第4話 断罪のワルツを切り裂いて
王宮の大広間は、暴力的なまでの光に満ちていた。
頭上には巨大なクリスタルのシャンデリアが輝き、床は磨き上げられた大理石。着飾った貴族たちの宝石が、視界の全てで煌めいている。
オーケストラが奏でるワルツの調べは優雅だが、シルヴィア・エルンストにとっては、それは絞首台への行進曲のように聞こえた。
シルヴィアは壁際に一人、佇んでいた。
身に纏っているのは、エルンスト家の色である深いミッドナイトブルーのドレス。豪奢な刺繍が施されているが、周囲のパステルカラーや鮮やかなドレスの中では、まるで夜の闇を切り取ったかのような異物感を放っている。
誰も彼女に近づかない。
誰も彼女と目を合わせない。
ただ、扇子の陰から囁かれる嘲笑と、突き刺さるような悪意だけが、彼女を取り囲んでいた。
(⋯⋯これが、私の最期の舞台というわけね)
シルヴィアは背筋を伸ばし、氷のような無表情を保ち続ける。
恐怖で足が震えそうになるのを、必死にプライドで押さえつけた。
レンはいない。
彼には「会場の外で待て」と命じた。従順な彼のことだ、きっと馬車の陰で待機しているだろう。
それでいい。彼を巻き込むわけにはいかない。
その時、ファンファーレが鳴り響いた。
会場の空気が一変する。
「王太子シリル殿下、ならびにリナ男爵令嬢の入場!」
大階段の上に現れたのは、光そのもののような二人だった。
純白の礼服を纏ったシリルと、ピンク色の可愛らしいドレスを着たリナ。二人は腕を組み、互いに見つめ合って微笑んでいる。婚約者が会場にいるにもかかわらず、だ。
衆人はため息を漏らし、二人の美しさを称える。
シリルが階段を降りきると、音楽が止まった。
彼はまっすぐにシルヴィアの方へと歩み寄る。その後ろには、聖女を守るように側近たちが――騎士団長の息子や、宰相の息子たちが控えている。
モーゼが海を割るように人垣が左右に開いた。
シルヴィアは逃げなかった。
扇子を閉じ、優雅にカーテシーを行う。
「⋯⋯ごきげんよう、シリル殿下。それにリナ様も」
「白々しい挨拶は無用だ、シルヴィア・エルンスト」
シリルの声は冷たく、そしてどこか陶酔していた。
彼は広間全体に響き渡る声で、高らかに宣言する。
「私は今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
予想通りの言葉。
会場から「おお」というどよめきが上がる。
シルヴィアは顔色一つ変えずに問い返した。
「理由は何でしょうか。正当な理由なく公爵家との婚約を破棄なされば、王室といえどただでは済みませんが」
「理由だと? よくも抜け抜けと⋯⋯! 貴様がリナに対して行ってきた数々の悪行、知らぬとは言わせないぞ!」
シリルが羊皮紙を投げつけた。
ひらりと舞い落ちた紙には、罪状が列挙されていた。
教科書への落書き、階段からの突き落とし、持ち物の破壊、毒物の混入未遂、闇魔法による呪詛⋯⋯。
「⋯⋯身に覚えがありませんわ」
「嘘をつくな! リナは泣いていたんだぞ!」
「殿下。涙は証拠にはなりません。私がいつ、どこで、どのようにそれを行ったのか。目撃者は? 物証は? すべて状況証拠と憶測に過ぎません」
シルヴィアの反論は正論だった。
しかし、この場において論理など何の意味もなさない。
聖女リナがシリルの腕にしがみつき、震える声で囁く。
「シリル様⋯⋯もういいのです。シルヴィア様にも、きっと事情があったのでしょうから⋯⋯私さえ我慢すれば⋯⋯」
「リナ、君はなんて慈悲深いんだ。⋯⋯それに引き換え、この女は!」
シリルの瞳が怒りに燃え上がり、その瞳の奥が不自然に濁っているのをシルヴィアは見た。
ああ、これがレンの言っていた『強制力』あるいは『魅了』なのか。
彼らは狂っている。自分たちの正義という物語に酔いしれ、現実を見る目を失っている。
「証拠ならある! お前の部屋から呪いの人形が見つかった!」
「⋯⋯それは私の部屋に、誰かが仕込んだものでは?」
「黙れ! エルンスト家の血には、古の『魔女』の血が混ざっていることは周知の事実。お前はその邪悪な力でリナを害し、国を乗っ取ろうとしたのだ!」
全くもって検討はずれな飛躍した理論にもかかわらず周囲の貴族たちはその言葉に反応した。
「魔女」という単語が持つ恐怖。それが集団心理に火をくべて轟々と燃え広がる。
「そうだ、あの冷たい目は人間じゃない!」
「魔女だ! 殺される前に殺せ!」
「災いの芽を摘め!」
罵声が嵐のようにシルヴィアを打つ。
いつの間にか近衛騎士たちは剣を抜き、シルヴィアを取り囲んでいた。
ゲームのシナリオでは、ここから国外追放を言い渡され強制的に退出させられる――しかし狂気はシナリオを超えて加速する。
「シルヴィア・エルンスト。国家反逆罪および魔女容疑により、この場で処刑を言い渡す!」
シリルのあり得ない宣告にシルヴィアは息を呑んだ。
処刑? ここで? 裁判もなしに?
