第5話 視察
「王族が視察に来た、ですか?」
アナスタシアは首を傾げた。
焦ってここまで走って来たのか、警戒を行っていた自治組織の男は息を荒げていた。
「そ、そうです。見たところによりますと、王妃と第三王女の二人が来ているようです」
「そんな話はこちらには来ていませんが」
「おそらく急に決まったことかと。馬車の周りには護衛もおりませんでしたし、えっと、あの王妃のことですから……」
伝令の男は諦めの混じった表情で肩を竦めた。
アナスタシアは窓の外を眺めた。彼女はこの街の実質的な運営を担う者の家で、街の復興計画の擦り合わせをしていた。
窓の外には水の出ていない噴水があった。その汚れた姿はいつも通りで、円形の広場に馬車が来ている様子もなく、音もまだ聞こえてこない。
「馬車はどこに向かっているんだ?」
アナスタシアの対面に座っていた体格の良い男、街を統括するグレーム・ブラッドソーンが腕を組んで伝令に尋ねた。
五十代を過ぎてなお、威圧感が衰えない彼に見られた男は慌てて口を開いた。
「こ、このまま行きますと、こちらの広場の方に到着すると思われます」
それを聞いて、グレームは目を細めた。
「つまり、目的地はここってわけだ。ふん、何が目的だ?」
「夫があの女に呼び出されてからしばらく経ちますし、おそらく牽制でしょう」
アナスタシアは冷静に答えた。しかし、その表現は正しくなかった。
数年前に彼女は夫を政治的な方法で連れ去られていて、未だに解放されず、彼は帰ってきていないのであった。
一方で、彼女に夫を連行された妻としての悲しみは一切見えない。
グレームは一瞬アナスタシアを見たが、普段通りの様子を見てすぐに目を伝令に向けた。
「だろうな。おい、迎えの準備をする。各代表者を呼んできてくれ」
「は、はい!」
伝令は急いで外に出て、噴水周りの家々を回り始めた。
「やっかいなやつらだ。こういうことをするのにはいっちょ前に長けてやがる」
「あの夫を嵌めたやつらですから。甘く見るのは命取りですよ」
「わかってる。それにしても……くそっ。ラルフが帰ってきさえすれば……」
悔しさの隠せない表情でグレームは額に手を当てた。
夫――ラルフの名前を聞いて、アナスタシアは一瞬動きそうになった表情筋を無理矢理止めた。
そうでなければ、すぐに周りが心配するであろう表情になることは間違いなかった。
だから今日も、彼女は表情を隠すのだ。
二人が沈痛な面持ちで黙っていると、ドアが開いた。
「グレーム! あいつらが来るってのは本当かい!?」
護衛が開けたドアから入ってきたのは、一人の老婆だった。杖をついてはいるが、声には張りがあり、活力溢れる姿だった。
「そうだ。ダフニ、治療院のほうは大丈夫か?」
「少し離れるくらいならかまいやしないよ。ラルフのおかげでけが人も減ったしねぇ。とはいえ、あいつらがのこのことやってくるとは……とんだ恥知らずだね!」
ダフニと呼ばれた老婆が抑えられない怒りで声を荒げていると、後ろから新たな人物が入ってくる。
「ダフニ婆、そんなに怒ると寿命が縮みますよ?」
苦笑いしながら入ってきたのはまだ20代半ば頃に見える細身の美丈夫だった。
精巧な装飾の彫られた鞘を腰に下げたその男は、優しげな表情とは裏腹に、頑として動かない大岩を思わせる雰囲気を纏っていた。
「うるさいねぇ、リカ坊。わたしゃあ一級治療魔法士だよ? 寿命なんて関係ないね」
「はは、存じております」
そういってリカ坊と呼ばれた青年は笑う。
「リカルド、あいつらの馬車周りには護衛がいないって話なんだが、本当か?」
グレームが訊ねると、リカルドは一瞬表情を消し、検知魔法を使った。
彼の検知魔法は数キロ先の生物を感知できるほどに優れていた。しかし、それは大きな力を持った生物に限ることであり、それこそが王妃の強大な力を如実に表していた。
