第26話 同じ帰り道、違う歩幅

六月の夕方は、少しだけ湿っていた。

 空気が重くて、風が止まると汗ばむ。


 講義が終わり、蓮は教室の窓から外を見た。

 雲がゆっくり流れている。


 スマホが震えた。


「今日、少しだけ早く終わった」


 薫からだった。


 続けて、


「もしよかったら、一緒に帰れる?」


 その一行を見た瞬間、胸が小さく跳ねた。


「もちろん」


 返信は、迷わなかった。



 正門で待っていると、薫が走ってきた。


「ごめん、待った?」


「全然」


 息を整えながら笑う薫。

 その顔を見て、蓮は少しだけ安心した。


 久しぶりに並んで歩く帰り道。


 何も変わっていないはずなのに、

 どこかぎこちない。


「今日、どうだった?」


「ゼミ、発表近くてさ」


「大変そうだな」


「うん。でも、楽しい」


 その言葉に、蓮は少しだけ戸惑う。


 ――楽しい。


 それはいいことのはずなのに、

 胸の奥で、何かが引っかかった。



 駅までの道。

 人が多く、声が混ざる。


 沈黙が落ちる。


 気まずいわけじゃない。

 でも、去年のように自然に言葉が出てこない。


 蓮は、勇気を出して聞いた。


「最近、忙しそうだな」


 薫は少しだけ笑った。


「うん。でも、大丈夫」


 その「大丈夫」が、少し遠く感じた。



 改札前で、二人は立ち止まる。


 同じ電車だけど、乗る車両は違う。


 去年は、乗るまでずっと話していた。

 今は、少し沈黙が長い。


「……蓮」


 薫が、少しだけ真面目な声で言った。


「最近、私たち、ちょっと変じゃない?」


 その一言で、胸の奥が静かに揺れた。


 やっぱり、気づいていたんだ。


「……うん」


 正直に答える。


 薫は少しだけ目を伏せた。


「嫌いになったわけじゃない」


「分かってる」


「でも、時間が合わなくて」


 そこで、言葉が止まる。


 蓮は続けた。


「俺も、寂しかった」


 自分の口から出た言葉に、少し驚いた。


 でも、嘘じゃなかった。



 薫はゆっくり顔を上げた。


「私も」


 その一言で、胸が締めつけられる。


「でもね」


 薫は続ける。


「やりたいことも、増えてきた」


 その言葉に、蓮はうなずいた。


 分かっている。

 それが普通だ。


 大学に来て、

 世界が広がって、

 興味が増えていく。


 それは、止めるものじゃない。


 それでも――。


 自分の知らない時間が増えていく怖さが、消えなかった。



 電車に乗る。


 並んで座る。


 窓の外は、夕焼けだった。


 薫がぽつりと言う。


「去年みたいに、毎日一緒じゃなくても、

 ちゃんと続いてるって思える?」


 蓮は、すぐに答えられなかった。


 考えて、考えて、

 それでも、正直に言った。


「……思いたい」


 薫は少しだけ笑った。


「私も」


 それは、同じ答えだった。


 でも、同じ不安でもあった。



 駅に着く。


 改札を出ると、夜の空気が少し涼しかった。


 別れ際、薫が言う。


「また、一緒に帰ろう」


「うん」


 その約束は、軽い言葉じゃなかった。


 蓮は歩きながら、考える。


 問題は、好きじゃなくなったことじゃない。


 生活が、別々に進んでいること。


 それが、少しずつ距離を生む。


 でも――。


 もし、同じ場所に帰れたら。


 もし、同じ朝を迎えられたら。


 その考えが、静かに芽生えた。


 まだ言葉にはならない。

 でも、確かにそこにあった。


 帰り道の街灯が、一つずつ灯る。


 蓮はその光を見ながら思った。


 この距離を、失いたくない。


 そのために、何ができるか。


 答えは、まだ遠かった。

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