第5話 それ以上のものを


 "転移"メタスタシスで狙ったのは南門の近く、宿屋で借りている個室だった。しかし的が定まらず、降り立ったのは宿屋の裏手。暗くて人気のない、細い道だった。


「あぁー……失敗した……」


 魔法で失敗するなんて、何年ぶりだろうか。疲労のせいだろうかと盛大にため息をついて、それから周囲を見回した。


 魔物が襲撃してきた時はまだ明るかった空は、すっかり黒に染まっている。魔法で灯る街灯の光も裏通りまでは届かず、辛うじて手元が見える程度だった。


 この暗さなら、きっと大丈夫だろう。念のため小道に誰もいないことを確認して、俺は血塗ちまみれの外套と手袋を脱ぎ捨てた。汚れている部分が内側になるように畳み、手袋も包んでそのままふところへ押し込む。たったこれだけで、運良く生き延びた下位冒険者、ジンのできあがりだ。


 後で外套と手袋を洗わないといけないのは……うん、面倒だ。今は考えないことにしよう。


「はぁ……流石に、疲れた……」


 久々の戦闘だったからか、加減できずに魔法を使い過ぎてしまったらしい。体力も限界に近かったようで、すぐ側の石壁に右手をついたところで足が前へ進まなくなってしまった。


 あぁ、まずいなぁ。心の中で呟く。


 こんなところでひっくり返る訳にはいかない。せめて、宿屋で借りている部屋までは辿り着かなければ。もう一度"転移"メタスタシスを使う余裕はないから、部屋には歩いて向かうつもりだった。しかし、こうなってはもう仕方がない。一か八かもう一度"転移"メタスタシスしてみようかと思ったその時、不意に声が聞こえた。


「それも、空間魔法とやらか」


 振り返らずとも分かる。飯屋の店主のおっさんだ。あんなに逃げろと言ったのに、全く。


「まぁ、似たようなもんだ」


 先程懐にしまった外套のことを指していると、すぐに分かった。そういえば、ポケットや懐の中に大きな物を次々に放り込む俺を見て、昔の知り合い達は不思議そうにしていたっけ。


 そんなことをふと思い出したところで、ついにひざが折れた。そのまま前に倒れ込みそうになった俺の腕を、誰かの手が掴んで止めてくれた。誰かって、店主しかいない訳だが。


「……どういうつもりだ」

「手くらい貸すだろ、普通」

「なんでここにいるんだよ」

「俺の店の裏手だぞ。なんで、はこっちの台詞せりふだよ」


 ぼそぼそと話す俺と違って、いつもと変わらない呆れたような声色だった。


「なんでこんなところで倒れかけてんだ、英雄様がよ」

「…………」


 さらっと言ってんじゃねえよ、それ隠すためにどれだけ苦労してると思ってんだ。普段なら難なく発していた軽口が、どうしても出てこなかった。ぐ、と唇を噛む。


「王国騎士団のところへ行けば良いん――」

「駄目だっ!!」


 咄嗟とっさに大声でさえぎってしまって、直後に少し後悔した。意図せず怒鳴られることになった店主が、目を丸くしてこちらを凝視ぎょうししている。


 俺が騎士団を抜けていることは、国民に公表されていない。だから普通の思考回路をしている者なら、きっとこう考えるだろう。俺が倒れそうになっているなら騎士団の元へ連れて行けばいい、と。この店主がそうだったように。


 けれど、その選択肢を取ることはできない。


 王国騎士団の騎士たちは、俺が団を抜けたことこそ知っているが、その理由までは知らないはずだ。だから、ここで俺が王国騎士団を頼ったとして、そこで気絶なんてしてしまった日には。何も知らない騎士団の連中の善意によって、俺は王都へ連れ帰られてしまう可能性が高いのだ。


 しかし意識のない無防備な俺が王都にいて、『奴』が何も手出ししてこないはずもない。過去の経験からして、良くて誘拐からの被検体ひけんたいコース、悪くて暗殺コースまっしぐらだ。

 

