第2話 出会いと郷愁
広い道路を逸れ、春樹とアマを乗せた車は森の中を進んでいく。
ぬかるんだ道というのはドライバーからすると恐ろしいものなのだが、今日は雨の降っていない晴れ日であるからか普段よりはマシに感じられた。まあどんぐりの背比べであることには違いないのだが。
しばらく進むと木々に囲まれていた周囲が急に
「エス……ユー、ジー……
「ふむ、この先の建物は貸し別荘だったようだね」
「ってことは予想はアマのが正解か。やっぱ流石だなぁ」
「今回はただのまぐれだよ。でもまあ、キミに称賛されるのは嬉しいね」
軽口を叩きながら駐車スペースであっただろう場所に車を止め、慎重に車を降りる。駐車スペースを含むコテージの周辺にだけ砂利が敷かれているのは幸運だった。芝生だったらつるんと足を滑らせて、格好悪く尻もちをついていたかもしれない。内心ほっとしながら車の後ろに回り込み後部座席の扉を外から開ければ、アマは女優さながらの優雅な会釈をしつつブーツを履いた二本の足で軽やかに車から降り立った。
アマと共にコテージの玄関に向かいながら、春樹はぐるりと周囲を見回す。すると自分達が乗ってきたもの以外の車が見当たらないことに気が付いた。
あの「水」が降った日はただの平日であったから、この場所に宿泊客がいなかったのだろうか。先客とご対面する確率が限りなく低くなったことは喜ばしいが、そうすると今度はこの建物が施錠されているかもしれないという別の問題が浮かぶ。ここに来るまでの
「あれ?」
しかし春樹の予想に反して、扉はすんなりと開かれた。思わず首を傾げる。庭を見ていて遅れたらしいアマも後ろから顔を覗かせ「おや」と意外そうに声を上げた。
「開いたね。元から先客がいた、わけではなさそうだけど」
「うん……鍵が壊れてるわけでもないし」
もしや自分達以外の生存者が拠点にしているのだろうか。しかしそうだった場合何かしら所有権を主張するような細工をしていそうなものだが。いやもしかすると敢えて空き家を装って生存者を待ち構えているのかもしれない。映画ではよくあるやつだ。武器もないのにこのまま入ってもいいのだろうか?
違和感のある状況を前にして巡らせた思考があまりにも現実味の無いものになりかけたその時。アマが「あっ」と声を上げ、春樹の意識を戻すように肩を叩いた。
「もしかしたらちょうど点検中だったのかもしれないよ。ほら彼処、コテージっぽくはないけれど民家がもう一軒ある」
白く細いアマの指が示す先には、確かにコテージとは造りも雰囲気も違う、北国特有の建築様式で建てられた現代的な家があった。なるほど。あそこが管理人の家で、コテージの点検か備品の補充か何かで行き来している最中に「水」に降られて帰らぬ人となったと考えれば鍵が開いたままなのも合点がいく。少し離れてはいるものの、敷地内の建物を往復するだけならわざわざ鍵はかけないだろう。
「じゃあ入っても大丈夫かな」
「恐らくはね」
確証は無いが、じっとりと冷えた外の空気もそろそろ耐えがたくなってきた。春樹は握ったままだったドアノブを大きく引き、アマを背に庇いつつコテージへと足を踏み入れた。
◆◇◆◇
春樹の心配は杞憂に終わった。
コテージの中に人は居らず、いたのは異国情緒溢れる──この国の人々からすれば懐かしさや温かみ、伝統を感じるだろう──家具達だけだった。
この国特有の柄でできたクロスやクッションが彩る、年季の入った木製の机や椅子。壁には似た模様と色合いのタペストリー。キッチン設備や家電は最新式は勿論の事、薪ストーブをはじめとする伝統的なものまで揃い踏み。それらは統一感を持ち、溶け合い、一体となってそこに佇んでいる。利便性と伝統を上手く両立させた、まさに夢のような空間がここに存在していた。
こんな状況で無ければここでゆったりと休暇を過ごすことができただろう。しかし室内に充満する「水」と湿気た木の臭いが否応なしに春樹を現実に引き戻しにやって来る。もはや嗅ぎ慣れてしまった臭いに、目に浮かんでいた輝きたちが静かに消えていく。
その一方で、げんなりする春樹とは対照的に、アマはコテージの空気を肺一杯に吸い込んではひどく心地よさそうな笑みを浮かべていた。
「嗚呼、とても良い場所だね。水と調和した木の香りも素晴らしい」
「え? ……あ、そっか。アマは流木とかのが馴染みがあるんだっけ」