これが、一国の王太子のすることなのか。
「⋯⋯狂っていますわ、殿下」
「死に損ないの魔女が、減らず口を!」
気色ばんだシリルの様子に触発されたものか、近衛騎士の一人が功を焦って踏み込んだ。
振り上げられた剣がシャンデリアの光を反射して煌めく。
シルヴィアはぎゅっと目を閉じた。
死ぬのは怖い。
だけど、レンとの約束は守った。彼を逃がすことはできた。それだけが唯一の救い――。
ガキンッ!!
耳をつんざくような金属音が、大広間に響き渡る。
一瞬の静寂――痛みは来ない。代わりに温かい背中が目の前にあった。
「⋯⋯え?」
シルヴィアが目を開けると、そこには見慣れた黒髪の従者が立っていた。
手には装飾のない実戦用の長剣。
彼は近衛騎士の剣を受け止め、手首を返すと同時に相手を蹴り飛ばす。
「な、何者だ!」
「乱入者だ! 捕らえろ!」
会場がパニックに陥る中、レンは剣を振り払い、シルヴィアを背に庇うように立ち騎士団に相対する。
その背中はいつもよりずっと大きく、そして恐ろしく見えた。
「レン⋯⋯!? どうして、お前⋯⋯逃げろと言ったのに!」
「お嬢様」
レンは振り返らず、静かな声で言った。
それは朝のお茶を淹れる時のような、平穏なトーンだった。
「私は道具です。道具が持ち主を見捨てて逃げるなど、あり得ません」
「馬鹿なことを! ここは王宮よ! 相手は国そのものなのよ!」
「ええ、存じております」
レンは剣を構え直す。
その視線は王太子シリルと聖女リナ、そして殺気に満ちた騎士たちを射抜いていた。
「これより、お嬢様の退路を切り開きます。私の背中から離れないでください」
「き、貴様! ただの従者風情が、近衛騎士団に勝てると思っているのか!」
騎士団長が怒号を上げ、十数人の騎士が一斉に襲いかかる。
多勢に無勢。誰の目にも結果は明らかなはず――だった。
刹那。
レンの姿がブレた。
剣閃が走る。一度ではない。二度、三度、四度――視認できない速度の連撃。
先頭にいた騎士たちの剣が弾き飛ばされ、鎧の隙間を的確に打たれて崩れ落ちる。
血飛沫は舞わない。レンは峰打ちや関節への打撃で、彼らを無力化していた。
だが、その制圧力は殺し合いのそれよりも遥かに異質で圧倒的だった。
「な⋯⋯っ!?」
シリルが恐怖に引きつった顔で後退る。
レンは止まらない。
舞踏会の中心で、従者は踊っていた。
音楽のない死の舞踏。
右から迫る槍を最小限の動きで躱し、左から来る剣を別の騎士に当てさせる。
魔法も使わず、ただ研ぎ澄まされた身体強化と技術だけで、国一番の精鋭たちを子供扱いしていく。
前世の記憶と今世での執念が生んだ剣技。
シルヴィアを守るためだけに積み重ねた十余年の歳月が、彼を『個』としての最強へと押し上げていた。
「思い通りにはさせない」
レンが低く呟く。
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