第1章

第3話 転校生

 チャイムが鳴るまでの残り時間、授業なんて誰も頭に入っていなかった。

 数学の先生は一応、授業としての体裁を守るために教科書を開き、黒板に数式を追記していく。

 チョークの粉が指に付いて白くなっているその手元が少し震えている。さっきの衝撃が、まだ先生の中にも残っているのだろう。


 先生の声は途切れず続いているのに、教室の耳には引っかからない。

 生徒たちの視線は、窓の外と、互いの顔と、机の上のスマホに散っている。

 空気を支配しているのは、さっきの爆発の余韻と、紫の揺らぎの残像、そして――爆心地に立っていた、見知らぬ少女の存在だった。


「なあ、さっきの見た? あれ、マジでやばくね?」

「てかあれ無傷だったよな? ホムラ先輩の炎と翔馬先輩のアレだぞ? 普通、即死だろ……」

「あの二人の技を防いだってことは、あの子もランカー入り確定じゃん」

「賭けはどうなるんだよ! 無効試合か!?」


 前の席、後ろの席、あちこちから囁き声が広がり、すぐに抑えきれない興奮に変わって教室を満たす。

 誰もが「今見たもの」を自分の言葉で確かめたくて、他人の言葉で補強したくてたまらない。

 見たはずなのに、信じ切れない。だから声にして固めたい。


 黒板の前に立っている先生は、チョークを握りしめたまま数回「静かに」と言ってみたものの、すぐに諦めたように肩を落とした。

 そのあとも板書は続ける。続けながら、視線が窓の方へ滑っていくのが隠せていない。

 教師だって人間だ。さっきの“あれ”が気になるのは同じだ。


「……はい、今日はここまでにする。これ以上やっても、お前らの頭に入る状態じゃないだろうしな。」


 パタン、と教科書を閉じる音。

 それが合図だったかのように、教室のざわめきはさらに大きくなった。


「先生、さっきのあれってさ――」

「今は休み時間だ。騒ぐなとは言わんが、ほどほどにしておけよ。……俺も報告書を書かなきゃならん」


 報告書、という言葉に、何人かが一瞬だけ口を閉じる。

 この学園では、上位の大技がぶつかって事故になりかけたなら、状況を残すために教師が報告書を書く。つまり、あれはただの“面白い出来事”で終わらない。


 先生はそれだけ言い残して、逃げるように教室を出て行った。


 キーンコーンカーンコーン。

 間延びしたチャイムが鳴ると同時に、教室のあちこちから椅子が引かれる音が響く。机が擦れて、床が鳴る。

 誰もが立ち上がる理由は同じだ。席に座っていると、落ち着かない。


 日向も当然のように、背もたれを逆にして振り返ってきた。

 顔には隠しきれない好奇心が張り付いている。こういうときのこいつは、興奮してるというより、燃料を探している目だ。


「なあ晴人、やっぱりあれも能力だよな? 飛ばすやつ? 守るやつ? それとも周りを囲うやつ?」


「知らねえよ。俺だって初めて見たんだって」


 即答しても、日向は引かない。引く理由がないからだ。


「いや、でもお前なら何か分かるかなーってさ。ほら、模倣すれば何となく仕組みとか分かったりしない?」


「まだ一回しか見てないし、そもそも遠すぎて……」


 俺は言葉を濁した。

 嘘ではない。だが、全部本当でもない。


 本当のところを言えば、さっきの“紫の波”の形は、頭から離れなかった。

 波紋みたいな揺らぎが、何層にも重なって広がっていた。炎と光を力で押し返したというより、いったん受け止めて、圧の向きを散らして、消したように見えた。

 見た瞬間に「押し返した」と言い出すやつがいるのも分かる。分かりやすいからだ。

 でも、俺の目に残っているのは、もっと嫌な感触だった。力のぶつかり合いじゃない。上位の二人が、一瞬だけ“通じなくなる”感じ。


 俺の能力“模倣”の本質は、見たものを頭の中で組み立て直すことにある。

 「模倣しろ」と言われたら、たぶん真似だけならできる気がする。形だけなら。色も、動きも、それっぽく。

 けど、その先は違う。中身がない。効果がない。だから俺は、そこで止めてきた。


 ……今ここで「なんとなく分かる」とでも言ったら、次に来る台詞は決まってる。

 「じゃあやって見せてよ」


 俺はあくまで観客だ。

 むやみにステージには上がらないし、上がりたくもない。


「まあ、凄いのは確かだろ。上位ランカー二人の大技をまとめて止めたんだし」


 そう言ってごまかすに限る。


「だよなー。あー、早く正体分かんねーかな。名前とか。一年かな? それとも他校からの道場破り?」


 日向は勝手に盛り上がりながら、後ろの席の連中とも賭けの清算と情報交換を始める。

 「今のなし!」「いや成立だろ!」なんて声が飛び交う平和な喧騒。

 平和なのに、落ち着かない。さっき見たものが、教室の空気の底をずっと揺らしている。


 俺は適当に相づちを打ちつつ、もう一度窓の外に目をやった。

 バトルエリアでは、教師と数人の生徒が現場を囲んでいる。腕章が見えた。評議会の連中だろう。

 近づくな、という動きで周囲を散らしながら、地面の焦げ跡や、抉れた土を確認している。


 さっきまで炎と光が暴れ、紫の波が支配していた場所には、ほんの少し土が抉れた跡があるだけだ。

