第2話 爆心地の少女
変わるのは早かった。
「ハリボテ」「演出係」「結局、見た目だけ」
笑うやつは笑う。失望するやつは距離を取る。面白がるやつは「もう一回やれよ」とせがむ。
その全部が、俺にとっては同じだった。踏み込まれるのが一番嫌だった。
踏み込まれたくない。
順位で値踏みされたくない。注目されたくない。
そう思ってしまった。
だから俺は、ここで観客をやっている方が性に合っている。
模倣が“戦う力”じゃないことを、俺自身が一番分かっている。分かってるから、最初から輪に入らない。入らなければ、笑われる理由も減る。
「晴人、どっちが勝つと思う?」
日向が聞いてくる。
「この流れだと翔馬先輩。このままホムラ先輩が決めきれなきゃ、後半で押し切られる」
「やっぱりかー……」
日向が頭を抱える。その反応だけで、賭けの内訳がなんとなく分かる。
こいつはたぶん、ホムラ先輩に寄せている。理由は単純だ。派手だから。分かりやすいから。観客側の判断基準なんてそんなもんだ。
俺は笑いそうになって、窓の外へ視線を戻した。
「……来るぞ」
誰かが呟いたのが合図だった。
バトルエリアで二人の動きが止まる。距離が開き、呼吸が整う。次に来るものが大きいと、素人でも分かる間。
騒いでいた教室が、急に静かになる。空気が一段、重くなる。
ホムラ先輩の背後で炎が膨れ上がった。
虎の形が一気に大きくなる。さっきまでの炎虎とは別物で、校舎の二階に届きそうな巨体だ。
炎の輪郭が濃い。火の粉が落ちる量が増える。熱がここからでもはっきり分かる。教室の空気が乾く。唇が、勝手に粘つく。
翔馬先輩は一歩も引かない。
拳から漏れる光が濃くなり、背後に龍の輪郭が立ち上がる。
眩しいだけじゃない。空気が押されて、肺が浅くなる。身体が「息を吸うな」と言ってくるような圧だ。
動いていないのに、もう殴られているみたいな感覚がある。
教師が「窓から離れろ」と言いかけて口を閉じた。
離れたところで、関係ない。学園側の安全装置が働くはずだ、と全員が分かっている。そうでなきゃ、こんな戦いが日常になるわけがない。
ただ、それは「死なない」というだけで、「怖くない」という意味じゃない。
教室が静まった。
さっきまで騒いでいた連中も、口を閉じる。呼吸の音だけが目立つ。誰かが唾を飲み込んだ音が、やけに大きく聞こえた。
バトルエリアの中心で、ホムラ先輩が一度だけ肩を落として息を吸う。
炎がその動きに合わせて膨らみ、背後で虎の輪郭が“固定”された。さっきまでの炎虎は、走って噛みつくための形だった。今のは違う。
虎というより、巨大な塊だ。足場の地面が熱で揺れて、輪郭が揺らいでいるのに、形だけは崩れない。火の粉が雨みたいに落ち、焦げた匂いが窓越しでも濃くなる。
「――行くぞ!」
ホムラ先輩の声が、防音の窓を震わせた。
巨大な炎虎が地面を蹴った瞬間、校庭の砂が一斉に跳ねる。熱で乾いた砂が舞い上がり、虎の前脚が着地した場所が黒く焦げた。
一直線。迷いがない。
虎は走るというより、突進そのものだった。
「――来い!」
翔馬先輩は動かなかった。
いや、動いているのに動いていないように見えた。重心がぶれない。足が地面に刺さっているみたいに止まっている。
拳の周りの蒼白い光が、いきなり濃くなる。光の輪郭が背後で龍の形を取り、上へ伸びる。
眩しさと同時に圧が来た。胸が押されて、勝手に息が浅くなる。教室の空気が一段冷えた気がした。
次の瞬間、拳が振り抜かれた。
龍の形を取った光が、奔流になって前へ走る。
音が遅れて追いかけてくる。まず“無音の衝撃”が来て、その後にゴウッという低い鳴りが校舎を揺らす。
炎の虎と、光の龍。
軌道は、誰が見ても真正面からの激突だった。交差点は、バトルエリアのど真ん中。
――そこに。
「……あれ?」
俺は思わず声を漏らした。
交差点。熱と光がぶつかる場所。
