第二章 まだ溶け切らない夜

 バイクを運転しながら、ここ数日の出来事を思い出す。


 今回の件は、教室で清水と狭川のバレンタインデー談義に乱入してしまったところから始まった。

 後日、二人に図書館に呼び出され、料理本とネット知識を総動員した会議で、作るお菓子を少しずつ絞っていった。



 そして、その週末に清水宅のキッチンで〈第一回試作会〉が開催された。

 図書館会議でピックアップされた、簡単チョコレート菓子たちを清水たちに手伝ってもらいながら作った。

 バターを溶かし、オーブンを温め、綿棒に粉を振った。

 

 初めて作るお菓子はどれも難しく、形にこだわればこだわるほどその難易度は増した。


「お菓子って、作るのこんなに大変なんだな……」


 オーブンに生地を入れ終えた悠は、椅子に座りながら額に手を当てた。


「大変っちゃ大変なんだけどー、楽しくない?」


 タオルで手を拭きながら、狭川がニヤッと笑う。


「はいはい、お疲れ様~。今回はクッキーメインで作ったからねぇ」


 清水は、コップに注いだジュースを出してくれた。


「型抜きで作るのもいいし、丸く作るのも楽しかった」


 悠はお礼を言って受け取ったジュースを飲み干す。


「まっ、まだ焼けてないから味も何もわかんないんだけどね」


 狭川も清水から受け取ったジュースを飲みながらオーブンを指さす。


「でも、一人で作るってなったら、俺これ出来るかな」

「二月までまだ一週間あるし、来週も作ってみて決めたらいいんじゃないかな」

「そもそも私たちが一緒に作るんだから大丈夫でしょ」


 顎に手をやりながら考え込む悠の背中を、狭川はバンバンと叩きながら笑った。

 キッチンには、甘くて香ばしい匂いが満ちていく。




 悠は、腕の中に温かいものを抱えて歩いていた。

 初めて仁人のために自分で作ったもの。

 清水と狭川に手伝ってもらって、やっと作った大切なもの。

 落とすことがないように、潰してしまうことがないようにと、大事に大事に運んだ。




 これまで三回の試作会を経て、今日、本番に向けた作品が完成した。

 悠が最終的に選んだお菓子はブラウニーだった。

 

 ボウルにチョコレートを入れて湯煎し、ゴムベラでたくさん混ぜた。

 クッキーやカップケーキよりも難しくはなかった。

 だが、水がチョコレートに入らないように注意しながら湯煎するのは大変だった。


 ただ四角く切っただけの飾り気のないブラウニーだが、どこで買ったものよりも輝いて見えた。


『仁人さん、喜んでくれるかな』


 バイク置き場へ向かう足取りが軽い。

 何度も何度も、腕に抱えた袋を見てニコニコと笑う。


 家に帰ったらラッピングをしよう。

 お菓子のデザインはあまり凝ったものにできなかったが、入れ物くらいは頑張ってみよう。


 ブラウニーの入った袋を荷台に仕舞い、座席に跨る。

 温まり始めたエンジンの振動は、悠の心を揺らしていた。




『来週そっち行ってもいい?』


「『返信遅くなってごめんね、大丈夫だよ』っと」


 仁人からの返せていなかった通知に返信を送る。

 もう夜も遅いというのに返信はない。

 時計を見ると、日付が変わりかけていた。

 以前ならこの時間は、メッセージを送りあったり通話をつないだりしていたはずだ。


  風呂に入り、身支度を整えて布団に潜り込む。


「……既読にもなってない」


 編集部で働く彼は、ときどき会社に泊まり込むほど忙しくしていることもあった。

 しかし、どんなに忙しくても必ず断りを入れてくれていたはずだった。


「今日は少し話したかったんだけどな……」


 明後日来てくれるはずだが、本当に来てくれるだろうか。

 せっかく綺麗にできたブラウニーを直接渡せるだろうか。


 頭の中を不安がぐるぐるとまわっている。

 通知の来ないスマホを気にしながらも、いつの間にか眠りに落ちた。




 狭い部屋の中に、ブラウニーの甘い香りと、少し冷たい夜の空気だけが残る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る