第5話 出発

 葬式場から車に乗って、だいたい二十分ほど。 

 思い出を辿るように、けれど一切の迷いなどなく、気付いた頃には家に到着していた。

 僅かに建造物とか、立っていた店とかは変わっていたはずだけど、阿波野ゆめは一切迷うことなく運転していたし、こちらにココは曲がるんだっけ?なんて言うカーナビ補助を求めることも一度もなかった。


 強いて言うなら、綾部さん家の近くの……あ、ココです、ココの弁当屋さん潰れたんですよ。 というのに対してはえぇっ!?と素っ頓狂な声を上げて驚いていたし、今日の昼ごはんの計画がチャラだなぁ……と切なげに、そして単純に昼ごはんを探す手間が増えてしまったからなのか面倒くさそうにブツブツ言いつつ、弁当屋跡地の所を右に曲がった。

 跡地を曲がったすぐ隣の建物、視界に入る綾部さん家のもう何件か先が、俺の住む長谷川家の家だった。


「ついた。 車は停めていい?」

「えぇ、どうせまだ母さんは帰ってこないので」

「電話とか来てないの?」


 彼女は手際よく家の駐車場に車を停めた。 この家に親父以外の車が止まるのなんて変な光景だったし、親父の車は随分昔に買ったきりのものだったので、止まってる車が新車とあらば尚更奇妙だった。

 シートベルトを外して、ポケットからスマホを取り出すと、ぱっとついた画面に僅かに一件、通知が来ているのが見えた。


「親御さん?」

「クーポンでした。 ゲームの」

「なんだ、びっくりした」


 ほぼ同じくらいのタイミングで、俺とゆめさんは車から降りる。 この砂利は毎日踏んでるはずなのに、近くにゆめさんがいたからなのか、なんだか妙に懐かしい気持ちになった気がした。


「どうしますか、家、入ります?」

「……うーん、まぁ外にいても仕方ないし」

「分かりました」


 こちらとしても、長谷川家に美人のお姉さんが立ってるぞ! なんて騒がれるのは面倒だった……というのは、なんだろう、きっとどこか建前なんだろうなと思う。

 阿波野ゆめと久しぶりに、一緒に家に入りたい。 俺からしたらそんなゲスな思いが多分心の奥にあって、だから彼女が渋々と言うか、何らかの理由があってやっと家に入りそうな回答だったけれども、俺は無性にそれが嬉しかった。


「というか、ゲームやるんだ」


 バッグから鍵を出そうとアレコレ探している時に、阿波野ゆめはそんなことを聞いてきた。

 思えば最後に会ったあの時期、あの夏、あの年は、俺はまるでゲームなんて知らない子供だったか……。


「やりますよ。 いわゆるシナリオゲーとかがほとんどですが」

「アクションゲーム下手だったもんね」

「あれは純粋に歴がなかっただけで……今は、多少マシですよ。 やりますか?」

「んや、いいや」


 昔のお粗末なプレーを唐突に思い出させてくるから、こちらとしてはなんだか恥ずかしくなってしまい、勢い余って対戦を申し込んだものの、あっさりとそれは断られる。

 打ち砕かれるだとか断固拒否だとかじゃなくて、純粋にただ、静かに、ゆっくりと、否を伝えられたのである。


「最近ゲームなんてすっかりしなくなっちゃったからなあ」


 曰く、時間がなくて、お金もなくて(ゲームに払うような)、別に一緒にゲームする友達もいなくて、それを作るのに必要な労力をかけたくなくて、それでもってなんか、疲れるようになったらしい。

 本当にそれが聞くに耐えなくて嫌だったので、俺はわざと大袈裟にバッグを漁って、あれ、ないな、と小言を挟んで彼女のトークを妨害しつつ、大袈裟に見つけた鍵を突き刺して、ドアを開いてやった。