 だからもし王国騎士団に引き渡されそうになったら、はるか遠くに跳んでしまうしか道はない。それできっと体力は尽きるだろうが、奴に捕まるくらいなら野山でひと野垂のたれ死んだ方が余程ましだ。そこまで覚悟を決めてから、俺は静かに口を開いた。


「……怒鳴って悪かった。でも、駄目なんだ」

「なんでだ、相手は騎士団だぞ。お前さんの味方だろ?」

「味方、かもだけど……でも、そうじゃなくて……」

「じゃあ治療院か?」

「いや、それもちょっと……別に怪我とか、してる訳じゃないし……」


 何も知らない店主に、全てを伝えるつもりは毛頭ない。だからといって、うまく誤魔化すにも限界がある。どうしたものかと言葉に詰まったところで、不意に意識が遠ざかって視界がぐらりと揺れた。


「おっと。大丈夫かい、兄ちゃん」

「大丈夫……大丈夫だから、あいつらのところは――」

「あーもう分かった分かった! もういいから黙ってろ、な?」


 今度は俺の言葉をさえぎって、おっさんは軽々と俺を背負い上げた。


「え、は? ちょっ……離せ、このクソジジイっ……!」

「口悪いなぁ、英雄様」


 店主はへらへら笑いながら、一人の人間を背負っているとは思えない足取りで歩いている。混乱の極致きょくちにいる俺の感情を置き去りに、相も変わらず軽い調子で言葉を続ける。


「大丈夫だよ、兄ちゃん」


 何がだよ。そう返すより早く、店主が再度口を開いた。


「俺は何も見てねえし、何も知らねえ。常連の兄ちゃんが道に転がってたから、拾って店で面倒みてやるってだけの話さ」


 店主は、それきり口を閉ざしてしまった。

 俺もそれに合わせるように黙り込む。


 ゆらゆら、視界が揺れる。背負われているからなのか、それとも俺の頭がぼんやりしているからなのか。だんだんと分からなくなってきたところで、店内に入る。


 俺の記憶に残っていたのは、そこが最後だった。






 ゆっくりと目を開くと、ぼやけた視界に茶色の木の板が映った。


 それが木の天井であるということに気づいてからの、意識の覚醒かくせいは速かった。街に多くの魔物が襲来しゅうらいしたこと。王国騎士団がやってきたこと。魔物を全滅させて、正体がバレてしまったこと。そして飯屋の店主に拾われて、運ばれている途中で情けなくも気絶してしまったこと。


「うわぁ、やらかした……」


 魔力が空になるまで魔法を使ってしまったことも、宿の部屋への"転移"メタスタシスに失敗したことも、店主のおっさんに拾われてしまったことも。普段の俺なら絶対にしないようなミスばかりだ。魔法習いたての子どもじゃあるまいし、という話である。


 後悔に飲まれながらも身を起こして、ベッドわきに並べてあったブーツを履く。サイドテーブルに置かれたポーチを身につけ、壁に立てかけてあった片手剣を腰に差す。


 使い切っていた魔力が完全に戻っているから、恐らくあれからかなりの時間が経ってしまっている。そう考えると急に空腹を感じ始めてしまって、俺は元気な音を立てる腹をでながら立ち上がった。打ちつけた背中が痛んだが、動けないほどのことではなかった。


 俺が寝かされていた部屋はカーテンのせいで薄暗かったけれど、どうやら日が出ている時間帯らしい。この時点で少なくとも12時間は経過していることになる。まあ実際はもっと経ってるんだろうけど、なんて考えながら部屋を出て階段を下りる。


「やっぱり、飯屋だったかぁ」


 階段を下りた途端とたん、見覚えのある景色が飛び込んできて嘆息たんそくする。いつもはカウンターから見えていた厨房ちゅうぼうから、がらんとした店内を眺める。営業……できる訳がないよな。あんな襲撃があった後だし。


「お、やっと起きたか」

「っ!?」

「ビビりすぎだぜ、兄ちゃん」


 俺の店に俺がいて何がおかしいよ、と笑いながら現れたのは当然店主のおっさんだった。全くもってその通りだ、と肩の力を抜く。どうやら彼は、先程まで食糧庫しょくりょうこの中にいたらしい。おどかすんじゃねえよ。


