第2話

地下室のランプを最小限に落とし、俺は静かに息を吐いた。


魔力探知の網をもう一度広げる。

やっぱり、いる。

屋敷の北西、森の奥から五つの小さな魔力反応。そして、その中心に――明らかに不自然な、ねばつくような黒紫の魔力が絡みついている。


(ゴブリンか……でも、普通じゃない。操られてる)


【影の書庫】で読んだ古い魔導書に、似た記述があった。

「下級魔物に外魔の欠片を憑依させ、人の住処へ誘導する」――いわゆる“斥候”の手法だ。


俺は小さく舌打ちした。


(七歳の貴族坊ちゃまが夜遊びなんてバレたら大騒ぎだ。……でも、放っておいたら屋敷の結界が破られる可能性がある)


選択肢は一つしかない。


「……行ってみるか」


まずは【影の書庫】から必要なページを瞬時に引き出す。


『瞬間転移・短距離版』

『完全隠蔽のヴェール』

『幻夢の恐怖』


三つを同時に頭に叩き込み、魔力を練り上げる。


体がふわりと浮いた感覚。

次の瞬間、俺はもう自室の窓から三メートル離れた屋敷の屋根の上に立っていた。


夜風が頬を撫でる。

星が綺麗だ。……って、感傷に浸ってる場合じゃない。


「完全隠蔽のヴェール」


薄い闇の膜が全身を包み、月明かりすら反射しなくなる。

息を殺し、屋敷の壁を伝って地面に降りる。見張りの衛兵がすぐ横を通ったが、気づく様子はゼロ。


(完璧だ。これなら誰にもバレない)


森へは、転移を三回連続で使って移動。

最後の転移で着地した場所は、ちょうどゴブリンたちの二十メートル手前。


五匹のゴブリン。

目は血走り、口から涎を垂らしている。明らかに狂っている。

中心に埋め込まれた黒紫の結晶のようなものが、脈打っていた。


(あれが外魔の欠片か……)


直接手を出すのは面倒だし、後始末が怖い。

俺は静かに指を鳴らした。


「幻夢の恐怖」


ゴブリンたちの視界に、巨大な黒い狼の群れが現れる。

俺が【影の書庫】で見た、最恐の古代魔獣「ダークフェンリル」の幻影だ。


ゴブリンたちは一瞬で硬直し、次の瞬間――


「ギィィィィヤアアアアア!!」


悲鳴を上げて森の奥へ逃げ散った。

黒紫の欠片は幻影に耐えきれず、ぽろりと地面に落ちて砕け散る。


……はい、解決。

戦闘時間、約八秒。魔力消費は全体の三%にも満たない。


(楽勝すぎて拍子抜けだな)


俺は念のため欠片の残滓を魔力探知で調べた。


――確かに、外魔のものだ。

でも、こんな辺境の森に外魔の欠片が落ちているのは不自然すぎる。

誰かが意図的に置いたとしか思えない。


(……これは、単なる偶然じゃないな)


証拠は残さない。

欠片の残骸を古代魔法の“浄化の炎”で完全に焼き払い、灰すら残さない。


任務完了。

転移で屋敷に戻り、ベッドに潜り込むまで、かかった時間は二十分にも満たなかった。


翌朝。


「おはようございます、レイン様! 今日もいいお天気ですよ」


エマがカーテンを開けながら、いつもの笑顔で入ってきた。


「ああ、おはよう、エマ」


俺は眠そうなフリをして起き上がる。

実際、ちょっと興奮してあまり寝てないけど。


「朝食は兄様方とご一緒でしょうか?」


「……いや、部屋でいいよ。いつも通り」


食堂に行くと兄たちに囲まれて気疲れするし、何より「無能な末っ子」の視線が痛い。


エマは少し寂しそうに微笑んだが、すぐに頭を下げた。


「かしこまりました。それではすぐに用意いたしますね」


朝食を済ませ、いつものように地下室へ。


今日は転移魔法の本格強化と、広域魔力探知の精度アップに挑戦だ。


『大転移術・中距離版』

『星の網――広域魔力感知陣』


数時間で両方とも完全にマスター。

試しに星の網を展開してみると……


(……あれ?)


王都方面、遥か遠くから、昨夜と同じ性質の微弱な魔力反応が、複数。


しかも、明らかに増えている。


俺は静かに目を細めた。


「……王国全体で、何か起き始めているのか?」


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