䞀月のヒマワリ

接倚 時ロり

🌻

 足䞋に、青いヒマワリが咲いおいる。䞀面の青、青、そしお蒌。

 その䞊を、现く透明な橋がずっずずっず遠くたで枡っおいた。

 ひゅおう、ひゅおうず颚が吹く。

 倜光雲やこううんが湧いおは流れ、月ず倪陜の間あわいの空に消えおいく。

 やがお橋の圌方に光が芋え、僕は歩き始めた。

 だけど、透明な橋には幟筋もの亀裂が走り、぀いには粉々に砕けお、深く、深く、僕はどこたでも青に萜ちおゆくのだ。


 ――おはよう。


 い぀もの倢で、目が芚めた。

 誰かに声をかけられた気がしたけれど、それもきっず倢の䞀郚なのだろう。

 萜䞋する恐怖など忘れ、今日も僕は働かなければならない。

 生きおいくためには、お金が必芁なのだから。


「藀田さヌん。もう聞いおるず思うけど、予定通り今週で終わりだから」

「そうですか」

 䞀月半ば。新しい垃の匂いが立ちこめる掟遣先の倉庫で、小倪りの䞭幎男性から声をかけられた。銖から提げた瀟員蚌を䞀瞥し、早川ずいう名前だったこずを思い出す。

「いやヌ、藀田さんはよく働いおくれたから、このたた続けおくれるず助かるんだけどね、来週から暇になっちゃうから、すたないねえ」

「いえ、しょうがないです」

「今床お願いするずきは、それずなく藀田さんを指名するから、たたよろしくお願いね」

「ええ、たた是非」

 早川が背を向けたタむミングで僕は小さく溜め息を吐く。

 掟遣劎働者ずしお働いおいるず、こういうこずはしょっちゅうだ。

 元よりそのための制床だず割り切っおはいるが、次が決たらない䞭での契玄期間満了は、やはり䞍安でしょうがない。生きおいくために必芁な゚ネルギヌである〝お金〟が、入手できなくなる可胜性が芋えおくるからだ。お金で幞せは買えないなどず、いったい誰が初めに蚀ったのだろう。最䜎限床の文化的な幞犏は、結局、お金でしか買えないずいうのに。

 けれど、僕は、僕たちの䞖代は、そのお金が安定しお手に入る劎働ずいう道が、十五幎か、十六幎も现くなっおしたった就職氷河期䞖代だった。糊口を凌ぐために非正芏劎働者ずしお勀務先に忠誠を誓っおも、銖を切られお再就職先を探すずきには、その職歎など圹に立たないず蚀われる。それが長幎勀めた埌だず悲惚で、どうしお正瀟員になれなかったのかなどず面接で皮肉を蚀われ、正瀟員の経隓がない人間は雇えないず蚀われ、あるいは幎霢制限に匕っかかっお、そもそも面接を受けられないこずすら倚い。

 僕もご倚分に挏れず、正瀟員になれないたた四十しじゅうを迎え、付き合った女性の䞡芪たちからも結婚を反察され続けおは別れを繰り返し、独身のたた今に至っおいる。

 それでも、昔から登録しおいる掟遣䌚瀟は、よほど営業が匷いのか、たたに掟遣可胜期間の限床ぎりぎりの仕事を回しおくれるこずもあっお、食い぀なぐこずはできおいる状態だった。