「……そうですね。馬車の周りにはいない……感知できる範囲にはいないようです」
「隠れているやつもか?」
「ええ。本当に独断で来たのかもしれません」
「けっ、バカなやつらだねぇ」
顔をしかめるダフニを横目にアナスタシアは戻ってきた伝令に声を掛ける。
「あとの三人はいましたか?」
「いえ、お三方とも外出中でした」
「そうですか。仕方ありません。私たちだけで迎えましょう」
アナスタシアがそう言って三人を見ると、それぞれが頷く。
外に三人が出ると、丁度馬車が広場に入ってくるところだった。御者が操縦する馬車がゆっくりと入ってきて、四人の目の前で止まった。
御者が席を降り、恭しく扉を開ける。すると、すぐに勢いよく一人の少女が飛び出した。綺麗な銀髪がふわっと広がる。
少女が地面に立つと物珍しそうに辺りを見回す。
「こら、ステラ。危ないじゃない」
後から豪華なドレスを着飾った女性、王妃が退屈そうに出てきた。
馬車から降り、顔を上げると今気づいたかのように笑顔を作った。
「あら、お迎えご苦労。相変わらず汚い場所ね」
「いえ、セシル様ほどではありませんよ」
アナスタシアが挑発的な言葉を向けた。他の三人もそれに合わせて敵意を含んだ目線をセシルに向ける。
セシルは真っ赤な口紅をつけた唇を愉快そうに歪める。
「あはは、ずいぶん嫌われてるわね。アナスタシア、あなたのせいかしら?」
「ご自身の心の内に問うてみては?」
「ははは! あなたは相変わらず返しが上手いわね!」
セシルは心のそこから面白いといった風に笑う。その姿を冷たい目で見ながら、アナスタシアは口を開く。
「それで、今日はどんな用事でここまでこられたのですか?」
「別に何の用事も無いわ。うーん、でも強いて言えば、ステラにここを見せようと思ってかしら。『将来』のために、ね?」
セシルは将来の部分を強調する。アナスタシアはセシルがこの街と自分に強い敵意を保っていることは知っていた。しかし、
「子どもにまで自分の考えを押しつけようとするとは……なんて愚かな」
「別にあなたに関係ないじゃない。これは私のものなんだから」
そういってステラを見るセシルは笑顔だったが、目は濁っていた。
アナスタシアはセシルの様子を見て、眉を顰める。
「とにかく、私たちはあなたを歓待するつもりはありません。早く帰ってもらえませんか?」
「言われなくてもそうするわよ。こんな所に長居したくないもの」
噴水を眺めていたステラにセシルは「ほら、帰るわよ」と声を掛ける。
「おかあさま、もう少しみたいです!」
目を輝かせるステラにセシルは冷たい目を向けた。
「ダメ。こんな所にいたら私が汚れちゃうでしょ」
そう言うとセシルは、御者にステラを馬車の中に無理矢理入れさせ、自分も乗り込んだ。
そして御者が扉を閉める途中にふと手を出し、止めさせた。
「そうだ。あなたの騎士のことだけど」
「……」
「思ったよりも長かったけれど、そろそろ折れそうよ? 王族とはいえど所詮人間ね。簡単だったわ」
「……」
「壊れちゃったら娘のペットにでもしようかしら。いろいろ使い道はありそうだもの。ふふっ、それじゃあね」
そう言って扉を閉めたセシルは馬車を発進させ、広場から出ていく。
「ちっ、嫌みな野郎だ……」
「リカ坊、あいつらを切ってしまいな!」
「私もやぶさかではありませんが……面倒なことになりますよ?」
それぞれが苦い表情で馬車を見つめる中、アナスタシアはずっと無表情で見つめていた。
(いつの日か……)
セシルを打ち倒し夫と平和な日々を取り戻す。そんな未来に思いを馳せながら、アナスタシアは拳を固く握りしめた。
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