2 魔法省の役人
家に帰ってからの数日、ずっとふわふわしてる感じだった。夢の中にいるみたいで。
雨は夜が明ける前にすっかり止んでた。
あのドームみたいなやつも、もう跡形もなかった。
なのに、うちのテントのまわりだけは、ぜんぜん濡れてなくて。まるで最初から雨なんて降ってなかったみたいに。
他のキャンプの人たちも、「あそこだけ変じゃなかった?」とか「地面、乾いてるよな」なんて言ってたけど、それだけ。誰も本気で気にしてないみたいだった。
チェックアウトして、車で帰る。
パパもママも、ドームのことは何も言わなかった。
……でも私だけは、どうしても忘れられなかった。
雨の音と雷のひびき。ドームの内側にいたときの、あの変な静けさ。
目を閉じると、今でも耳の奥に残ってる気がする。
▽ ▽ ▽
数日たって。
今日はパパとママが大きな注文を抱えていて、朝からずっと作業場がガチャンガチャンとうるさい。
うちの仕事は印刷とデザイン。作業場は家の奥にあるけど、ドアを閉めても機械音が家中に響いてくる。
私はリビングのソファで雑誌を膝に置いて、スプーンでアイスをすくっていた。
気づけばアイスは半分溶けて、雑誌のページもほとんど進んでなかった。
――ピンポーン。
インターホンが鳴った。
ガチャンガチャンという音にまぎれて、ママの声が飛んでくる。
「エミリー、出てくれる? 今手が離せないの!」
「はーい」
立ち上がって玄関へ向かう。どうせ宅配だろうと思ってドアを開けたら――
そこには、見慣れないスーツ姿の男女が立っていた。
「こんにちは。合衆国魔法省、ミズーリ州支局の者です」
男性が胸ポケットから革のケースを出して、身分証をぱっと広げて見せた。
……魔法省?
頭の中が一瞬で真っ白になる。足が玄関マットに貼りついたみたいに動かない。
「あの……ちょっと待ってください!」
慌ててリビングに走り、作業場のドアを開けて叫んだ。
「パパー! ママー! なんか変な人来た!」
印刷機の音が止まって、インクの匂いと一緒に二人が出てくる。
玄関の様子をひと目見るなり、パパもママも少し表情を引き締めた。
「失礼します。合衆国魔法省、ミズーリ州支局の者です。本日は――娘さんにお話がありまして」
「娘に?」パパの眉がぴくりと動く。
ママと短く目を合わせてから、「……わかりました。どうぞ」と答えた。
二人の役人が、靴を拭いて家に上がる。
私はなんとなく、その後ろについていった。
▽ ▽ ▽
応接スペース。
うちでお客さんと打ち合わせするときに使う部屋で、私は普段「邪魔だから」って入れてもらえない場所。
壁の時計は、午前十時を少し過ぎていた。
テーブルには紙サンプルと色見本帳がきれいに積まれていて、壁にはパパとママが手がけたポスターやチラシが飾られている。
見慣れたデザインばかりなのに、こうして並んでるとやけに立派に見えた。
私はパパの隣に座り、ママはその反対側。
向かい側のソファに、魔法省の二人が並んで腰を下ろす。
テーブルはガラスの天板で、その下にはいろんな紙やインクの見本がずらり。
厚みや手触りが違う紙が分類されていて、まるで小さな展示ケースみたいだった。
入口から覗くだけのときは気づかなかったけど――こうして座ると、ちょっと宝物みたいに見える。
「今日は暑いですね。外を歩いただけで汗が出ます」
女性のほうがにこやかに言う。
「ええ、冷房と一緒に換気もしてますから」ママが答える。
女性は笑って、「このインクの匂い、外から来ると涼しく感じますね」と続けた。
そこで男性が黒いフォルダを膝に置き、背筋をぴんと伸ばした。
「改めまして、私はトーマス・ヘインズ、合衆国魔法省ミズーリ州支局の者です。こちらは同僚のキャサリン・モリスです」
モリスさんと呼ばれた女性がうなずいて言った。
「今日は――エミリー・ウォーカーさんについて、お話があって参りました」
心臓がどくんと跳ねた。
まっすぐ私に向けられた視線を、はっきり感じる。
ヘインズさんがフォルダを開いて、一枚の書類を取り出した。
「数日前、ミズーリ州の魔法相談ダイアルに通報がありました。『キャンプ場で、一部だけ地面が不自然に乾いている場所があった』というものです」
モリスさんが続ける。
「私たちは現地を調査し、中心があなたのテント周辺だったことを確認しました」
「――エミリーさん」ヘインズさんが言った。
「そのとき、なにを願いましたか?」
「……雨が、やんでほしいって」
「やはり」
モリスさんが小さくうなずいた。
「本来なら精密な適性検査を受けてもらうのですが……なにせ、時間が足りませんので」
ヘインズさんはフォルダを閉じ、真っ直ぐこちらを見つめた。
「エミリー・ウォーカーさん。あなたは魔法使いです。そして、九月からリバーサイド魔法学校に通っていただきます」
――頭の中で、何かが弾けた。
「魔法学校……?」
私の声は、かすかに震えていた。
パパは低い声で「そんな話、いきなり言われても」と言い、ママは私の肩にそっと手を置いた。
「リバーサイド魔法学校は、ミズーリ州で唯一の公認魔法学校です。授業料は州から支給されますし、卒業すれば魔法を公式に使う資格も得られます」
モリスさんは落ち着いた声で言った。
パパは色見本帳を見つめたまま黙り込み、ママは小さく息をついて私を見る。
「……本当に安全なんでしょうね?」
パパが低く問う。
「もちろんです」ヘインズさんが即座に答える。
「安全管理には最大限の配慮をしています。リバーサイドは事故率の低さでも全米上位に入っています」
その言葉に、ママがようやく小さく息をついた。
私を見て「……やってみる?」と聞く。
胸の奥がふっと熱くなる。
「……うん」
モリスさんがにっこり笑った。
「では、入学準備に必要なものを揃えましょう。セントルイスのランタン通りにご案内します」
ヘインズさんが立ち上がり、「車を回します」と言った。
私は、パパと顔を見合わせる。
こうして、本当に――知らない世界への扉が開き始めた。
【あとがき】
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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