第4話


「アンヘラ、ちょっといいか?」


 帰り着いた宿で、私はシュトくんに呼ばれた。個室のドアから顔を覗かせた彼は私へ手招きをする。

 瞬間、全身に異常なほど汗が滲んだ。カッと体が熱くなり、心臓が脈を打つ。

 平常心を装い、彼へ近づいた。


「どうしたの?」

「すまない、ちょっと話が」


 近くで見るシュトくんは本当に美しかった。

 白い肌に滑らかな頬。灰色がかかった髪の毛にミントグリーンの目。

 鼓膜に痺れるように伝わる声は、私を酩酊させる媚薬みたいだった。


「……アンヘラ?」

「あ、いえ。ごめんなさい。用件は?」

「部屋で話す」


 そう言い、彼が私を部屋内へ導いた。

 中は私の泊まっている部屋となんら変わりないが、しかし妙にすっきりとした印象を植え付ける。

 小窓が空いていて、舞い込む風が火照った頬を掠めた。

 シュトくんはベッドの縁に腰を下ろしていた。呆然と立ち尽くしていると、彼がおもむろに服をたくし上げる。

 何が起こったのかわからず顔を逸らした私に、シュトくんが「これを治してくれないか」と言った。

 何度か瞬きを繰り返し、視線を彼へ向ける。

 そこには内臓までは達していないものの、深い傷があった。

 解かれた包帯は血に濡れており、私は悲鳴をあげる。


「どうしてこんな傷を隠していたの!」

「いや、その……心配をかけたくなくて……」

「言わなきゃダメよ!」


 「ごめん」と謝罪したシュトくんが目を細める。


「ちょっと前に、魔王の手先を退治しただろ? あの時にたまたま、ザクっとやられてさ。アンヘラに頼もうとしたんだけど、ほかの仲間の治癒でヘトヘトだったから、なかなか言い出せなくて……」


 そんな! と、悲鳴をあげそうになった。

 シュトくんは私の悲痛な表情を見て驚いたのか、宥めるみたいに首を横に振った。


「でも、見た目ほど痛くないんだ。血だって、さっきまで止まってた。でも、トレムと稽古した時に打ちどころが悪くて、傷口が開いたんだ」


 困ったように笑う彼さえも愛しくなり、私はグッと唇を噛み締めた。シュトくんの隣へ腰を下ろす。


「今度からは、ちゃんと報告してね。小さな傷口でも、私は治してあげるから」

「ありがとう」

「いいの。だって、あなたは……大切な……」


 そこで、喉の奥が狭まった。

 言ってはいけない言葉なのかもしれない。でも言ってしまいたい。頭の中で誰かと誰かが戦っている。

 ヒロインの使命を、全うしなければいけない。でも、シュトくんを愛しいと思う気持ちを殺したくない。


「……大切な、仲間だもの」


 絞り出した声は、震えていた。本当はもっと言いたい言葉があったのに、けれど出てきたのは陳腐でありきたりな言葉だ。

 しかし、その言葉を受け取ったシュトくんはニコリと微笑んだ。


「ありがとう。そうだよな、俺たちはかけがえのない仲間だ」


 まるで澄み渡った青空のような微笑みは、下心のかけらも感じられなかった。

 あぁ、彼にとって私は本当に「ただの仲間」なのだ。

 そう悟った途端に、胸の奥がきゅっと寂しくなった。


「えぇ……大切な、仲間よ……」


 それ以上は言えなくて、私は無言で彼の腹部に手を翳した。

 瞬間、指先が皮膚へ触れた。傷口じゃない部分へ当たったが、反発的に手を離していた。

 全身が汗ばみ、視界が霞む。初めて触れた彼の部分に、興奮を抑えきれなかった。口の中に唾液が滲み、頭がぼんやりとする。


「大丈夫か?」


 シュトくんが心配げに私を覗き込んだ。「へ、平気」と嘘をついて、彼の皮膚へ触れる。

 いつもは直接触れず、手を翳すだけだ。それだけで、治癒はできる。

 けれど、今しかない。今しか、私と彼は触れ合うことができない。


「皮膚に触れるね。こうする方が、治りが早いの」


 自分に、そして彼に言い聞かせるように口走った。

 早口な言葉に、シュトくんは特に疑問は抱かなかった。

 「あぁ、頼む」といい、身を任せている。

 ────彼に触れている。彼に触れている。彼に触れている。

 柔らかかった。滑らかだった。そして、冷たかった。指先から伝わる情報を何度も脳内で咀嚼し、全身の神経へ流す。

 私は、治癒をなるべくゆっくりにした。この時間が終わってほしくなかった。二人きりの部屋の中。触れ合うシュトくんと私。きっと二度と、こんな日は訪れない。

 このまま、告げてみようか。好きです、と。私はあなたと結ばれたい、と。

 どんな顔をするのだろうか。拍子抜けして、無理だと首を横に振るのだろうか。そうであっても構わない。私のこの気持ちを伝えることができるのなら、それで。


「……もうすぐで、魔王を倒せる。じきに、この旅も幕を下ろす」


 シュトくんがひとりごちた。私は弾かれたように顔を上げる。


「それまで、共に戦う仲間同士、頑張ろうな」


 彼の笑顔が眩しい。私の醜い感情が浄化されるようだ。

 あぁ、いっそ、その光で私を消して欲しい。

 そうすれば、この辛い感情からもおさらばできるのに。

 私は彼の言葉に鈍く頷いた。

 静かな部屋の中、二人の呼吸音だけがかすかに響いた。

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