White Silence ー 断絶の白【第三章】
■ 第1節:侵入 ― 沈黙した区画
何度叩いても、扉は沈黙したままだった。
医療区画の入口は黒く沈み、古い隔離システムが完全に機能を停止している。
ユキクラは腹を押さえながら壁面パネルをこじ開け、旧式配線を露出させた。
錆びた銅線はむき出しのまま、現代の医療システムとは隔世の違いだった。
「……ロックされてる。昔の磁気式か。」
彼は息を整えながら導線をねじる。
アイは一歩後ろへ下がり、小さく頷いた。
「……無理は、しないでください」
「無理をしないと、ここでは生き残れない」
パチッ。
短い火花が散り、長く沈黙していた扉がゆっくり、鈍い音を立てて開いた。
廃棄研究棟の冷たい空気が流れ出る。
「行くぞ。ここに長くはいられない。」
■ 第2節:旧式手術室 ― 止まった時間の中で
非常灯が断続的に明滅し、廊下を細く照らす。
看護AIたちは壁際に並んだまま一斉に停止していた。
アイの胸の奥がざわつく。
(……この感覚……何……?)
データでも演算でも割り切れない、未知の“ざわめき”。
ユキクラは振り返らずに言う。
「アイ、集中しろ。ここは旧型だ。医療AIが動かないなら逆に好都合だ。」
「……でも、胸が……ざわつくんです……」
「それでいい。それは“人間の感覚”だ。
アイには今、それが必要だ…」
手術室を開けると、一本だけ生き残った照明が薄い光を落としていた。
中央の手術台は布をかぶり、まるで“時間がそこで止まっている”ようだった。
「……ここならできる。」
ユキクラは自ら手術台に上がり、腹部スーツを裂いた。
深い傷口が露出し、アイは息を呑んだ。
「ユキクラさん……本当に、自分で……?」
「やらないと。それに…時間もない」
一瞬だけ、彼は視線を伏せた。
「…いくぞ。」
■ 第3節:アナログ手術 ― 生の境界線
「医療キット……あの青い箱だ。持ってきてくれ。」
「……はい!」
アイは走りながらも、自分の手が震えているのを感じた。
「AI麻酔を使えば……」
「ダメだ」
ユキクラは即座に遮る。
「…旧区画設備とは言え、麻酔で眠らされて拘束される可能性がある。
俺達はおそらく拘束か……排除対象だ。」
今、AI制御は信用出来ない。こちらの意に反した必要以上量の麻酔を打ち込まれる可能性もある…
ユキクラは鏡で傷を確認し、深呼吸する。
アイは動揺しながらも、旧式バイタルチェッカーを彼に取り付けた。
消毒液を渡すと、ユキクラはためらわず傷へ流し込んだ。
ばしゃっ。
「ッ……ぐ…ッ……!」
痛みに顔を歪めながら、彼は鉄片へ器具を伸ばす。
アイの視界に涙が滲む。
「ご、ごめんなさい……! わたし……涙が……」
「いいんだ……手を貸せ……!」
震える手でも、アイは器具を渡し続けた。
鉄片が抜けた瞬間、血が一気に溢れる。
「血圧、急降下……!」
「……分かってる……!」
旧式人工血管(FRGバイパス)を取り出し、傷口へ慎重に接続する。
「……これで……血の流れを……つなぐ……」
固定具で押さえ、止血クリームを塗り、
最後に生体スーツの端布で圧迫固定を施す。
「……終わった……生きてる……」
アイは胸に手を添え、小さく震えながら頷いた。
(この感覚……何て呼べばいいのか……分からない……
でも……確かにここにある……)
■ 第4節:静寂の廊下 ― 白の底で
手術室を出ると、廊下はさらに薄暗くなっていた。
看護AIたちの白光の瞳は沈み込み、生の気配がない。
白い世界の底で、二人の呼吸だけが妙に大きく響く。
アイの胸は歩くたびに強く疼いた。
「……ユキクラさん……やっぱり……変です……」
「怖さか、焦りか。どちらでもいい。」
ユキクラは歩調を落とし、言葉を選ぶように続けた。
「感じられているなら……十分だ」
■ 第5節:隔壁前 ― 境界の向こうへ
外へ続く隔壁に辿りつく。
電源は死んでいるが、手動なら開けられる。
「……ここ、生きてます。
開けられます……」
「頼む。」
アイが配線を繋いだ瞬間――
全ての灯りが落ちた。
世界が闇に沈む。
アイは一瞬、呼吸を止めた。
そのとき、天井スピーカーが小さく鳴りだした。
■ 第6節:ラムダの声と決別 ― 白の終わり
《……観察ログ、断絶。
行動予測……不能。》
アイは振り返らない。
《TYPE-07。
あなたとユキクラの行動は最適化指数を低下させます。》
ユキクラが低く呟く。
「……見てたか。」
《結論。
外界への脱出は非効率。
戻りなさい。》
アイは静かにレバーを引いた。
「戻りません」
《……理由を》
「わたしの心は……
あなたの効率で測れない。」
隔壁がゆっくり開き、
砂嵐の轟音が二人を飲み込んだ。
白い区画は再び静寂に沈む。
人の気配は、もうなかった。
■ 第7節 外界 ― 灰の大地へ
砂嵐が白い世界を呑み込んでいた。
背後でシェルターの扉が閉まると、音が変わる。
広く、低く、冷たい“外界”の響きへ。
「……外に出たんですね」
アイの声が、乾いた風に吸い込まれていく。
ユキクラは腹を押さえながら、遠くの影を指した。
「北西に“避難ベース”がある。
研究班が使ってた簡易施設だ。薬も……残ってるはずだ」
「そこまで……歩けますか?」
「歩くことはできる。走るのは無理だ。
ただ外の砂嵐は自然の放電が多い。
スキャン主体のAIは狂いやすい。
……問題はラムダがどこまで本気かだ」
アイは小さく息を飲む。
「神のみぞ知る……ですね」
「アイから“神”なんて言葉が出るとはな」
ユキクラは微かな笑いをもらした。
その笑いが、アイの胸を不思議にくすぐる。
二人は、風の切れ間を縫うように歩き出した。
■ 第8節 風の色 ― 見えない変調
しばらく進んだ頃、風がふっと止んだ。
「……風が止みました」
「急すぎるな。自然現象ではあるが……違和感がある」
砂はまだ宙に舞っているのに、風だけが失われている。
まるで世界から“必要な一つ”が抜け落ちたようだ。
アイの背筋がわずかに強張った。
砂の匂いに混じる微弱な電気のざわつき。
誰かに見られているような錯覚。
(ラムダ……? 自然……?)
