第30話 親に話すということ

八月の終わり。

 夜の空気はまだ夏だった。


 蓮はアパートの部屋で、スマホを見つめていた。


 通話履歴の一番上に、

 母の名前。


 指が、止まる。


 ――言うのか。


 同棲の話。

 薫と住むかもしれないこと。


 大学に入ってから、親に相談することは減っていた。

 でも、これは一人で決める話じゃない気がした。


 深く息を吸い、通話ボタンを押す。



「もしもし?」


 いつもの声だった。


「久しぶり」


「どうしたの?珍しい」


 蓮は少し笑う。


「ちょっと相談」


 電話の向こうで、母が少し黙る。


「何?」


 蓮は少し迷ってから言った。


「友達と、部屋借りようかと思って」


 嘘ではない。

 でも、本当でもない。


「友達?」


「……彼女」


 その瞬間、電話の向こうで小さく笑う声。


「そういうことね」


 蓮は少し照れた。



 事情を説明する。


 大学が同じこと。

 最近忙しくてすれ違うこと。

 一緒に住めば、生活も支え合えるかもしれないこと。


 言葉にするたび、

 自分の考えが整理されていく。


 母は、途中で口を挟まなかった。


 全部聞いてから、静かに言う。


「本気?」


「……うん」


 少し間があって、


「生活ってね、恋より大変よ」


 その言葉は、予想していた。


「分かってる」


「分かってないと思う」


 少しだけ、厳しい声。


 でも、その後で続けた。


「でも、考えてるなら、いいと思う」


 蓮は一瞬、言葉を失った。


「反対しないの?」


「反対しても、もう決めるでしょ?」


 図星だった。


 母は笑った。


「ちゃんと話し合うこと。

 それだけ」



 電話を切ると、部屋は静かだった。


 窓の外で、遠くの車の音。


 蓮は、少し肩の力が抜けたのを感じた。


 反対されると思っていた。

 怒られると思っていた。


 でも――。


 ちゃんと考えなさい

 それだけだった。



 少しして、スマホが震えた。


 薫から。


「親に話した?」


 タイミングが同じで、蓮は少し笑う。


「今終わった」


 すぐに既読がつく。


「どうだった?」


「思ったより普通」


 数秒後、


「私も」


 蓮は驚いた。


「もう話したの?」


「昨日」


 薫らしいと思った。


 ちゃんと準備して、先に進む。



 電話をかける。


「もしもし」


 薫の声。


「親、なんて言ってた?」


「心配はしてた」


「だよな」


「でも、ちゃんと考えてるならいいって」


 同じだった。


 蓮は少し笑う。


「似てるな」


「ね」


 沈黙。


 でも、悪い空気じゃない。



 薫が静かに言う。


「怖い?」


 蓮は少し考える。


「怖い」


 正直だった。


「でも、やめたいとは思わない」


 その言葉は、自分でもはっきりしていた。


 薫が小さく笑う。


「私も」



 電話を切ったあと、蓮は窓を開けた。


 夜風が入る。


 同棲はまだ決まっていない。

 部屋も決まっていない。


 でも、少しずつ現実になっている。


 親に話した。

 物件も見た。


 もう、冗談じゃない。


 それでも――。


 蓮は思う。


 この未来を、

 薫と一緒に選びたい。


 それが、答えだった。

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