第3話
「ち、違う──ちょっと待ってくれ」
「……サイテイ。さよなら。二度と連絡しないで下さい」
橘さんの怒りはもっともだ。『エッチなことはしないで』と言われ『指一本触れない』と答えた男の財布からコンドームが落ちてきたら、そりゃ激怒するだろう。
「お願いだ。言い訳だけせめて聞いてくれ」
「言い訳って認めるのね? ごめんなさい、無理です」
足早に去ろうとする橘さんを追いかける。
「じゃあ俺が一方的に喋るから聞いててくれ。これは出かけに姉が無理やり持たせたものだ。俺は絶対使うことはないと言って、突き返そうとしたが、姉からこの世に絶対ということはないと言われて、これは俺がよく姉に言ってる言葉だったから言い返せず、とにかく受け取らないとうるさいから受け取っただけなんだ!」
俺は歩きながら早口で弁明する。
「……」
不意に橘さんが立ち止まった。
「これ以上つきまとうなら運営に報告しますよ?」
それは橘さんからの最後通牒だった。その視線と言葉の強さに俺は諦めた。
よく考えたら別に橘さんに拘る必要はない。似たような条件の人はこの先いくらでもいるはずだ。
「分かっ──」
「あれ、修二じゃない、やっほーってあかねちゃん!? え、実物の方が可愛いじゃん! あれ、でもなんか雰囲気悪くない? きっと修二が悪いのよね。あかねちゃん、ウチの修二がとんでもない失礼をして、本当にごめんなさい。コイツ失礼なことしか言えないんです。あ、ちなみに姉の友紀です」
突然の姉の登場に橘さんが固まった。
そして──。
「ギャーハッハッハ。ひぃー、ひぃー。お腹痛い。う、嘘でしょ。そんな間抜けなことある? 指一本触れません。嘘はつきたくないんです。ゴムポロリ。ヒィー、ダメッ。死ぬ、笑い死ぬ」
先ほどのカフェに三人で戻り、事情を説明した。姉は腹がよじれるほど笑い尽くしていた。
「あぁー、涙出た。いや、でもそうか。それは私が悪いね。うん、あかねちゃんホントごめんね? でもコイツ失礼で、頭良いくせにすっごいバカだけど、人を騙すヤツではないから」
「わ、分かりましたから、そんな大声で、その……」
「ゴム?」
「おい、バカ姉。やめろ」
「はーい。だって恥ずかしがるあかねちゃんが可愛いんだもん」
二十歳間近にもなって『だもん』て。そっちの方が恥ずかしい。
「ハァ……。その、怒ってすみませんでした」
「いや、橘さんは一ミリも悪くない。全部悪いのはこっちだ。というかまぁ姉だ」
「私は一ミリも悪くない。落としたアンタが全部悪い。でもそうね、0.01ミリくらいは私が悪いかも知れないわね。ゴムんなさい」
「「…………」」
俺と橘さんは冷ややかな目で姉を睨む。
「すまない、こんな姉がいるんだ」
「ううん。その、明るくて美人で素敵なお姉さんだとは思うから」
褒めているのだろうが、ほんの少し含みがあるような言い方だ。
「それで、その、やっぱりパートナーは破棄か?」
「……ちょっと考えさせて下さい。事情は分かったし、修二くんが変な人ではないと思ってはいるけど、色々気持ちが追いつかなくて」
「了解だ」
それも当然だろう。俺は半ばこのまま破棄になるだろうと覚悟を決めていた。
「ま、じゃあお詫びに私がケーキを奢ろうじゃないか。ほれ、好きなの言ってみ。甘いもの食べたら大体悩みなんて吹っ飛ぶからさ」
もう黙っていて欲しい。人類がみな姉のように単純で切り替えが早ければいいが、そうなったら絶対世の中が適当すぎて滅ぶのでダメだ。
結局、俺はレアチーズケーキ、橘さんはショートケーキを食べ、解散となった。
「「…………」」
帰り道は姉と二人だ。
「そんなしょげるな弟よ。こんなことくらいで関係が終わるなら何年もパートナーなんか続かないぞー」
「……別にしょげてなんかいない。次の相手を見つけるのに時間とエネルギーを割かなきゃいけないことが憂鬱なだけだ」
「強がっちゃってー。あかねちゃん可愛かったもんなー。でも諦めるのは早くね?」
「……」
いや、常識的に考えて無理だろう。それにこうなったのも偶然ではなく、必然と考えると、魔除けのブレスレットを貰うためだけにパートナーを作るとかいう動機が不純すぎたかも知れないと思ってしまう。
「弟よ。確かにお前はあかねちゃんを裏切った。飛ぶ鳥跡を濁さずと言って、黙って潔く去るのはできた男かも知れない。けどね、私は泥臭くあがく男も可愛いと思うんだ」
「……」
裏切っては……ない、けどな。
「夜になったら電話してみぃー。声だけってのは案外本心が言い合えて、モヤモヤしたのが吹っ飛ぶかもよ?」
「向こうが電話したい気分じゃないだろ」
「んなもん聞いてみなきゃ分からんでしょーが! アンタが女心を決めつけるなんて100年早い!」
「……」
女心。確かにそれを理解するには100年あっても足りそうになかった。
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