第4話 教室の空気
値踏み、という言葉が浮かんだ。
ただ、馬鹿にする目ではない。興味本位でもない。透明で、事務的に近い。必要な情報を取る目だ。
「織宮 凛だ、よろしく頼む」
声はさっきと同じ調子で、感情の起伏が少ない。
それだけ言って、すぐ前を向く。挨拶は済んだ、という態度だ。
「お、おう……俺は、藤堂 晴人……」
反応を返して、俺も釣られて前を向いた。
教室の視線が痛い。俺にではなく、隣の席に向けられているのが分かる。分かるから余計に落ち着かない。
――同じクラスで、しかも隣。
そういう事実だけで、俺の“観客席”はもう安全じゃない気がした。
「……よし。自己紹介は済んだな。授業を始めるぞ」
黒川はいつも通りに言って、黒板に向き直る。
教室も形式だけは授業の形に戻る。ノートを開く音、筆箱の蓋の音。
だが、織宮凛というイレギュラーを迎えた教室が、いつも通りでいられるはずがなかった。
筆記用具を動かす音はなっているのに、視線は一箇所に――俺の隣、織宮凛へ吸い寄せられていく。
さっきのバトルの件がある。転入生としての目立ち方もある。何より、あの場に“いた”という事実が重い。
気にするなという方が無理。むしろ、気にしない方が不自然だ。
浮足立つ教室とは対照的に、本人はそれを気にする様子もなく、配られたプリントを机の端に揃え、ノートを開いている。
動きが静かで、無駄がない。
背筋を伸ばし、黒板を見据える姿は模範的すぎるほどで、逆に教室の空気から浮いている。
転校初日の「様子見」がない。最初から、ここが自分の居場所だと決めているような落ち着きだった。
(……この状況で普通に授業を受ける気かよ)
内心で突っ込みながら黒板へ視線を戻したが、文字が頭に入らない。
さっき校庭の爆心地に立っていたやつが、今俺の隣で授業を受けている。
現実味が薄い。音だけが妙に具体的で、逆に怖い。紙が擦れる音。ペン先が走る音。
黒川が板書を進める。教室がようやく“授業の形”に戻りかけた頃、俺の肘に触れるか触れないかの距離で、小さな音がした。
とん。机を軽く叩く音。
横を見ると、凛がこちらを見ていた。表情は変わらない。なのに目だけが真っ直ぐで、逸らすことを許さない種類の真っ直ぐさだ。
「藤堂晴人」
小声なのに、妙に通る声だった。言葉が短いぶん、余計に耳に残る。
「……何だよ」
反射で同じくらいの声量に落とす。先生に見つからないよう、教科書で口元を隠すふりをする。
「この学園では、授業中にあのようなバトルが起こるのは常なのか」
凛は黒板を見たまま、口だけ動かして聞いてきた。
質問自体は素朴に聞こえるのに、言い方が妙に落ち着いている。驚いている顔をしていない。確認しているだけだ。
「……常っていうか、いつもやってるやつらがいるだけだよ。」
「止めないのか」
「止めない。というか、止める理由がないんだよ。学園側も黙認してる」
俺はできるだけ短く答えた。余計な説明をすると、そこから話が膨らむ。俺はそういうのが嫌いだ。
けれど凛は、そこで終わらせる気配がなかった。
「黙認、ということは……許可に近いのだな」
凛の声は平らだ。
言葉の端が、事務的に聞こえる。判断材料を集めているような。
「まあ、そう。上位同士だと特に。データが取れるとか、刺激になるとか、そういう理由で」
凛はふむ、とだけ言ってペンを走らせた。
ノートに板書とは違う文字が増える。授業内容のメモではない。短い言葉の羅列だ。
見えないが、書き方で分かる。情報の整理している。
それで終わりかと思ったが、すぐにもう一度こちらを見る。
「では、先ほどの二名は、この学園で強いのだな」
「強い。間違いなくトップクラス」
三年の武田ホムラと上杉翔馬。
この学園の頂点に近い二人だ。
それを真正面から止めたお前が何を確認しているんだ、と喉まで出かけて飲み込む。言って得をしない。
「だろうな」
凛はそれだけ言って、また前を向いた。
嬉しそうでもない。得意げでもない。ただ、当然の結論として受け取っただけの声だった。
質問の意図が分からない。
強いと知って、何だ。
……いや、分かる。これは“知りたい”じゃない“確かめたい”だ。自分の推測が合っているかどうかを確認している。
まるで、相手の戦力を数えて、頭の中で配置を組み直す指揮官みたいに。
授業の終わりまで、凛はそれ以上話しかけてこなかった。
ノートを取る手も止まらない。板書を写し終えると、余白に自分なりの書き込みまでしている。数式の横に短い注釈が増え、線で繋がれ、整理されていく。
(真面目かよ……)
真面目というより、慣れている。
初日で注目を浴びて、空気に飲まれる様子がない。
周囲の視線を気にしていないというより、視線の価値を最初から低く見積もっている。道端の雑音みたいに扱っている。
それが、俺には余計に不穏だった。
自分がどれだけ目立っているかを理解したうえで、平然としている。
そして、何かを確かめるためにここへ来た――そんな感じがする。
昼休みを告げるチャイムが鳴った瞬間、教室の空気が切り替わった。