 紫の波も、そこに立っていた少女の姿も、跡形もなく消えていた。


 ――本当に、何だったんだろうな。


 そんなことを考えているうちに、昼休み前の短い休み時間が終わる予鈴が鳴った。

 騒がしかった教室の空気が、少しずつ落ち着いていく。

 次の授業の準備を始めるやつ、まださっきの話を続けているやつ、こっそりスマホで掲示板を確認しているやつ。


 そこへ、教室のドアがガララと開いた。


「席に着けー。点呼するぞ」


 入ってきたのは担任の黒川だった。

 いつも通り、眠そうというか面倒くさそうというか、表情に張りがない。けれど目だけは起きている。手に持った出席簿で扉を軽く叩き、教壇へ向かう足取りも迷いがない。


 ジャージの上から白衣を羽織るという、学校の規則を一歩だけ踏み外した格好をしているくせに、誰も注意しない。注意したところで直さないし、直さないまま普通に授業を回すからだ。

 放任主義で、必要以上に生徒の中へ踏み込んでこないのに、変なところだけ鋭い。サボろうとすると、なぜかその瞬間だけ目が合う。そういう教師だ。


 渋々、教室の連中が席に戻っていく。椅子が引かれる音が重なり、さっきまでの雑談が途切れ途切れになる。

 黒川は教壇に立って、教室を一通り見渡した。窓の方、ざわついた机、スマホを隠し損ねた手元。全部見ているのに、咎める気配はない。


 その視線が、俺のところで一瞬だけ止まった気がした。気のせいかもしれない。けど、この教師の場合、気のせいにしてはいけない時がある。


「その前に、一つ連絡だ。今日からこのクラスに新しい生徒が一人増える」


 鎮まりかけていた空気が、また一気に跳ねた。

 小声のはずのざわめきが、抑えの効かない音に変わっていく。「事情があってこの時間からだが――」と続ける黒川の声なんて誰も聞いていない。


「マジで?」

「まさか」

「いやいや偶然だろ、タイミング良すぎじゃね?」


 全員の頭に同じ映像がある。

 爆心地の中心に立っていた少女。

 だから、この“転入生”という言葉が、すぐに別の意味を持つ。点と点が勝手に繋がっていく。


 黒川は咳払いを一つして、騒ぎを止めるでもなく、無視するようにドアの方を振り返った。


「入ってこい」


 静かに、少女が教室に入ってきた。

 空気が、ぴんと張った。さっきまで喋っていた連中も、声が落ちる。視線が一斉にそちらへ向く。


 腰まで届く長い黒髪。切れ長の目。

 そして、糊の効いた真新しい本校の制服。着慣れていないのが、動きで分かる。スカートの揺れ方が固い。


 ――間違いない。

 さっき校庭で、炎と光の交差点に立っていた、あの少女だ。


 彼女は教壇の前まで歩いてくる。三十人分の視線を浴びているのに、姿勢が崩れないどころか、息の仕方すら変わらない。

 緊張していない、というより、緊張する理由がないみたいな歩き方だった。


 黒川がチョークを取り、黒板に名前を書きながら淡々と紹介する。


「転入生だ。今日からお前たちのクラスメイトになる。自己紹介しろ」


 少女はこくりと頷き、一歩前に出た。

 そして、教室を見回す。見回しているのに、誰とも視線を合わせようとしていない。自分の中で必要な確認だけしている感じだ。


「織宮 おりみや りんだ。織るに宮。凛は、凛としたの凛だ」


 よく通る声だった。発音がはっきりしていて、言い切る。

 それだけでも教室が静かになるのに、続く言葉で、今度は別の意味で固まった。


「この学園のことは、まだよく知らぬが……すぐに名を見かけることになるであろう。よろしく頼む」


 知らぬ。であろう。

 今どきの高校生が普段使いする言葉じゃない。変に芝居がかった感じでもないから、余計に浮く。


「……なんか、時代劇みたいな喋り方だな」


 前の席で日向が小声で言い、隣の席の女子が肘でつついた。


「聞こえるって」


 黒川は眉を少し動かしただけで、突っ込まなかった。この教師にとって重要なのは、言葉遣いがどうこうより、教室が破綻しないことだ。


「じゃあ織宮の席は……そうだな」


 黒川の視線が教室を滑り、最後に俺の隣で止まった。

 空いている席。窓際。俺の特等席の隣。


「藤堂の隣が空いてるな。そこに座れ」


 心臓が嫌な鳴り方をした。

 窓際の後ろは、目立たない。見ているだけなら安全。そう思って座っていた場所だ。

 そこへ、よりによって、さっきの“中心”が来る。


「藤堂、後で教科書とか見せてやれ」


「……はい」


 名前を呼ばれて、反射で返事をする。断る余地はない。

 織宮凛が歩いてくる。机の間を通るだけなのに、周りの空気が固い。誰もが息を殺して見ている。


 すれ違いざま、ふわりと清涼な香りがした。香水というより、洗った布みたいな匂いだ。制服が新しいからかもしれない。

 そして一瞬だけ、視線が合う。


 近い。

 校庭で見たときは遠かった。だから、表情が読めなかった。

 今は違う。目の動きが分かる距離で、こちらを見ている。

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