第25話「影」

 谷を抜けると、視界は少し開けた。


 霧はまだ残っているが、木々の間から塔の姿がはっきりと見える。

 それは森や村で見たどの建物とも違い、威圧感と神秘を同時に放っていた。

 遠くからでも、何かをじっと見つめているような気配がある。


「……あれが、塔か」

リィナの声は、少し震えていた。

 彼女の瞳は光を反射し、森での迷いとは違う、緊張と好奇心が混ざった表情をしている。


「気を抜くな」

ハルドが前に立ち、手の甲で額の汗をぬぐう。

「ここから先は、森以上に警戒が必要だ」

 その言葉に、俺も自然と背筋が伸びる。

 でも胸の奥にわずかに、胸が高鳴る感覚もあった。


 ノアが俺の手を握り、じっと塔を見つめている。

「兄ちゃん……行ける?」


「……行くしかない」

俺は答える。

 言葉に迷いはなかった。

 村であの子を助けたとき、胸に芽生えた覚悟が、ここでも自分を支えていた。


 谷の中、地面は湿っていて、足を取られやすい。

 霧に覆われた小石や根っこが、まるで罠のように存在を主張している。

 慎重に踏みしめながら進むと、塔の影が大きく近づいてくる。


 塔の壁は石だけでできているわけではなかった。

 光の筋がひびの間を縫い、淡く揺れている。

 それは風の影ではなく、塔そのものが息をしているように見えた。


「……何か感じる」

リィナが小声で言う。

 俺も頷く。

 谷の空気が、森よりも重く、静かで、緊張を押し付けるように張りつめていた。

 だが同時に、心の奥を引き寄せる何かがあった。


 塔の麓まで来ると、地面に小さな光の粒が散らばっていた。

 霧の中で、まるで小さな星のように浮かんでいる。

 ノアが指を伸ばすと、光が微かに揺れ、谷の霧に吸い込まれた。


「……なんだろうね」

ノアがつぶやく。

 俺も答えられない。

 ただ、塔がこの旅の次の道を示していることは確かだった。


 ハルドが剣を軽く握り、周囲を見回す。

「何があっても、準備はしておけ」

 その言葉が谷の静寂を引き締める。


 俺は深く息を吸う。

 胸の奥で、村での出来事が反芻される。

 あの子の涙、村人の諦め……

 それを思い出すたび、自然と足が前に出る。


 塔の壁に手をかける。

 冷たい石が手に伝わる。

 でも、恐怖はなかった。

 胸の奥に、少し暖かい決意のようなものがあった。


「行こう」

俺が言うと、リィナとハルドが頷く。

 ノアも小さく息を吸い、手を握り返してきた。


 塔の影の下、風が静かに巻き上がる。

 霧は少しずつ薄れ、塔の全体像が姿を現す。

 高く、冷たく、しかしどこか温もりを感じさせる塔――

 その存在が、俺たちの心を試しているように見えた。


 歩みを進めるたび、心の奥の歯車が回り始める。

 村での出会い、仲間との絆、そして自分の選択……

 すべてが、この先に待つ何かのために繋がっている。

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