第3話 乗せられて
「イギリス海岸って名前なのに、イギリスじゃなくて海岸じゃない。 覚えてる? 君が初めて会った時、教えてくれたことだよ」
一応覚えてはいたけれど、そんな痛々しい言い方したっけ? と思った。
イギリス海岸って場所があるんです、イギリスじゃなくて岩手にあるんですけど、だけで良かっただろ。 あの頃の俺はつくづく今の俺の心に負担をかけてくる。
いわゆる黒歴史と言うやつだった。 クリーンにしてやりたい。
「……で? その約束を果たすって、どうやって?」
「今日私、車で来たよ」
彼女はいそいそと高そうなバッグの中から高そうな財布を取り出して、あまりに綺麗すぎる指とその先のきらりと光った爪を使って板状のものを……あぁ、免許証を取り出した。
「行こっか、岩手まで」
せっかく日陰にいるのに、あの日みたいに暑くもないし、というかなんなら若干寒いまであるというのに、頭が急激に熱でいっぱいになって、クラクラする。
嬉しさ?恥ずかしさ?いやそれ以前に多分キャパオーバー。 今日初恋の人に会えるから、楽しみにしていたのはあるんだけれど(親の葬式を楽しみにというのはなんとも不謹慎な話である)。
約束を果たす? 何言ってんだ、ただのドライブデートの間違いだろう。
「でも、ゆめさ……あ、阿波野さん。 ここ埼玉ですよ」
「地続きなら車で行けるね。 あとゆめさんでいいんだよ昔みたいにさ。 ゆめちゃんでもいいし」
「ゆめちゃん呼びは結構です、じゃあゆめさんで。 話を戻して、えぇと……少なくとも今日中に帰れる場所ではないと思うんですが……」
「ちゃんでもいいのに。 あと高速じゃなくて下道でまったり旅のつもりだから、一週間分くらいは着替え持っておいてね」
「えっ? はぁ? えっ」
じゃあ私は先に車に戻ってるから、とだけ言い残して、彼女はどこからともなく取り出した帽子とサングラスを装着して、陽の当たる駐車場側へ歩いていった。
その姿はやはり様になっていて、彼女が美しいボディの美人さんであることを改めて理解する。
それと同時に、そういえばこの人突飛もないこと言うような人だったな、というのを思い出した。
まず、無理だ。 日帰りでも多分、無理だった。
距離にして約100m先にいる母親に、これから約800Kmの旅をしてくるので一週間家を外しますなんて言えるわけない。 怒鳴られるに決まってる。 てか普通に学校あるし。
今日は平日で、休めているけどそれは忌引きというやつのおかげだった。 今日で三日目。 あと四日しか残ってない。
でもそれ以上に、今俺はいくら持ってたかなと財布を覗いている自分がヤバいことに気付いた。 何よりヤバいのが、そのヤバいことしてる自分を深層心理が肯定してそうだったのがヤバかった。
意志と違って、俺は母親の横をそろりそろりとすり抜けて、駐車場側へ向かうのだ。
財布には二万円くらい入っていて、まぁ最悪ゆめさんが出してくれるだろうとめちゃくちゃに子供っぽい甘えた考えを持ってして歩いている。
いやでも、彼女がいきなり言ってきたんだから、それくらいの覚悟は持ってるんだろう、流石に。
東京ナンバーの車がそれくらいしか無かったので窓から覗いてみると、阿波野ゆめは表情を緩ませてスマホをいじってた。
コンコン、と中指を丸めて窓を叩いてやると、こちらに気付くや否や口角を少し上げて、車の窓をウィーンと下げた。
新車みたいにピカピカだったので、叩く力には細心の注意を払った。
「お、準備オッケーね」
「違います、着替えなんて持ってきてないです」
「なんだ。 じゃあまず君の家に行かないとだね」
「はい、あの……」
阿波野ゆめが助手席の方にグイッと身体を持ってきて、ドアを開けた。 シートベルトが胸の谷間にぎゅうっと挟まって、これでもかとおっぱいを強調している。 こりゃ凄まじい。
「バレんように、はやく行かないとでしょ」
「……なんだ、分かって言ってたんですか」
「私も少し賢くなったんだよ、これが」
助手席に乗り込む。 柑橘系の香りがふわっとして、でもそれと同じくらい、あの夏恋した女の子の香りが強烈だった。
要するに、一度家に帰って身支度を整え、旅行に出ようということだった。
旅行に行くことは、俺も彼女も、別になんの躊躇いもなく、決定されたことにその瞬間にはもうなってた。
母親のこと、葬式のこと、学校のこと、全部は躊躇う理由じゃなくて、断る理由でしか……俺にとってはその程度のものだった。
それに、それらが彼女に通用するとはまるで思わなかったし、俺もそれを行使しようとかは全く思わなかった。
彼女は初めから、多分こうなることを分かって、唐突に旅行の話を言ってきたんだろうな。
周りの人間なんて考えず、みんなが先に進んでいく中で俺だけが中学一年の夏に留まっていて、でも遠く離れた彼女もまたその時間に留まってると思ったのに。
彼女はとっくに先に……つまらない、大人の世界とやらにどうやら足を突っ込んでいて、止まってたのは俺だけらしかった。
「道は分かりますか?」
「もちろん。 覚えてるんだ。 なんだかんだ、毎回車で送って貰ってたからね」
これが間違いを正す旅になることを、その時に何となく察した。
これが宝物のような思い出の、蛇足であることを悟った。
初恋のお姉さんに乗せられて、初恋を汚す旅の話。
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