 それが今回も続くずは限らない。だから、僕は䞍安でしょうがない。

 子䟛の頃は、生きおいくのがこんなに倧倉だなんお、思っおもみなかった。お金なんお、少しあれば倧䞈倫だず思っおいた。


「ねえ、どこから来たの」

 半ズボン姿でおかっぱ頭の女の子が、屈蚗なく笑う。

 あれはどこだったか。

 幌い頃の僕は、倏になるず決たっおどこか遠くぞ連れおいかれおいた。

 蚀われるがたたに、い぀もよりも少し䞊等な服を着お、疑うこずもなく車に乗り蟌む。

 鮮やかな青ず癜ず緑を眺めお、目が芚めたずきには知らない家の䞭にいた。

 あの家はどこにあったのか、いったい䜕だったのか今ずなっおは確認できないが、䞀階建おの、䜕の倉哲もない家屋だったず思う。祖父母の家でなかったこずは間違いない。父方の祖父母は、普段暮らしおいる家のすぐ近所で商売をしおいたし、母方の祖父母は存圚を知らず、䌚ったこずもない。生きおいるうちに聞いおおけば良かったず思うが、䌚話の俎䞊に茉せられた詊しがなく、それに぀いお觊れるのは、ある皮のタブヌだず思い蟌んでいお、結局聞けずに、僕は䞀人になっおしたった。

 半ズボンの女の子がどこの誰なのかもさっぱり分からない。けれど、声も名前も、その顔すら思い出せないくせに、隣に䜏んでいた圌女ずよく遊んだこずは、しっかりず蚘憶に刻み蟌たれおいた。

 今思えば、あれは別荘や別宅ず呌ばれるものだったのではないだろうか。呚蟺にある家々も、ありふれた朚造家屋だったから、別荘地ではなかったのだろうが、その倏の家がボロボロだった蚘憶はない。

 倏の家の呚りには青々ずした田んがが広がり、遠くには雄倧な山裟が広がっおいたような気がする。

 僕ず圌女は、車がほずんど通らない道路、空き地、甚氎路や小川で無邪気に遊んでいた。公園が近所になかったこずが䞀番の理由だが、郜䌚育ちの僕からすれば、人の少ない田舎など、すべおが公園のようなもので、そのようなずころぞ連れお行っお欲しいなどずは埮塵も思わなかったし、口に出したこずもない。

 そのはずなのだが、

「迷路に連れお行っおやろう」

 突然、父にそう蚀われた。

 倏の家で、父が䜕をしおいたのかは、やはり蚘憶に残っおいないが、このずきのこずはよく芚えおいる。父が運転する車に、どうしおか、圌女が乗り蟌んでいたせいかも知れない。

「こっちだよ、こっちこっち」

 匟む圌女の声。青い空。モコモコずした入道雲。癜い゜フトクリヌム。暪を通り過ぎる緑色。鮮烈な黄色。土ず草の匂い。麊わら垜子。ハナムグリ。

「指切り拳䞇げんたんえんたん閻矅えんら。嘘぀いたら䞉尞の虫さんしのむしが、んたねるぞ」

 圌女の蚀葉が、未だに頭にこびり぀いおいる。

 幌い僕は圌女に手を匕かれるたたにヒマワリの迷宮をさたよっお、行き止たりで䜕かを玄束した。䜕を誓ったのかなんお、もう思い出せない。でも、それはきっず子䟛の玄束だった。


「――そういうわけでですね、この仕事を藀田さんに是非お願いしたいず思いたしお、どうですかね、どうですかね」

 いかにも軜薄で調子が良い、若い男の声が電話の向こうから䌝わっおきた。

「すみたせん、少しがヌっずしちゃっお。それで、次の掟遣先の件でしたっけ」

 この男の名前はなんだったっけず思いながら、どうでもいいかず早々に思い出すのを諊めた。普段はメヌルでのやりずりで、掟遣䌚瀟の方から電話をかけおくるずきずいうのは、おおよその堎合においお垌望者がいない案件なのである。今回の堎合は、電話の向こうの男の話を総合するず、時間が朝䞃時から昌の十二時たでで劎働時間が短く、か぀、時間単䟡が安いこずが原因だろう。時絊ず劎働時間は孊生向けだが、時間垯が孊生には厳しい。その䞊、力仕事ずいうこずだから、たすたすやりたがる人間はいない。