いつの間にか、人影がある。
長い黒髪。華奢な肩。
この学園では見慣れない、他校の制服を着た少女が、ふらりと立っていた。
場違い、なんて言葉じゃ足りない。そこは“居ていい場所”じゃない。数秒後に、炎と光に擦り潰される位置だ。
「おい、嘘だろ!」
日向が窓に張り付いて叫ぶ。
後ろの席のやつが「誰だよ!」と声を上げ、女子が息を呑む音が重なる。
先生が慌てて何かを言おうとするが、間に合わない。二人とも全力を込めてしまっている。止まらない、止められない。
これを制する事ができるのは、もっと上の誰かだけだ。――でも、そこにいるのは少女ひとり。
次の瞬間。
カッ、と視界が白く染まった。
爆音が校庭を覆い、窓ガラスが限界までたわんだ。
机が小さく浮く。椅子が床を擦る。
俺は反射で腕を上げ、目を閉じた。
ガラス越しでも熱と衝撃が伝わってくる気がした。肌がひりつき、耳の奥が痛む。女子の悲鳴と、誰かの「伏せろ!」が混ざる。
……終わった。
誰もがそう思ったはずだ。
あの位置にいたなら、怪我ではすまない。そういう可能性が、ここにはある。
数秒後。
爆音が遠ざかり、聞こえるのはざわめきだけになる。耳鳴りの中で、言葉が途切れ途切れに入ってきた。
「今の……」
「やばくね……?」
「先生、救護班!」
「誰が入ったんだよ……!」
俺はゆっくり目を開け、もう一度窓の外を見た。
土煙が校庭を覆っている。中心が見えない。焦げ臭さが、さっきより濃い。
――いや。
煙の中に、紫色の揺らぎが広がっていた。
「……波?」
無意識に呟いていた。
水面の波紋みたいな揺らぎが、空中に固定されている。
一枚じゃない。何層も重なっている。薄い紫の膜が、規則的に間隔を保ったまま広がって、空間そのものを押さえつけている。
煙すらも押し留めていた。風が吹いているのに、紫の境目で止まる。境界線が見える。
土煙の内側に、炎と光の名残が絡みついたまま、止まっていた。
あれほどの勢いが、そこで完全に静止している。
止めた?
あの二人の一撃を?
誰が? どうやって?
思考が追いつかない。
なのに視線だけは、紫の中心へ吸い寄せられる。
パリン、と乾いた音がした。
ガラスが割れる音じゃない。空気が裂けるような、薄い破裂音だ。
紫の膜が、霧みたいにほどけていく。
同時に、煙が風に押されて流れ、中心が露わになる。
そこには、一人の少女が立っていた。
長い黒髪を風に揺らしながら、制服の裾についた埃を軽く払う。
爆発の中心にいたはずなのに、傷一つない。
足元には焦げ跡すら少ない。半径数メートルだけが、妙に綺麗なままだ。
まるで、そこだけ世界の法則が違うみたいに。
少女はつまらなそうに周囲を見渡し、立ち尽くすホムラ先輩と翔馬先輩を一瞥した。
それから観客席代わりの校舎を見上げ、窓枠に張り付いている俺たちの方へ視線を流す。
遠くて表情までは見えない。
でも佇まいだけで分かった。格が違う。
怖い、とは違う。見た瞬間に「同じ土俵じゃない」と理解させられる種類の差だ。
「今の、どうやって避けたんだ……!?」
どこかで誰かが叫んだ。
避けたのかは分からない。けど、そう言いたくなる光景だった。
“止めた”という事実より“避けた”という言葉の方が、見ていた連中の頭に収まりがいい。だから勝手にそうなる。
「……誰だ、あれ」
俺の口から出た言葉は、教室のあちこちから響いた声と重なった。
その日、学園中で一番話題になる名前を、俺はまだ知らない。
ただ、あの紫の波と、爆心地に平然と立つ無傷のシルエットだけが、強く網膜に焼き付いていた。
消えないまま、何度も頭の中で再生され続けた。
模倣の癖が、勝手に動く。
あの波の形を、幅を、層の間隔を――理解しようとしてしまう。
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