午前中の授業中は、興奮を抑えるために皆どこかで我慢していた。その我慢が、合図と同時にほどける。
弁当箱の留め具が外れる音。購買の袋が破れる音。机を寄せる音。椅子が擦れる音。
生活音が一斉に重なって、教室はいつもの昼休みに戻る。……はずだった。
渦の中心が、最初から決まっている。
俺の隣の席だ。
「織宮さん! さっきの、あれ何!?」
「ねえ、能力名って何なの?」
「ランキングってもう入ってるの? 入ってるよね!? あんなの初めて見た!」
男子も女子も関係なく、凛の席の周りに人垣ができた。
机に座ったままの凛を、二重三重の輪が取り囲む。前のやつが身を乗り出せば後ろのやつがつま先立ちになり、声が重なっていく。
誰もが一番聞きたいのは同じだ。校庭で何が起きたのか。あの紫は何だったのか。あそこに“立っていた”のは何者なのか。
普通なら、転校初日にここまで囲まれれば、笑って誤魔化すか、困って視線を泳がせると思う。
だが、凛は眉一つ動かさなかった。
立ち上がりもしない。
座ったまま背筋を伸ばし、質問の方向へ視線だけ向ける。その目は真っ直ぐで、声を荒げることもない。
態度は落ち着いているのに、周りの熱に合わせる気がないのが逆に目立つ。
「……私の能力だ」
凛の声は、喧騒の中でも不思議と通った。声量が大きいわけじゃない。言葉がはっきりしていて、迷いがないから耳に残る。
「能力名は、そうだな……“
「波動……?」
誰かがオウム返しに呟く。
短い。説明が少ない。けれど、本人がそれで済ませる気でいるのが分かる。
「それってどんな能力なの? 衝撃波とか?」
「手元から飛ばしたり? それとも触れたものを動かすとか?」
この学園らしい質問が飛ぶ。
“分類”に当てはめれば安心できるからだ。未知は不安だ。だから枠に入れたがる。
凛は軽く首を横に振った。
「知らぬ。その辺りは、貴様らの方が詳しいであろう」
質問者が求めている“分かりやすい解説”も“謙遜”も、凛は一切しない。
焦らない。愛想も作らない。必要以上に語らない。
それでも場が冷めない。むしろ逆だ。
答えが少ないほど、周りが勝手に補う。想像して、盛り上がる。教室の輪がじりじり広がっていく。
「“波動”って何ができるの? ビーム撃てるとか?」
「説明するつもりはない」
「だよねー……かっこいい……」
肯定されたわけでもないのに、誰かが勝手に納得している。
“クールな転校生”という枠に押し込んで安心しているだけだ。
俺は自分の席で、購買で買った焼きそばパンの袋を開けながら、その光景を横目で見ていた。
逃げるタイミングを完全に失った形だ。隣が震源地になっている以上、俺も巻き込まれ続ける。
(……面倒くせえことになったな)
隣の席が目立つと、必然的に俺も視界に入る。そういうのが一番嫌だ。
できるだけ気配を消して、パンの袋と机の影に紛れようとする。けど、教室の視線は一度集まると散らない。
「晴人、すげーな」
前の席から、日向が俺の机を肘で突いてきた。
弁当箱を広げながら、妙に楽しそうに笑っている。
「何がだよ」
「有名人の隣じゃん。特等席おめでとう」
「俺が望んだわけじゃねえ。変わってくれるなら今すぐ譲る」
「いやー、俺にはあの感じ無理だわ。胃が痛くなりそう」
日向が顎で凛の輪を示す。
確かに、あれを真正面から浴びるのはきつい。俺は逃げたい。けど席は逃げない。
「つーかさ、もう晴人のこと目ぇ付けてるでしょ」
「……は? 何言ってんだ」
パンをかじる手が止まった。
「だって授業中、話しかけられてたじゃん。俺、地獄耳だからヒソヒソ声聞こえてたんだぜ。何話してたの?」
面倒なところを聞かれている。
俺は声を落とした。
「……学園のこと聞かれただけ。普通の会話だぞ」
「ふーん。普通ねぇ」
日向が意味ありげににやける。
言い返そうとした、その時だった。
凛を取り囲む輪の中から、一人の女子の声が鋭く上がった。
「ねえ織宮さん! さっきホムラ先輩と翔馬先輩の技、来てたでしょ? あれ、どうやって避けたの? 瞬間移動とか?」
問いが核心に近づいた瞬間、教室の空気が変わった。
さっきまで適当に騒いでいたやつらも、輪に混ざって無い連中も手を止めて耳を澄ます。
上位ランカー二人の大技、その激突点。そこから無傷で出てきた理由。ここだけは、誰もが同じ温度で知りたい。
凛は、ほんの一瞬だけ間を置いた。
視線を質問者へ向け、ゆっくり瞬きをする。考えているというより、言葉を選んでいる間だ。
「避けたのではない」
落ち着いた声が、教室の隅まで届く。
「受け止めただけだ」
その一言で、輪の中の何人かが息を呑んだ。
静けさが落ちる。
受け止めた。あの炎虎と昇龍を。回避でも転移でもなく、正面から。
「……え、受け止めたって、そんな――だってあれ、ほぼ爆発……」
「可能だ」
凛は淡々と断言した。疑う余地がない、と言い切る声だ。
それが余計に、凛の底が見えない感じを強くする。
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