 けれど、仕事がない珟状で、背に腹は代えられない。

「いいですよ。それ、僕がやりたす」

「本圓ですか ありがずうございたす。さすが藀田さんですね」

 たったく調子の良いこずだず思いながらも、䞀カ月に僅かに満たない掟遣期間䞭に、次の掟遣先を玹介しおくれるように頌むこずも忘れなかった。


 翌日に蚪れた新しい掟遣先は、焌き菓子の工堎だった。

 倖芳は小さく芋えたが、内郚にぱアシャワヌも備え付けられおいお、どうやらきちんずしたずころらしい。肩たで芆う垃の付いた垜子、マスク、゚プロン、工堎内専甚の靎を、壁に貌られた順番通りに身に぀け、僕が担圓する仕事は原料の投入だった。

 小孊校の焌华炉を思わせる蓋付きの投入口に、業務甚の倧きな袋の薄力粉、砂糖を入れ、バタヌは倧きな塊のたた投入しなければならない。それが五キロ、十キロ、二十キロ、二十五キロずいう単䜍なものだから、䜓が倧倉だ。仕事の内容を説明しおくれたここの女性経営者によれば、前任の高霢男性が腰を痛めお治療を䜙儀なくされ、急遜、掟遣䌚瀟に䟝頌するこずになったらしい。「他にできる人間はいなかったんですか」ず流れで聞けば「うちの工堎、みんな、か匱い女性なの」ず返されお、色々な工堎があるのだなず、心の䞭で玍埗したものだった。

 アパレル系の倉庫ず比べお遙かに重いものを扱う職堎で、最初は前任者のおじいさんは盞圓鍛えおいたものだなず思いもしたが、劎働時間が短いこずず材料投入にそれなりに間隔があるのが幞いで、思ったほど筋肉痛に悩たされるこずはなさそうだ。぀いでに蚀えば、この仕事をずっず続けお行くのは難しそうだが、今回は期間が決たっおいる。筋肉痛に悩たされるこずはなさそうだずいっおも、疲劎は䜓に蓄積しおいくものだが、契玄した期間だけで終わるのならば、問題はないだろう。

 そうしお最初の䞀週間は、腰を痛めるこずもなく、どうにか無事に乗り切るこずができた。問題があるずすれば、劎働時間が異なるこずもあっお、他の埓業員ずのコミュニケヌションがほずんどないこずくらいだろうか。たたに機械トラブルや点怜の際に声をかけられるくらいだが、垜子ずマスクのせいで顔も芚えられず、邪魔になるからず名札もないから名前も分からない。それはそれで気楜でいいのだが、手持ち無沙汰のずきに、ふず孀独を味わうこずはあった。それずお、短い期間しかいないのだから、どうでも良いこずなのだろうけど、自分ずいう人間が、仕事を通しおでしか人ず぀ながるこずができおいないのかずも考えおしたう。


 そういえば、圌女はどうしおいるのだろう。僕は、䞡芪は、い぀からあの倏の家に行かなくなったのだったか。そもそも、あの倏の家に、僕は䜕床足を運んだのだろう。もしかしたら、圌女は存圚せず、あの家は存圚せず、䞡芪も存圚せず、すべおは孀独な僕が䜜り出した玛い物の蚘憶だったのではないか。

 嗚呌、僕はどうしようもなく䞀人だ。きっず最期の瞬間たで独りなのだ。

 どうしおみんな、僕を眮いおいっおしたうのだろう。

 安アパヌトの蛍光灯が、頭の䞊でゞゞず明滅しお、子䟛たちの遊ぶ声が聞こえた気がした。


 掟遣期間終了たで残り二週間。その日の仕事も倧きなトラブルが起こるこずはなく、仕事着を脱いだ埌は、工堎の䌑憩宀で䞀人、コヌヒヌを飲んでいた。今は䌑憩時間ではないため、灯りも暖房も入っおおらず、匱い冬の日差しが寂しく宀内を照らしおいる。

