この勇者、ボンクラにつき
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第1話 勇者、正義を為す
俺は勇者になったらしい。
なった「らしい」というのは、任命状も勲章もないからだ。王城からの使者が来たわけでもない。剣が勝手に光ったわけでもない。肩書きだけが、ある日ふと頭の中に落ちてきて、それが妙にしっくりきた。だから俺は、勇者として振る舞うことにした。
きっかけは閃きだった。世界を平和にする方法を思いついた――いや、思いついたというより、見えてしまった。理屈の形が先に立って、感情が追いかけてきた。俺は確信していた。方法はある。必要なのは、力ではなく、順序だ。
まず旅立つことにした。
王様に会いに行くのはやめた。騒がれるのは好きじゃない。酒場で仲間を集めるのも嫌だ。酒場でたむろしている連中は、たいてい「強そう」に見せることに関心があって、「強さをどう使うか」には無関心だ。俺はああいう空気が得意じゃない。
だから最初から、魔王に話をしに行くことにした。
ただし問題がある。勇者といっても、ほとんどは自称だ。魔王が信じてくれるとは限らない。だから手土産が要る。交渉における信用は、言葉ではなく、すでに成立した事実で支えられる。
そこで俺は、前魔王を討った「元勇者」を訪ねることにした。彼と一緒にいれば、魔王側もこちらを「冗談」として片付けにくい。
元勇者は、冒険から離れて数年が経っていた。身体はすっかりだらしなくなっていた。筋肉は残っているのに、姿勢と呼吸が戦場のものではない。だが、生活の匂いがした。彼には嫁がいて、子供が三人いた。嫁は当時のパーティの魔術師だった女で、いまは母親の顔で彼を叱り、笑い、家を回していた。
俺は丁寧に頭を下げた。
「勇者の先輩として、ひとつ“講座”を開いていただきたい。勇者引退後の生活も伺いたいんです。引退後に破綻する勇者は多い。その中で、あなたはきちんと生活を営んでいらっしゃる。ぜひ、お話を聞かせてください」
元勇者は拍子抜けした顔をして、それから笑って快諾した。しかも、子供も一緒に連れていくと言い出した。
「家族団欒ってのを、皆に見せてやりたい。勇者の終わり方ってのは、酒場の武勇伝じゃなくて、こういうところにあるんだってな」
会場は、思った以上に人で埋まった。元勇者の話を聞きたい冒険者が押し寄せ、席は足りず、壁沿いに立つ者まで出た。
その中に、妙な三人がいた。
とびっきりの美人のハイエルフ。美人だが左目が潰れていて、近寄りがたい気配をまとったダークエルフ。二人を従えるように歩く、少女。
三人は最前列に座り、ほとんど動かなかった。ハイエルフは微笑んでいたが、目が笑っていない。ダークエルフは視線を低く固定し、場の熱を拒むように沈黙していた。少女だけが、元勇者の言葉を一つも漏らさない勢いで聞いていた。熱心というより、採点している目だった。
壇上に元勇者と嫁が上がり、語り始めた。かつての戦いのこと。勇者としての孤独のこと。そして、帰ってからのこと。朝起きて、子供の弁当を作って、金勘定をして、夫婦喧嘩をして、それでも今日を回すこと。その話は、戦場の武勇よりも会場を黙らせた。
宴もたけなわの頃だった。
ざわめきが、別の質に変わった。空気が冷える、あの感覚。
ふと見ると、先ほどのダークエルフが、元勇者の子供の一人を抱えるようにして立っていた。片腕で子供の胸元を押さえ、もう片方の手にナイフ。刃が首筋に沿っている。子供は声を出せなかった。恐怖で固まっているのではない。刃の角度が、それを許していなかった。
「要求がある」
ダークエルフは、淡々と言った。
「元勇者。お前とかつての一行。ダークエルフの国へ来い」
目的の詳細は告げなかった。ただ、同行しろ、と。
その瞬間、ハイエルフと少女の席が空になっていることに気づいた。いつの間にか消えていた。椅子だけが残っていた。会場はどよめき、誰かが立ち上がり、誰かが武器に手を伸ばしかけ、しかし誰も動けなかった。刃の位置が、議論を封じていた。
元勇者と嫁は狂ったように話しかけた。頼む、やめろ、落ち着け、何が欲しい、金なら――。だがダークエルフは返事をしない。無視を決め込んでいるのではない。最初から対話の形式を拒否している。要求だけがあり、交渉はない。
時間が過ぎた。
要求を飲む気配がないと見た瞬間、ダークエルフは躊躇なく、子供の首を掻き切った。血が床に落ちた。会場の悲鳴は遅れて生まれた。音というものは、脳が現実を処理してから出る。
二人目が引き寄せられたところで、元勇者は膝から崩れ、声を絞り出した。
「わかった……行く。行くから……」
一時間後、元勇者はかつての仲間を呼び集めていた。馬車が用意され、元勇者と嫁と仲間たち、そして子供二人、ダークエルフが乗り込んだ。
馬車の奥には、少女とハイエルフもいた。涼しい顔で座っていた。はじめから、ここが終点だと知っていた人間の顔だった。
もちろん俺も乗った。
ダークエルフの、ではなく魔王の国に着いて、さらに奥へ進んだ。城――いや、城というより、儀式のための器のような場所だった。廊下の幅も、照明の位置も、「侵入者を迎え撃つ」というより「見せつける」ために設計されている。
玉座に座っていたのは、あの少女だった。
「魔王様、いかがでしたか?」
俺が声をかけると、少女はひどく得意げに笑った。
「鮮やかなり。一人の犠牲で仇敵を差し出すとは。して、そちは何者じゃ」
「自称勇者です。世界を平和にしようと思う所存です」
「うむ。此度の手柄は十の落城に値する。こやつらの処刑で我が国は落ち着きをもたらすであろう。褒美をなんとでも取らそうぞ」
ここだ、と俺は思った。取引の入口は今しかない。
「魔王様の国を自由に行き来できる手形のようなものをいただけますか?」
少女は眉を上げた。
「殺生はいかんぞ?」
「最もです」
俺が頷くと、魔王は満足そうに息を吐いた。
「話のわかる男じゃ」
俺は続けた。
「あと、魔王様の配下から仲間を募るのをお許しください」
「仲間は人間の方がいいんじゃないのか?」
「えーと、そちらのダークエルフの方は駄目ですかね?」
魔王が横を見た。
「ネロか。わしの側近じゃが、なんでじゃ?」
俺は正直に答えた。
「子供を殺める手際と、ためらいのなさが気に入りました」
場が、一瞬だけ静まった。ネロは表情を変えなかったが、耳の先がわずかに動いた。照れに近い反応だった。自分でも、そこに感情が残っていることを意外に思っているようだった。
魔王は、わざとらしく咳払いをした。
「こう申しておるが、ネロはどうじゃ?」
ネロは静かに一礼した。
「魔王様。少々、人間の世界に興味はございます。お許しが得られるなら」
「よし、決まった。連れて行け」
俺は短く言った。
「よろしく」
こうして最初の仲間ができた。
子供殺しのダークエルフ。呪詛師のネロ。
俺の「平和」の計画は、まず最悪の素材から始まる。
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