第4話
◇
「アンヘラ、ちょっといいか?」
帰り着いた宿で、私はシュトくんに呼ばれた。個室のドアから顔を覗かせた彼は私へ手招きをする。
瞬間、全身に異常なほど汗が滲んだ。カッと体が熱くなり、心臓が脈を打つ。
平常心を装い、彼へ近づいた。
「どうしたの?」
「すまない、ちょっと話が」
近くで見るシュトくんは本当に美しかった。
白い肌に滑らかな頬。灰色がかかった髪の毛にミントグリーンの目。
鼓膜に痺れるように伝わる声は、私を酩酊させる媚薬みたいだった。
「……アンヘラ?」
「あ、いえ。ごめんなさい。用件は?」
「部屋で話す」
そう言い、彼が私を部屋内へ導いた。
中は私の泊まっている部屋となんら変わりないが、しかし妙にすっきりとした印象を植え付ける。
小窓が空いていて、舞い込む風が火照った頬を掠めた。
シュトくんはベッドの縁に腰を下ろしていた。呆然と立ち尽くしていると、彼がおもむろに服をたくし上げる。
何が起こったのかわからず顔を逸らした私に、シュトくんが「これを治してくれないか」と言った。
何度か瞬きを繰り返し、視線を彼へ向ける。
そこには内臓までは達していないものの、深い傷があった。
解かれた包帯は血に濡れており、私は悲鳴をあげる。
「どうしてこんな傷を隠していたの!」
「いや、その……心配をかけたくなくて……」
「言わなきゃダメよ!」
「ごめん」と謝罪したシュトくんが目を細める。
「ちょっと前に、魔王の手先を退治しただろ? あの時にたまたま、ザクっとやられてさ。アンヘラに頼もうとしたんだけど、ほかの仲間の治癒でヘトヘトだったから、なかなか言い出せなくて……」
そんな! と、悲鳴をあげそうになった。
シュトくんは私の悲痛な表情を見て驚いたのか、宥めるみたいに首を横に振った。
「でも、見た目ほど痛くないんだ。血だって、さっきまで止まってた。でも、トレムと稽古した時に打ちどころが悪くて、傷口が開いたんだ」
困ったように笑う彼さえも愛しくなり、私はグッと唇を噛み締めた。シュトくんの隣へ腰を下ろす。
「今度からは、ちゃんと報告してね。小さな傷口でも、私は治してあげるから」
「ありがとう」
「いいの。だって、あなたは……大切な……」
そこで、喉の奥が狭まった。
言ってはいけない言葉なのかもしれない。でも言ってしまいたい。頭の中で誰かと誰かが戦っている。
ヒロインの使命を、全うしなければいけない。でも、シュトくんを愛しいと思う気持ちを殺したくない。
「……大切な、仲間だもの」
絞り出した声は、震えていた。本当はもっと言いたい言葉があったのに、けれど出てきたのは陳腐でありきたりな言葉だ。
しかし、その言葉を受け取ったシュトくんはニコリと微笑んだ。
「ありがとう。そうだよな、俺たちはかけがえのない仲間だ」
まるで澄み渡った青空のような微笑みは、下心のかけらも感じられなかった。
あぁ、彼にとって私は本当に「ただの仲間」なのだ。
そう悟った途端に、胸の奥がきゅっと寂しくなった。
「えぇ……大切な、仲間よ……」
それ以上は言えなくて、私は無言で彼の腹部に手を翳した。
瞬間、指先が皮膚へ触れた。傷口じゃない部分へ当たったが、反発的に手を離していた。
全身が汗ばみ、視界が霞む。初めて触れた彼の部分に、興奮を抑えきれなかった。口の中に唾液が滲み、頭がぼんやりとする。
「大丈夫か?」
シュトくんが心配げに私を覗き込んだ。「へ、平気」と嘘をついて、彼の皮膚へ触れる。
いつもは直接触れず、手を翳すだけだ。それだけで、治癒はできる。
けれど、今しかない。今しか、私と彼は触れ合うことができない。
「皮膚に触れるね。こうする方が、治りが早いの」
自分に、そして彼に言い聞かせるように口走った。
早口な言葉に、シュトくんは特に疑問は抱かなかった。
「あぁ、頼む」といい、身を任せている。
────彼に触れている。彼に触れている。彼に触れている。
柔らかかった。滑らかだった。そして、冷たかった。指先から伝わる情報を何度も脳内で咀嚼し、全身の神経へ流す。
私は、治癒をなるべくゆっくりにした。この時間が終わってほしくなかった。二人きりの部屋の中。触れ合うシュトくんと私。きっと二度と、こんな日は訪れない。
このまま、告げてみようか。好きです、と。私はあなたと結ばれたい、と。
どんな顔をするのだろうか。拍子抜けして、無理だと首を横に振るのだろうか。そうであっても構わない。私のこの気持ちを伝えることができるのなら、それで。
「……もうすぐで、魔王を倒せる。じきに、この旅も幕を下ろす」
シュトくんがひとりごちた。私は弾かれたように顔を上げる。
「それまで、共に戦う仲間同士、頑張ろうな」
彼の笑顔が眩しい。私の醜い感情が浄化されるようだ。
あぁ、いっそ、その光で私を消して欲しい。
そうすれば、この辛い感情からもおさらばできるのに。
私は彼の言葉に鈍く頷いた。
静かな部屋の中、二人の呼吸音だけがかすかに響いた。
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