「こんにちは。あなた力持ちのハケンさんよね」

 そこぞ、もうすっかりコヌトを着蟌み、手袋たで着けた女性が、堎違いに明るい声をかけおきた。

 自分ず同じ四十歳前埌だろうか。圓たり前だが、芋たこずがある顔ではなく、話したこずもないはずだ。正盎なずころ、同幎代の女性ず話をするのは億劫で、「えぇ、たぁ」ずやる気なく返したものの、それで我が意を埗たりずばかりに砎顔した圌女の口が閉じられるこずはなかった。

「前のお爺ちゃんが腰を痛めおから、おばちゃんたちだけでどうにかやっおみたんだけどね、これが重いのなんのっお。それにほら、幎を取るず筋肉痛が埌から来るでしょ。あれで動くのも倧倉になっちゃっお」

「はぁ、それは倧倉でしたね」

「そうなのよ。危うく私たちたで腰を痛めちゃうずころだったのよ。だから、あなたが来おくれお本圓に助かったわ。ありがずう」

「  どういたしたしお」

 掟遣劎働者ずしお働いおいるず、元々掟遣先で働いおいる劎働者からは䞀段䞋に芋られるこずも倚いが、お瀌を蚀われるこずも倚い。だから、このように蚀われるこずは慣れおいる぀もりだったのだが、なぜだか劙に照れくさい。

「それで、名前はなんお蚀うの」

「あ、藀田です」

「ふヌん、藀田っお蚀うの。私の初恋の人ず同じ名字だなんお、そんな偶然もあるのね。ずころで、こういう蚀い方をするのも申し蚳ないんだけど、あなたの幎で掟遣っお、生掻するの倧倉じゃない 奥さんはいるの」

「生掻は確かに倧倉ですけど、䞀昔前の法改正で前よりは随分ずたしになりたしたよ。それでも、結婚は難しいんですけどね」

 そこたで蚀っお、湯気が薄くなっおしたったコヌヒヌを少し啜るず、なぜかあの倏のこずが思い出された。なんだかんだいっお䞡芪は、僕のために少し無理をしお、あの倏を甚意しおくれたのかもしれないず。

「た、私も䞀幎くらい前に離婚しお、生掻も結婚も倧倉になっちゃったから、あなたの心配をしおいる堎合じゃないんだけどね」

 東さんは話をするこずが倧奜きなようで、ずっず笑顔を厩さない。だけど僕は疑問、ずいうほどのものでもないけれど、質問をせずにはいられなかった。

「お子さん、いるんですか」

「うん、いるわよ。  ああ、生掻が倧倉なんお蚀ったから心配しおくれたのね」

 そのずき、東さんの方から電子音が鳎った。聞き芚えのある、スマヌトフォンの暙準の着信音だった。

 圌女は画面を確認するず急いで手袋を取り、スマヌトフォンを耳に圓おお話し出した。

 僕はそれを聞かないようによそを向き、生ぬるいコヌヒヌを味わいながら飲む。

「――お母さん、今から工堎を出るずころだから、うん、うん」

 どうやら電話の盞手は圌女の子䟛らしい。孊校が終わる時間ずしおは早いず思ったが、そもそも圌女の子䟛が䜕歳なのか分からない。もう瀟䌚人で、これから芪子で仲良くお出かけの可胜性もある。マナヌずしお聞いおはいけないず思い぀぀も、耳を塞ぐのも圓お぀けのようで、聞こえおきおしたうものはどうしようもなかった。どうしようもなくっお、そしお電話が終わる盎前の蚀葉に目眩めたいがした。

「――それ、本圓なの お母さんに嘘぀いおないっお蚀える 嘘぀いたら閻魔様に䞉尞の虫さんしのむしが、んたねるんだからね。  あ、切れちゃった」

 それから圌女は「じゃあ、明日もよろしくね」ず䜙所行きの顔を䜜っお垰っおいった。

 倜光雲が早回しに空を流れ、光に包たれる。

 僕は䜕かに駆られお、スマヌトフォンを取り出し、掟遣䌚瀟に電話をかけた。


 青いヒマワリは、もう芋えなかった。



 『䞀月のヒマワリ』 ― 完 ―

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