「じゃあ、俺は部屋で荷物詰め込んでくるので、ごゆっくり」

「うん、お邪魔します。 ……久しぶりだなあ」


 当たり前ではあるけれど、彼女の目が、声色が、どれも懐かしい過去を眺める時に発生するものであった事が、俺には何故だか酷く突き刺さった。

 何故だかなんてのは嘘だ、俺はよく知っている、やっぱり取り残されてるのは俺だけなんだ。

 それを自覚をしてしまうのが怖くて、けれどそれは確実なものであることを知って、俺の恋した阿波野ゆめが徐々に、しかし確実に変質している事を、直視したくなかったのかもしれない。



















 荷物はだいたい二十分ほどで詰め終えた。 着替えと、モバイルバッテリー、充電器、財布(身分証明書、保険証なども封入)、使うか分からないけどゲーム機、それと少しのお菓子と諸々……。

 一週間分、と言っても、数日に一回コインランドリーに寄る予定みたいだった(さっき車内で聞いた)ので、荷物は大きめのキャリーケース一個分くらいに収まった。

 それと、ハンガーにかけて適当に置いてた制服を、一応クローゼットの中に戻しておいた。 普段はいちいち取り出すのが面倒だから壁にかけていたけれど、これからしばらく旅行に行くし、制服出しっぱの部屋からの出発はなんだか締まりが悪い気がした。


 部屋を見渡して最終チェック、右オッケー、正面オッケー、左オッケー、オールグリーン。

 最後に昨日読み返していた『イギリス海岸』を肩掛けバッグにしまって、俺は部屋を出る。


 阿波野ゆめが今この家のどこで寛いでいるのか、探す必要があったけれど、それに対しての苦労だとか、面倒臭いだとかそういうのは一切なかった。

 手の届く範囲に彼女がいる。 部屋から出て少し歩き、縁側の辺りを覗きに行くと、彼女ではないが彼女の車がある。


 東京ナンバー。 阿波野ゆめが東京の大学に通ってたことは知っていたし、俺を取り巻く環境において東京は、阿波野ゆめが住んでいる場所という認識がいちばん大きかったから、彼女がこの家にいることの証明としてそのナンバープレートは俺に妙な安心感を与えたのだった。


 居間でもなく、キッチンでもなく、当然にトイレでも風呂でもなくて(トイレはもしかしたらいるかもしれなかったから、とても慎重にノックをしたものだった)、じゃあ結局残ったのは、親父の書斎であった。


 二度ノック。 入りますよと言うと、はい、とだけ短く返事が帰ってきた。 ドアノブを開く、ギチギチ、キイィ、もうすっかり古くなった木造の扉が、気持ちの悪い音をたてながら開く。

 阿波野ゆめは、そこに確かに存在している。 四年前、はつらつな笑顔を持ってして輝いていた彼女は今、親父の使っていたデスクを見て、あの頃を観て、思い出に浸っていた。


「赤ペン、ずっと同じのを使ってたんだね」

「気に入ってたみたいです。 書き心地がどうたら、結構メーカーによって違うみたいで」

「それは聞いたなあ。 ああ、ふふ、なんかね、一時期せんせー、違うペンを使ってた時期があったんだけど、その時のテスト返却の文字がもうほんとに酷くて」

「不評だったんですか?」

「私より汚かったかも」

「ゆめさんも相当でしたよね」

「うるさい」


 眉を八の字にさせて、けれど嬉しそうに彼女は俺に近付いてきて、軽いチョップをお見舞いした。

 全く微塵も痛くなかったけれど、アイタタ、と反応。 嘘つけやい、ともう一撃食らったがそっちの方は割と本当に痛くて、痛っ……と自然に声がつく。 ただゆめさんはもう俺に興味をなくしたらしく、満足したから行こうと言って書斎を出た。

 相変わらず、あの人は勝手すぎる。


 彼女を追う。 通りがかった縁側からまだ変わらず東京ナンバーが見える。

 玄関につくと阿波野ゆめが今まさに靴を履こうとしていて、俺も慌ててそれに続いた。

 靴を履き終えてすっと立ち上がると、本当にちょうど同じくらいに彼女も立ち上がって、近距離で並び立つみたくなってしまう。


「あ、ごめんなさい」

「気にしないで。 ……いやぁ、大きくなったね」


 葬式場で俺におじさんみたいなことするねと話してたけれど、おじさんみたいなのはアンタの方なんじゃないか? と言いかけて、それは流石に女性に言うには失礼だなと言葉を飲んだ。


