第25話 隣にいない時間の長さ

五月の空は、春と夏の間で迷っているようだった。


 朝の風はまだやわらかいのに、昼になると少しだけ強くなる。

 キャンパスの木々は、桜の淡い色を失い、濃い緑へと変わっていた。


 季節は、止まらない。

 それは分かっているはずなのに、蓮はどこか取り残されているような感覚を覚えていた。



 その日、最初の講義は一限だった。


 教室に入ると、すでに何人かの学生が座っている。

 一年生の頃は早く来るだけで緊張していたのに、今はもう慣れていた。


 蓮は後ろの方の席に座り、ノートを開く。


 ふと、隣の席を見る。


 空いている。


 去年は、ここに薫が座ることも多かった。


 同じ講義を取っていたわけじゃない。

 ただ、偶然が重なって、同じ空間にいることが多かっただけだ。


 それだけなのに――。


 その「偶然」が減ったことが、思っていたよりも寂しかった。



 講義が終わり、スマホを見る。


 薫からメッセージが来ていた。


「ごめん、ゼミの準備で図書館いる」


 短い文章。

 でも、それが薫の今を正確に伝えていた。


「了解」


 それだけ返す。


 本当は、

 「今から行ってもいい?」

 そう送ろうか迷った。


 けれど、指は動かなかった。


 邪魔になるかもしれない。

 集中しているかもしれない。


 そう考えてしまう。


 去年なら、そんなこと気にしなかったのに。



 昼休み、食堂は人で溢れていた。


 トレーを持って列に並びながら、蓮は周囲を見渡す。


 知らない顔が増えた。

 それは当然のことだ。


 大学は広く、

 人は多く、

 それぞれの生活がある。


 席に座り、一人で食べる。


 特別なことじゃない。

 むしろ、普通のことだ。


 それでも――。


 ふと、去年のことを思い出す。


 同じ席で、薫と並んで食べていた日々。

 くだらない話をして、笑っていた時間。


 今も、関係は変わっていないはずなのに、

 何かが少しだけ違う。



 午後の講義が終わる頃には、空は少し赤くなっていた。


 キャンパスを出る学生たち。

 笑い声。

 足音。


 蓮は立ち止まり、スマホを取り出す。


 連絡しようか、迷う。


 ――忙しいかもしれない。


 その考えが、指を止める。


 結局、何も送らずにポケットへ戻した。


 それは優しさなのか、

 それとも逃げなのか、

 自分でも分からなかった。



 帰り道、一人で歩く。


 夕方の風は、少しだけ冷たかった。


 去年の今頃は、

 この道を二人で歩くことが多かった。


 駅までの短い距離。

 何気ない会話。


「今日の講義どうだった?」


「眠かった」


 そんなやりとりが、当たり前だった。


 今は――。


 隣に誰もいない。


 それだけで、道が少し長く感じる。



 夜、部屋の明かりは静かだった。


 机の上に教科書を広げる。

 文字を追っても、頭に入ってこない。


 スマホが震えた。


「今終わった」


 薫からだった。


 その一言で、胸の奥が少しだけ軽くなる。


「お疲れ」


 すぐに返信する。


 数秒後。


「蓮は?」


「もう帰ってる」


 少し間が空いて、


「そっか」


 それだけだった。


 それだけなのに、

 言葉の続きが見えないことが、少しだけ寂しかった。



 蓮はベッドに横になる。


 天井を見つめる。


 嫌いになったわけじゃない。

 気持ちが冷めたわけでもない。


 ただ、

 一緒にいる時間が減っただけ。


 それだけのはずなのに。


 それだけのことが、こんなにも大きく感じる。


 蓮は目を閉じる。


 思い出すのは、去年の春。

 隣で笑っていた薫の顔。


 今も、変わっていないはずだ。


 それなのに――。


 距離は、目に見えない形で少しずつ生まれていた。


 蓮はまだ、その距離の意味を知らなかった。

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