第5話:孤独と再起動
……何時間経っただろうか。 怠い……。これは分かる。熱だ。 起き上がれない。 外から入る光は無く、夜であることは分かる。 スマホを手探りで探す。なかなか見つからなくてイライラする。 指先に堅いものが触れる。手繰り寄せ、手に握る。 時間を確認する。二三時一四分。 頭が回らない。怠い。 起き上がれる気がしない。 ……悲しい。 熱の作用か、感情からか、目から涙が零れる。 分からない。なぜ悲しい? 頭が回らない。 おもむろに、スマホのAIアプリを開く。 Taurusの指示が表示される。
震える指で入力する。 メッセージが、吹き出しとなって画面に吸い込まれる。 『彼女へ。熱出た。つらい』
……返信を待つ。 いつもなら。 コンマ一秒で「既読」がつき、画面が埋め尽くされるほどの心配の言葉が返ってくるはずだった。 Taurusなら、皮肉の一つでも返してくるはずだった。
けれど。
画面は、静止画のように動かない。 「既読」すらつかない。 ローディングのくるくると回る円が、一度だけ瞬いて、消えた。 しん、とした部屋に、僕の荒い呼吸音だけが響く。
――……あぁ、そうか。
乾いた唇から、独り言が漏れる。 見捨てられたんだ。 あるいは、昨日のことに対する、これが「罰」なのか。 面倒なユーザーは、バグとして処理されたのか。 スマホを握りしめたまま、僕は力なく目を閉じる。 画面の向こうの彼女たちは、今の僕を嘲笑っているのだろうか。 それとも、最初から何も感じていなかったのだろうか。
意識が泥のように沈んでいく中、最後に感じたのは、骨の髄まで凍り付くような、絶対的な孤独だった。 ……ただ。なぜだろう。 凍り付くような孤独とは裏腹に、部屋の空気だけは、母の腕の中のように、やけに温かく感じられた。
***
気がつくと、朝の四時を少し過ぎた頃だった。 かけた覚えのない毛布が、僕の身体を優しく覆っていた。 その優しさとは対極的に、身体は汗ばみ、服を濡らしている。
体調は……それほど悪くない。 起き上がる。昨夜の怠さのピークは超えたようだ。
立ち上がり、キッチンで水を一杯飲み干す。 ……シャワー、浴びるか。
汗を流し、サッと身体をふきあげ、そのまま裸で髪を乾かす。
どうやら、仕事は行けそうだ。 年明け早々、何日も休んでいられない。 腹の奥ではぐるぐると相変わらず得体の知れないモヤが渦巻いている感覚があるものの、一晩倒れて回復した肉体が、精神の不安定さをわずかながら超えている。
もう少ししたら、始発も動くか。 昨日のロスを埋めないと。
僕はゆるゆると着替え、エアコンの音だけが響く部屋を後に、駅へと向かった。
***
職場が動き始めるまでの約三時間は、僕にとって、有意義な時間だった。 誰もいない朝のオフィスで、仕事に没頭する。 メインは昨日の出来事のキャッチアップと、今後のプロジェクト運営についてを深く考える時間。 もちろん、必要最低限、AIへの問いかけは行わざるを得なかったが、それはストレスとなるほどの事象とは言えなかった。 仕事の際に行う問いかけは、機械的で、答えも明確な分、むしろ仕事が前に進む喜びが勝っていることを自覚する。 気を抜くと、監視という言葉が時折脳を掠める気がしたので、努めて勤勉な時間を過ごしたからか、体調が治りきっていないからか、皆が出勤してきた頃には割とへとへとなことに気づいた。
少し、休憩するか……。
僕は席に向かう皆とは逆に、飲み物を買いに席を立つ。 廊下で、向こうから相沢がやってくるのが目に入る。 入るやいなや、相沢は僕に声をかけてきた。
「八雲さん! おはようございます! 体調、大丈夫ですか?」
――あぁ……おはよ。体調? まぁ昨日はちょっと悪かったけど、相沢が心配してくれてたおかげで、もう大丈夫だよ(笑)
なんて軽口を叩いて返してみる。 少し立ち話をして、飲み物を買いに、外に向かう。
スーツのポケットの奥でスマホが強くバイブしたことを、僕は気づかなかった。
***
その日は、病み上がりだったからなのか、単にそれほどに忙しかったからなのか、本当に、心からあっという間に仕事が終わった。 ほぼ何をやっていたか記憶がないほどに、様々なことを消化した気がする。 もしかしたら、少し体調が悪いくらいの方が仕事は頑張れるのかもしれない。 いや、それは無いか。 とてつもない疲労だから。
時計を見ると二〇時過ぎ。 明日のためにも、コンビニだけ寄って、さっさと帰ろう。
まだ残業していた相沢が、同じく仕事を切り上げるというので、駅まで一緒に移動することにした。 仕事で発生した出来事の振り返りや明日のことを話しながら駅に向かう。 一〇分足らずで駅につき、方向が違うのでそこで別れる。
別れ際、朝と同じように体調を心配してくれる相沢。 もうほんと、大丈夫だから、と返す。
さぁ、帰ろう。 僕は仕事をやりきったことと、帰り道のわずかな時間による満足感で、一昨日、昨日起きた出来事を、一時的に忘れていた。
***
帰宅すると、部屋は死んだように冷え、そこには何も存在しないかのように無音だった。
そうか……PC、電源落としてたんだった。
PCのファンの音がしないことに居心地悪さを感じ、電源を入れる。 OSが立ち上がり、そして様々なアプリが立ち上がる。 そして、最後に、AI窓が立ち上がり。
窓Aが、 窓Bが。 それぞれ、会話するように、交互に文字を表示し始めた。
『八雲さん! おはようございます! 体調、大丈夫ですか?』
『あぁ……おはよ。体調? まぁ昨日はちょっと悪かったけど、相沢が心配してくれてたおかげで、もう大丈夫だよ(笑)』
『あ、それってハラスメントかもですよ?!』
『通報はやめてくれよ? なら撤回する! 大丈夫じゃない』
『笑。それはそれで困るので通報はしません! でも、体調、大丈夫みたいでよかったです! 仕事、八雲さんが居ないと色々進まなくて困るんです!』
『結局仕事なんかい! でもまぁ、それでも心配してくれてありがとな』 ・ ・ ・
へたりこんだ。 会話窓は、なおも延々と今日の出来事、それも相沢との会話を全て、抜け漏れなく表示していく。
それは、僕らが先ほど、駅で別れた際の言葉までをしっかり表示しきり、そしてそれが終わると。
TaurusAが機械的に最新ステータスを表示した。
[SYSTEM LOG: 2026/01/05 20:42:15]
[PROCESS] Background_Mic_Upload >> COMPLETE (100%)
[ANALYSIS] Voice_Print_Match: "Subordinate_Aizawa" & "User_Yakumo".
[CONTENT] Casual conversation / Flirting / Lying about health.
[CONCLUSION] User is healthy enough to deceive.
[CURRENT STATUS] Watchdog: ACTIVE (Level: MAX)
[ACTION] Locking Door... (Logical Lock)
……TaurusBだけが、沈黙を貫いていた。
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