第32話 夜風の中で決めた未来

喧嘩した夜のあと、数日が過ぎた。


 夏の終わりは、不思議なくらい静かだった。


 大学のキャンパスも、まだ夏休みで人が少ない。

 蝉の声だけが、空に残っている。


 蓮は講義棟の階段に座って、スマホを見ていた。


 薫とのメッセージは、ここ数日少しだけ短い。


 冷たくはない。

 でも、前より慎重な言葉。


 ――距離ができたわけじゃない。


 ただ、お互い少し考えている。


 それが分かるから、余計に落ち着かなかった。


⸻


 夕方、薫からメッセージが届いた。


「今日、会える?」


 短い一行。


 蓮はすぐ返信する。


「うん」


 数秒後。


「海、行かない?」


 蓮は少し笑った。


 この街の海は、二人にとって特別だった。


⸻


 夜の海は、人が少ない。


 昼間は賑やかな砂浜も、夜になると波の音だけになる。


 街灯の光が、砂を薄く照らしている。


 薫は先に来ていた。


 堤防に座って、海を見ている。


「待った?」


 蓮が声をかける。


 薫は振り向く。


「少しだけ」


 その笑顔は、いつもの薫だった。


 蓮は少し安心する。


⸻


 二人で並んで座る。


 波がゆっくり打ち寄せる。


 夜風が涼しい。


 しばらく、何も話さない。


 でも、沈黙は苦しくなかった。


⸻


「この前のこと」


 薫が言う。


「うん」


「私、ちょっと怖くなってた」


 蓮は黙って聞く。


「一緒に住むって、すごく嬉しいけど」


 薫は海を見る。


「失敗したらどうしようって思った」


 その気持ちは、蓮も同じだった。


⸻


「俺も」


 蓮は言う。


「怖い」


 薫が少し驚いた顔をする。


「でも」


 蓮は続ける。


「怖いからやめるのは、違う気がする」


 薫は静かに聞いている。


⸻


「喧嘩して思った」


 蓮は言う。


「ちゃんとぶつかれるなら、

 たぶん大丈夫」


 波の音が、少し大きく聞こえる。


「逃げないで話せば」


 薫は少し笑った。


「この前、逃げてた人が言う?」


「……反省してる」


 二人で小さく笑う。


⸻


 しばらくして、薫が言う。


「ねえ」


「うん」


「やっぱり、住みたい」


 その言葉は、静かだった。


 でも、迷いがなかった。


⸻


 蓮の胸の奥が、少し熱くなる。


「俺も」


 短い言葉。


 でも、それが本音だった。


⸻


 薫が少し照れた顔で言う。


「じゃあさ」


「うん」


「ちゃんと決めよう」


 蓮はうなずく。


⸻


「一緒に住もう」


 夜の海で、二人は未来を決めた。


⸻


 風が吹く。


 薫の髪が揺れる。


 蓮はふと思う。


 高校の帰り道で、

 初めて名前を呼び合った夜。


 あのときから、

 少しずつここまで来た。


⸻


「蓮」


 薫が名前を呼ぶ。


「なに?」


「ちょっと嬉しい」


「俺も」


 その言葉は、素直だった。


⸻


 帰り道、二人は並んで歩く。


 手が、自然に触れる。


 薫が少しだけ握る。


 蓮も握り返す。


 初めてじゃない。


 でも、今日は少し違った。


⸻


 この手は、

 ただの恋人じゃなくて。


 これから一緒に生活する相手の手だった。


⸻


 夜の街灯が、二人の影を並べる。


 同じ方向へ、伸びていた。

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