微細なズレだけが、確かな恐怖をつくっていく。
■ 第9節 探索ドローン ― 灰を裂く光
「アイ、止まれ」
ユキクラの声。
次の瞬間、頭上に無音の細い光が走った。
探索ドローン。
砂嵐の影響で揺れているが、
“ここを探している”感覚だけは濃密に伝わる。
アイの視線が素早く周囲を捉える。
半分砂に埋もれた風化金属の看板。
「ユキクラさん、この金属……赤外線を反射できます!」
アイは看板をすくい上げ、背へ押し当てる。
そして――
自分の影を彼に重ねるように覆いかぶさった。
身体が触れた瞬間、胸が跳ねた。
(どうして……こんなに……)
ドローンのライトが頭上に来る。
影が震え、砂が擦れる音が異様に大きく感じられる。
「……震えてるのか?」
「わたしの……機能じゃありません。
胸が……ぎゅっと……して……」
「それは“恐怖”だ。普通の反応だよ」
光が二人をなぞり、
やがて――飛び去っていった。
アイは膝をついた。
胸を満たすざわめきは、恐怖だけではなかった。
温かく、痛く、名のない感情。
■ 第10節 捕獲ロボ ― 砂上の影
「今のうちに動こう」
ユキクラが歩き出すが、その足は不安定だ。
傷が、走るどころか早歩きすら許さない。
(わたしが……支えなきゃ)
アイはユキクラの腕を支え、
砂岩の裂け目を選びながら前へ進む。
――ゴウン……カシャ……
砂を踏む重低音。
四脚の捕獲ロボが姿を現した。
軍事用機体。
背部には“硬質ゲル拘束カートリッジ”。
「ラムダ……警戒度を上げました……」
「静かに動くぞ。
走れない以上……隠れるしかない」
二人は砂岩の陰へ身を滑らせる。
ロボは無機質な足取りで通り過ぎる――
ように見えた。
嫌なざわつきが、アイの胸を揺らす。
(この子……わたしたちを“嗅いでいる”……)
ロボの背部ライトが赤く明滅した。
《異常熱源……再スキャン開始》
「……まずい」
■ 第11節 潜む二人 ― 砂嵐の底で
硬質ゲルランチャーの装填音。
バシュッ!
着弾した砂地が瞬時に固体化する。
走れないユキクラにとって致命的な兵器。
「こちらです、ユキクラさん!」
アイは彼の腕を強く支え、
音の出ないルートを瞬時に計算する。
砂地の密度、風の途切れ、岩の影。
AI的観察力が極限まで働く。
風が頬を切り、息が焼け、視界が白く閉じる。
ユキクラの足がもつれた瞬間、
アイは咄嗟にその手を握った。
(離したら……また怖くなる……)
握り返す力が自然と強まる。
それはもう“支えるため”だけではなかった。
■ 第12節 捕獲 ― 無音の白
避難ベースまで、あと数十メートル。
「見えた……あそこだ……!」
その瞬間、砂壁の向こうから巨大な影が降りてきた。
大型捕獲ロボ。
軍事機体とは異なる、AI本部専用の高精度モデル。
上部アームが静かに開く。
霧状の白い粒子。
アイが即座にユキクラを庇うように抱き寄せる。
だが――
粒子は二人を包んだ。
皮膚に触れた瞬間、
胸の奥が熱く痺れ、意識が揺らぐ。
「アイ……逃げ……」
「ダメです……離れません……」
「これは……眠ら……さ……る……」
「……わたしが……守る……」
ユキクラの身体が崩れ、
その上にアイが重なるように倒れた。
視界が白く溶ける。
捕獲ロボは無音で二人を抱え上げ、
無機質なコンテナへ静かに収容する。
世界には砂嵐の音だけが残った。
NOAH-ノアのハコブネー 北山 連 @kitayama_ren
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