第27話 言えなかった言葉が、こぼれた夜

七月の夜は、少しだけ湿っていた。


 昼間の熱が残って、アスファルトがぬるく、

 風はあるのに涼しくない。


 蓮はサークルのミーティングを終えて、スマホを見た。


 未読はない。


 それが、少しだけ寂しかった。


 ――忙しいだけだ。


 そう自分に言い聞かせる。


 去年なら、終わった瞬間に連絡していた。

 今は、迷う。


 邪魔になるかもしれない。

 疲れているかもしれない。


 その遠慮が、少しずつ距離を作っていることに、

 まだ気づいていなかった。



 帰り道、コンビニの前で立ち止まる。


 アイスを買って、外のベンチに座った。


 ふと、メッセージを送る。


「今終わった」


 数分後、返信が来た。


「私も、今帰り」


 少しだけ嬉しくなる。


「電話する?」


 送ってから、少し後悔した。


 重かったかもしれない。


 でも、すぐに返事が来た。


「いいよ」


 胸が、少し軽くなった。



 電話の向こうで、電車の音がする。


「お疲れ」


「蓮も」


 いつもの声。

 でも、どこか疲れている。


「最近、大変そうだな」


 蓮が言うと、少し沈黙があった。


「……うん」


 短い返事。


「でも、大丈夫」


 その言葉が、また少し遠かった。


 蓮は、思わず言ってしまった。


「本当に?」


 空気が止まる。


「何それ」


 薫の声が、少しだけ固くなった。


「いや、無理してないかなって」


「してないよ」


 少し強い口調。


 その瞬間、蓮は気づいた。


 ――踏み込みすぎた。



 沈黙。


 電車の音だけが流れる。


 蓮は慌てて言う。


「ごめん」


 でも、もう遅かった。


 薫が小さく言う。


「心配してくれるのは嬉しいよ」


「でも?」


「……監視されてるみたいに感じるとき、ある」


 その言葉に、胸が締めつけられた。


 監視。


 そんなつもり、なかった。


 でも――。


 結果として、そう感じさせていた。



 蓮は、しばらく何も言えなかった。


 薫が続ける。


「忙しいのは、ちゃんと意味があるの」


「分かってる」


「私も、蓮のサークル、応援してる」


 その言葉が、逆に痛かった。


 自分は、同じように応援できていただろうか。


 ただ、寂しいだけだったんじゃないか。



 電話を切ったあと、蓮はしばらく動けなかった。


 コンビニの灯り。

 遠くの車の音。


 全部が、少し遠い。


 ――俺、何してるんだろう。


 好きだから、心配する。

 でも、それが相手を縛るなら、意味がない。


 それでも。


 一緒にいたい気持ちは、消えない。



 その夜、薫からメッセージが届いた。


「さっき、言い方きつかった。ごめん」


 蓮はすぐに返す。


「俺も、ごめん」


 少し間があって、もう一通。


「でもさ」


 画面を見つめる。


「一緒に住んだら、こういうの減るのかな」


 心臓が、静かに大きく鳴った。


 蓮は、ゆっくり打つ。


「分からない」


「でも」


 少し考えてから、続ける。


「一緒に帰れる場所があるなら、

 今よりちゃんと話せる気がする」


 既読がつくまでの数秒が、長かった。


 やがて、返事。


「私も、そう思った」


 その一言で、胸の奥が温かくなる。



 小さな喧嘩だった。


 怒鳴り合ったわけでもない。

 傷つけ合ったわけでもない。


 ただ、

 言えなかった言葉が、少しだけこぼれた夜。


 そのこぼれた言葉の中に、

 未来の形が、少しだけ見えた。


 蓮は窓を開ける。


 夜風が入る。


 遠くで電車が走る音。


 その音を聞きながら思う。


 同じ場所に帰れたら。

 同じ夜を過ごせたら。


 きっと、もう少し分かり合える。


 そう願うことが、

 恋が続いている証だった。

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