうとするユウジ。  しかし、リョウさんは彼らを冷ややかに突き放した。


「俺に頼るな。……ああ、それから。  俺も今日限りで、この家との縁を切らせてもらう」


「え……?」


「仕送りも、実家のローンの補填も、全て打ち切る。  これからは自分たちの稼ぎだけで生きていけ」


 リョウさんは最後に、哀れむような目で二人を見た。


「無料の家政婦も、俺の金もない生活が、どれだけ厳しいか知るといい」


     ◇


 裁判所の外に出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。


「終わった……」


 深呼吸をする。  空気が美味しい。


 私は、自由になったのだ。


 隣に並んだリョウさんが、少しだけ心配そうに私を覗き込んだ。


「……大丈夫か?」


「はい。とっても、スッキリしました!」


 私が満面の笑みを見せると、彼は眩しそうに目を細めた。


「そうか。……なら、行こうか」


「はい!」


 後ろは振り返らない。  私の前には今、明るい未来だけが広がっているのだから。

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