「腹減ってるだろ。その辺に座っとけ、何か作ってやるから」

「あ、いや。そこまでは……」

「心配しなくても金は取らねえよ」

「いや、そういうことではなく」

「いいから座れって」

「……分かった」


 簡単に押し切られてしまって、俺は渋々カウンターの椅子に座った。


「体調はもう良いのか?」

「あぁ、おかげさまで」

「そりゃ良かった。それにしてもよく寝たなぁ、もう三日だぜ」

「やっぱりか……迷惑かけたな、おっさん」


 予想通りだ。前に魔力切れを起こした時も、そのくらいは眠りこけていたから、今回もそうじゃないかとは思っていた。宿屋ならともかく、それだけの長い期間他人のベッドを占拠せんきょしていたと考えると、申し訳なくて仕方がない。


 しかし店主は気にするなとかぶりを振った。


「良いんだ。先にそれ以上のものをもらってるから」

「…………」


 やめろ、そういうの。反応に困るから。


 スッと視線を逸らした俺をとがめることもなく、おっさんはただ手を動かして食材を刻んでいく。あっという間にみじん切りにされた野菜を、今度はフライパンに放り込む。無造作にも見えるのに、驚くほど様になる動きだった。長年の研鑽けんさん賜物たまものなのだろう。


 長くやってきたことかぁ。俺には、魔法くらいしかないか。俺も、魔法を使っている時はこんな風に見えたりするのかな。


「はい、お待ち」


 そんな言葉と共に出されたのは、ほかほかと湯気の立つリゾットと水一杯だった。ずっと見ていたはずなのに、一体いつの間に米を入れたんだろうかと首を傾げる。同時に腹が盛大に鳴って、げらげら笑う店主からスプーンを受け取った。恥なんて、もう知ったことか。


 いただきますと呟いて、リゾットを口に放り込んでいく。うん、おいしい。こんな普通の大衆食堂みたいな店構えのくせして、どこにでもいそうなおっさんのくせして、腕だけは抜群ばつぐんなんだよな。


「ありがとな、兄ちゃん」

「げほっ……!」

「なんでそこでむせるんだよ」


 心の中で悪口を言っている時に、急にお礼なんて言われたらむせるだろう、普通。


「礼なんて、飽きるほど言われてきたろうに」

「いや……そりゃ、そうだけども」

「だろ?」


 何が面白いのか、にやにやとからかうように店主は笑う。


「しっかしなぁ。まさか、兄ちゃんがあんなに強いとはなぁ」

「…………」

「魔法使いだもんな、そりゃあ剣なんて扱えねえはずだよ」

「……おい。『何も見てないし、何も知らない』んじゃなかったのか」

「ハハハ、そうだったそうだった。悪いな」


 きっと今の俺は、酷い仏頂面をしているに違いない。


 対照的に機嫌の良さそうな店主を横目に、俺はこっそりおわんの下に飯代を忍ばせた。払おうとしても、きっとおっさんは素直に受け取ってはくれないだろう。しかし散々世話になって、思う存分からかわれて、それで飯代くらい払いたいという俺のささやかな希望すら通らないのでは割に合わない。


 せいぜい俺が去った後に気づいて、相場よりずっと多い額に右往左往するがいいさ。


 意味もなく勝った気になって、俺は最後の一口を飲み込んでから顔を上げた。


「美味しかった。ありがとう、おっさん」

「お、なんだなんだ? 急に」


 自分は簡単に礼を言うくせに、自分が言われたら照れるらしい。面倒な奴だなと自分を棚に上げて、俺は水のおかわりを頼んだ。はいはい、とどこか照れ臭そうにコップを受け取った店主が、俺に背を向ける。その一瞬を狙った。


 ――"転移"メタスタシス


 瞬間、俺は飯屋から姿を消した。


 飯屋のカウンター席に残ったのはきっと、俺に似合わない淡い光だけだったことだろう。でも、それで良いと思った。


 店主のような「普通」の「いい人」は、俺みたいなのと深く関わらない方が良いに決まっている。


 どこまでいっても、俺は普通には生きられないのだから。

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英雄タイラーは何も知らない @hajime723

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