「あ、なんかおじさんみたいだったな、私」

「あんたが言うんかい」

「言う予定だったの?」

「いいえ? 俺はあくまで超外野的な視点で……」


 本日三回目のチョップであり、先刻の痛っ程度ではすまないガチチョップだった。 ンゴォとキモイ規制を発しつつ、俺たちは玄関から出て、ガチャと鍵を閉じた。


「忘れ物はないかな」


 車に乗り込んでシートベルトをした後……あとはアクセルを踏むだけという万全の体制、改めての最終チェックに、大丈夫ですよとだけ返す。

 彼女がアクセルを踏んで、長くなりそうな旅が始まる。


 早々に、まぁ最悪、旅先で買えばいいからね。 私が奢るし。 という、旅が始まる以前の会話を持ち出してきたので、もうそういうロマンチックな思いは打ち砕かれた。

 それと、奢る、その言葉でふと、 そういえば諸々の費用のことについて聞くのを忘れていた事に気付く。


「あぁ、それなら奢るから気にしなくていいよ。 各地の温泉旅館に泊まる予定。 空いてなかったら、ビジネスホテル。 それもなかったらラブホテル」

「あの、俺高校生なんですけど……」

「行けるとこは行けるよ。 申し訳ないけど、車内泊とか、ネカフェ泊まりとかはダメね。 女の子だから私」

「ちなみに、ラブホの場合俺だけ車内泊でというのは……」


 今はまぁ諸々と、あの頃と変わって成長した(成長も必ずしも良い意味とは限らない)とはいえ、今も尚彼女が初恋の女性であるという事実には変わりない。

 初恋の女の子とラブホテルなんて俺はとてもそういう欲求を抑えられる自信が無いし、というかそういう事を女性としたことが無いから、そういう面においても自信もないし、だったら車内泊で寂しい夜を過ごした方がよっぽどマシなように思えた。


「ダメだよ。 楽しもうよ、ラブホ。 あわあわ風呂とかあるんだよ」

「いや、と言いましても……」

「大丈夫、ベッド大きいから。 離れて寝れるからね。 こんなおばさんの肌を感じなくて済むよ」


 言いつつ、先程よかやや強めにハンドルを切る阿波野ゆめ。 おばさんなんて思ってない、全然まだ若いでしょう? と返すと、当たり前でしょと彼女はやや不機嫌になった。

 もしこの会話に将棋がごとく一時間の持ち時間があった場合、俺は長考する場面と気付かず早打ちして悪手を打つか、深読みして長考し一時間を使い果たした上で悪手を打つかの二択だったように思う。 要するに、悪手しか打ちようがない。

 こんな話題振るなよ、と本気で思った。


「……というか、お詳しいんですね、ラブホについて」


 将棋において、一度悪手を打つとそれが連続しやすいと言われるが、これはその最たる例だった。

 勢いで聞いてしまったが、それは返答次第で俺の精神を粉々に砕くものである。

 彼氏がいて、彼氏がいたけど別れて、彼氏はいないんだけどそういう人がいて、どれが帰ってきても地獄だ。 やめてくれ。

 俺の中で確かに今、阿波野ゆめの定義が揺らいでいるのは事実だが、しかしそういう面においてはまだ清純でいることを信じていて、


「まぁね。 仕事で出張になると外泊するんだけど、ラブホにたまに泊まる時もあるんだ。 ビジホ取れなかったりするとね。 寂しいよ、ラブホの一人分の領収書貰って帰るの」


 要するに、どうやら彼女はカメラマンの仕事を大学に行きながらやっていたらしくて、その関係でラブホに泊まることも多かったとの事だった。


「ちなみにこの旅は、完全実費だから安心していいよ」


 じゃあドライブデートじゃなくて、これも仕事の一環か、奢るじゃなくてそれは経費で落ちてるだけなんじゃないか、そういう考えのどこまで読まれてたのかは分からないが、大人しく彼女に彼氏がいないことにとても、酷く、すごく、安堵するのだった。

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