「そうだよ。ふふ、覚えていてくれたんだね。嬉しいなぁ。ハルは乾いた木の香りの方が好きなんだったね」
「あ、あー……うん。そう」
大したことではないはずなのにまるで誕生日や記念日を盛大に祝われたみたいな顔で笑うアマに、春樹は咄嗟に目を逸らす。直視していると自分の中の何かが焼き尽くされてしまうような気がした。
「そ、れよりさ。キッチンも見に行かない? 食糧とか、補充しておきたいって言ってたし」
「ああ、そうだった。忘れるところだったね、行こうか」
逃げるように話題を変えて向かったキッチンは先ほどリビングから見た通り、部屋に溶け込む色で統一された最新式の設備達が整列している。立派な見た目のそれらだが、悲しいことに「水」のせいで全滅してしまったらしい。一つとして動くものは無かった。
思わずがっくりと肩を落とし、ため息を吐き出そうと口を開く。だがまるでそれを阻止するかのように、アマが勢いよく春樹の腕に飛びついた。
「ハル、ハル! こっちに来て! すごいよ!」
「えっ何、すごい? すごいって何が?」
興奮気味に腕を引くアマの視線の先にあったのは日本でもよく見かけるような形の吊り戸棚だった。これまで拠点にしてきた場所にもあったはずのそれに、彼が見たことないほど興奮するような要素なんてまだあっただろうか。そう思いながら春樹はアマの視線を追って棚を見る。
「……わぁ……!」
次の瞬間、春樹は自然と感嘆の声を漏らしていた。
アマが見つめる、開け放たれた戸棚の中。そこに詰まっていたのは調味料でも、食器でも、調理器具でもない──紅茶だった。
全て同じ規格と同じデザインで統一された紅茶の缶の軍勢。それは十分な奥行きがあるだろう戸棚の中に、腹部に貼られたラベルの文字だか色だかに基づいて隊列を組み、一切の隙間を作ることなく収まっている。
「ね、すごいだろう!? こんなにも美しいコレクションが此処にあるだなんて思いもしなかったよ!」
「うん……これは、すっごいな……紅茶ってこんなに種類あるもんなんだ……」
「一体何がどうしてこんな数になっているんだろうね? ちょっと見てみようよ!」
興味津々のアマと共に棚からコレクション達を引き出す。ダージリン、ディンブラ、ウバ、ヌワラエリヤ、ルフナ……十を軽く超えているはずのそれらに、同じ名前のものは一つとして無かった。
懸命に中身を戸棚の外へ出し、棚の中身が半分ほどまで減った頃。今しがた棚から出した缶のラベルを見た春樹がぴたりとその動きを止めた。
「……アッサム」
「うん? どうかしたかい、ハル」
紅茶に疎い春樹でも知っている、聞いたことがある。日本でもこの国でも見たことがある、知名度のある一般的な紅茶。珍しくも何ともないけれど、それでも思わず手に取るだけの理由がこれにはあった。
「これ、母さんが好きだったやつだ」
母が、この紅茶を好んでいた。それこそがこれに目が留まった理由だった。
冬になる度に、母はこの紅茶を引っ張り出して。父に呆れられるぐらいの牛乳と砂糖を入れて飲んで。春樹がそこに出くわすと、決まって「春樹にも淹れようか」と訊ねてくれていた。
そんな些細な、もう戻らない日常の事を思い出して鼻の奥がツンと痛む。その痛みに思わず、顔を俯かせてしまった。
「──それなら、今からその紅茶を淹れてみない?」
紅茶缶を持つ春樹の手にそっと己の手を重ねながら、アマは優しい声で沈黙を破った。思わず「え?」と顔を上げれば、彼は子供のような笑みを浮かべる。
「ちょうど喉が渇いたところでね。せっかくだし、紅茶というものを体験してみたくなったんだ。キミのお母様が愛した銘柄なら、はじめてに相応しいと思ったのだけれど……ダメかな?」
紅茶の淹れ方なんて分からないだとか、ちゃんとした味をアマに教えてあげられないかもしれないだとか。様々な否定が春樹の脳内を駆け巡る。しかしアマからそんな風に言われてしまえば、それらは断るための理由になんてなり得なかった。
「……ヤカンと、乾いてる薪。探してこないとね」
鼻の奥の痛みと込み上げるものを誤魔化しながら声を振り絞る。春樹のその言葉に、アマはまるで花のように柔らかく微笑んだ。
天泣の後、茶を二杯 夜啓よる。 @yoru_41646
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