第4話「夜」

夜は、思ったより冷えた。


 焚き火の音だけが、規則正しく鳴っている。

 リィナは少し離れた場所で、毛布にくるまっていた。


 もう眠っているのかもしれない。


 俺は、火を見つめたまま動かなかった。


 ――まただ。


 同じ光景。

 同じ消え方。


 昨日見たはずなのに、

 目を閉じると、さっきの男の顔が浮かぶ。


 強張った口元。

 最後まで、叫ばなかった喉。


「……慣れないな」


 誰に向けた言葉でもなく、呟く。


 慣れたくないのかもしれない。


 火が、ぱちりと弾けた。


 その音で、記憶がずれる。


 ――昔の夜だ。


 俺の故郷は、海沿いの小さな町だった。


 特別なものは何もない。

 ただ、静かで、退屈で、

 それなりに幸せな場所だった。


 崩壊が起きたのは、突然だった。


 空が、音を立てて裂けた。


 海が、持ち上がった。


 逃げろ、という声が聞こえたときには、

 もう遅かった。


 町は、一瞬で消えた。


 正確には――

 救われなかった。


 そのとき、灯主はいなかった。


 準備が、間に合わなかったのだと聞いた。


 だから、俺は生き残った。


 高台にいたから。

 運がよかったから。


 それだけだ。


 救われたわけじゃない。

 見捨てられた側だ。


 それ以来、決めていた。


 ――期待しない。

 ――信じない。

 ――関わらない。


 そうすれば、

 失うものは増えない。


「……カイ?」


 小さな声がした。


 振り向くと、リィナが起きていた。


「眠れなかった?」


「まあ」


 曖昧に答える。


 彼女は、焚き火のそばまで来て、腰を下ろした。


「私もです」


 火を見つめる横顔は、昼間より幼く見える。


「明日ですし」


 その一言で、胸が少し締め付けられた。


「……怖い?」


 また、同じ質問をしてしまう。


 彼女は、少し考えてから言った。


「怖いです」


 でも、続けて。


「でも、もし私がやらなかったら、

 どこかの町が、あなたの故郷みたいになるかもしれない」


 その言葉で、息が止まった。


 知られていた。


 話した覚えはない。


「……誰から聞いた」


「噂です」


 彼女は、申し訳なさそうに笑う。


「灯主になる前に、

 同行者のことは、少し調べられますから」


 そういう世界なのだ。


 覚悟を決めた人間には、

 知る権利が与えられる。


「それでも、あなたは……」


 続きを、言えなかった。


 彼女は、首を振る。


「だからこそ、です」


「?」


「私が行けば、

 次は、少し先になる」


 少し先。


 それは、永遠じゃない。


 でも、今じゃない。


「……優しいですね」


 俺が言うと、彼女は困った顔をした。


「それ、よく言われます」


「本心じゃない?」


「分かりません」


 正直な答えだった。


「優しくなくても、

 やらなきゃいけないことは、ありますから」


 その言葉を聞いた瞬間、

 胸の奥で、何かが音を立てた。


 ――違う。


 そう思った。


 やらなきゃいけない、なんて、

 誰が決めた。


 世界か。

 装置か。

 それとも、

 救われる側か。


「……なあ、リィナ」


 名前を呼ぶ。


 彼女が、こちらを見る。


「もし」


 喉が、ひどく渇いた。


「もし、起動しなかったら……」


 言葉を探す。


「もし、逃げたら……」


 彼女は、すぐには答えなかった。


 火が、揺れる。


 やがて、静かに言った。


「世界は、壊れます」


 断定だった。


「でも」


 一拍置いて。


「それを見ないで済むなら、

 逃げる人も、いると思います」


 それは、否定ではなかった。


 肯定でもない。


 ただの事実だ。


「あなたは?」


 彼女が、逆に聞いてきた。


 俺は、答えられなかった。


 見なければ、失わない。


 でも。


 見てしまったら、

 もう戻れない。


 焚き火の向こうで、

 アークが、静かに光っている。


 あれは、まだ起動していない。


 まだ、彼女は、ここにいる。


 ――今なら。


 そんな考えが、頭をよぎった瞬間。


 自分が、一番恐れていたことに気づいた。


 俺はもう、

 見送る側ではいられない。

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