第4話女子高生水樹なゆの選挙戦
一月中旬、衆議院選挙が公示された。
日本政治史上、これほどまでに混沌とし、かつ熱狂に満ちた選挙戦はかつてなかった。
民主党総裁・水樹なゆ。18歳、現役女子高生。
彼女の立候補が報じられた瞬間、世界中のメディアがトップニュースでこれを伝えた。「日本の民主主義は正気を失ったのか、あるいは奇跡を見せようとしているのか」と。
公示日当日。新宿駅西口広場を埋め尽くしたのは、圧倒的な「悪意」と「好奇」の視線だった。
ネット上では彼女を標的にした誹謗中傷が文字通り溢れかえっていた。「反日少女」「中国の工作員」「おままごとは家でやれ」。掲示板やSNSには、彼女の顔を歪ませたコラージュ画像が執拗に投稿された。
広場には、若槻政権を支持するナショナリストたちの怒号が響いていた。
「国を売るのか!」「子供は引っ込んでろ!」
その喧騒の真ん中に、彼女は立った。
紺色のセーラー服に、エンジ色のスカーフ。桜蔭高等学校の制服をそのまま戦闘服として身に纏い、なゆは震えることなくマイクを握った。
その第一声がスピーカーを通じて街に放たれた瞬間、新宿の空気が、まるで物理的に書き換えられたかのように一変した。
「私は現在、東京大学理科三類を志望しています」
凛とした、鈴を転がすような、しかし芯の通った声だった。
「私が医学を志すのは、人の命を救いたいからです。でも、若槻総理は、人の命を単なる『政治的コスト』として戦場に送り出そうとしています。……いいですか、皆さん。これは愛国心の問題ではありません。単純な『数学の問題』です」
なゆは背後の大型スクリーンを指差した。そこには、彼女自身が移動中の車内で作成した、緻密な経済シミュレーションのグラフが表示されていた。
「徴兵によって、最も生産性の高い10代、20代の若者の時間を奪うことによる生涯賃金の損失。そして、戦時体制による物流停止がもたらす機会費用の増大。これらを合計すれば、若槻政権の掲げる『防衛』がいかに日本を貧しくするか、数字が残酷に証明しています。感情論で人を殺してはいけない。私は、この国の未来を『プラスの数式』に戻すためにここにいます」
彼女の演説は、従来の政治家が使うような抽象的な美辞麗句ではなかった。
データに基づいた、中国との融和政策による経済的メリットの具体的提示。そして、現代戦において未経験の徴兵兵がいかに国防の効率を下げるかという軍事論理。
なゆが放つ「論理の刃」は、若槻首相が煽り立てていた熱狂的な愛国心という名の「霧」を、鮮やかに切り裂いていった。
当初、冷ややかな視線を送っていた高齢者たちは、孫娘のような幼い少女が、誰よりも大人の、そして冷静な言葉で語る姿に、次第に目を見開いていった。
「この子が言うなら……本当に、戦争をせずに済む方法があるのかもしれない」
そのつぶやきは、さざ波のように広場全体へ広がっていく。
若者たちは、自分たちの命を数字としてではなく「尊厳」として扱ってくれる彼女に、現代の「ジャンヌ・ダルク」の姿を重ねて熱狂した。
また、良識ある中間層も、若槻首相のヒステリックな演説に抱いていた薄気味悪さを、なゆの放つ「静かな知性」によって払拭されていった。
しかし、広場がどれほど熱狂に包まれようとも、なゆ自身の「日常」は不変だった。
演説を終え、岡田代表の用意した選挙カーに乗り込むと、彼女はすぐにマイクを置き、カバンから数学の記述問題集を取り出した。
「なゆさん、今の演説は完璧だった。支持率も急上昇している」
興奮気味に報告する岡田に対し、なゆはシャープペンシルを走らせながら淡々と答えた。
「岡田さん、次の演説ポイントまで30分ありますね。複素数平面の問題を一問、解ききってしまいたいので、少し静かにしていただけますか?」
「え、あ、ああ……すまない」
選挙戦という名の、国家の存亡を賭けた戦場。
そして、共通テストから二次試験へと続く、人生を賭けた受験の戦場。
水樹なゆは、その二つの巨大な頂を、同時に、そして平然とした顔で登り続けていた。
彼女にとって、選挙公約を練ることも、医学部入試の難問を解くことも、同じ「世界の最適解を導き出す」という行為に過ぎなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます