第14話 恋は撃たれるものじゃない。

 放課後の教室は、昼間の熱が嘘みたいに静かだった。


 机の上には消しゴムのカスと、置き去りにされたプリント。

 さっきまでの騒ぎが、遠い出来事に感じる。


 三谷ひかりは、あのあと救急車で運ばれた。

 命に別状はない。意識も戻っている——担任がそう言っていた。


「……行くか」


 五右衛門が立ち上がる。


 一条が小さく頷いた。


「うん。気になるし」


 澪も、迷いなく席を立つ。


「わたしも行く。放っておけないよ」


 五右衛門は一瞬だけ澪を見た。

 “いつも通り”の顔をしているのに、目だけが真剣だ。


「……無理すんなよ」


「無理してないって」


 澪は笑った。


 笑って、すぐ真顔に戻る。


「だって……あれ、怖かった」


 それは三人に共通していた。

 怖い。なのに、目を逸らせない。



---


 病院へ向かう道は、駅とは反対方向だった。


 夕方の街には、制服姿がちらほらいる。

 部活帰りの集団、塾へ向かう子、買い物袋を提げた人。


 ——普通の景色。


 なのに、五右衛門は胸の奥がざわつくのを感じていた。


(まただ)


(昨日から、ずっと)


 理由はわからない。

 けれど、ゼロが“何か”を嫌がっている。


 一条が歩きながら言った。


「今日のやつ、三谷さん……覚えてないって言ってたな」


「うん」


 澪が頷く。


「担任が言ってた。『本人は混乱してる』って」


 五右衛門は、足を止めかけて、すぐ踏みとどまった。


「……混乱で済むかよ」


「済まないよ」


 一条が淡々と言う。


「ただ、本人が“悪い”わけじゃない可能性が高い」


 澪が小さく息を呑む。


「……誰かが、やったってこと?」


 一条は答えなかった。

 けれど、その沈黙が答えだった。



---


 その時だった。


 ふっと、空気が変わる。


 人の流れが——一つの方向へ寄り始める。


「……え?」


 澪が立ち止まった。


 前を歩いていたカップルが、急に喧嘩でもするみたいに距離を詰める。

 その横の男子が、関係ないはずの女子へふらっと近づく。


「……近い」


 澪が呟く。


「みんな、近い……!」


 その瞬間、澪の体が前へ引かれた。


「っ——」


 見えない糸に手首を引かれたみたいに、足が勝手に出る。


「澪!」


 五右衛門が反射で腕を掴んだ。


 だが止まらない。

 澪だけじゃない。周りの人間も同じ方向へ寄っていく。


 引き寄せられる。


 理由もなく。


「……これ、恋能?」


 五右衛門が低く言う。


 一条が、周囲を観察するように目を動かした。


「恋能っぽい。でも——」


 言いかけて、眉を寄せる。


「感情の“方向”が揃ってる」


「方向?」


 澪が聞き返す。


「たぶん好意、執着、未練……そういうのが、同じ矢印になってる」


 一条は唇を噛んだ。


「誰かが、恋心を“磁力”みたいにしてる」


 五右衛門の胸が嫌な音を立てる。


(また操られる系かよ)


 澪が、困ったように笑う。


「……やだな、それ」


 笑ってるのに、指先が震えている。


恋磁力ラブ・マグネティック


 一条が、ぽつりと名を置いた。


 五右衛門は息を吸う。


(ゼロ)


 拒絶。


 恋能の流れだけを——ずらす。


 空気が、ふっと薄くなる。


 引っ張られていた足が止まり、周囲の人間が「……あれ?」と我に返る。


「なんで、ここに……?」


「え、俺、何して……」


 ざわめきが広がる。


 一条が低く言う。


「………完全には止まってない。発生源が近い」


 その瞬間だった。


「そこまで」


 聞き覚えのある声。


「この先は、私が引き受けるわ」


 路地の奥から、黒川園美が現れた。


 薄い笑み。

 軽い足取り。

 なのに、周囲の空気が一段だけ締まる。


「黒川さん」


 五右衛門が呼ぶと、園美は片眉を上げた。


「……またあなた達?」


 澪が小声で言う。


「すごいタイミング……」


「タイミングじゃないのよ」


 園美は淡々と言った。


「追ってたの。あなた達が原因じゃなくて、“この現象”をね」


 園美が路地の角を一瞥し、指を鳴らすように軽く手を振る。


 ——恋磁力が、すっと消えた。


 空気が解ける。


 人の波が元に戻り、何事もなかったように歩き出す。


「……今のは?」


 澪が聞く。


「媒介を潰しただけ」


 園美は言い切る。


「本体じゃない。使い捨ての“仕掛け”よ」


 一条が目を細める。


「……仕掛け」


「ええ」


 園美は頷く。


「つまり、これは偶然じゃない」


 五右衛門が低く言う。


「今日の三谷の件と、繋がってる?」


 園美は迷いなく頷いた。


「繋がってる。だから来た」


 そして、さらりと言う。


「病院、行くんでしょう?」


 三人は顔を見合わせた。


 澪が小さく頷く。


「……行きます」


「じゃあ、一緒に」


 園美は当然みたいに歩き出した。



---


 病院は、白くて、静かだった。


 受付で名前を伝え、案内された病室の前で立ち止まる。


「面会は短時間ね」


 園美が言う。


「本人が混乱してるはずだから、刺激しない」


 五右衛門は小さく息を吐いた。


「……わかった」


 扉をノックし、入る。


 ベッドの上で、三谷ひかりが上体を起こしていた。


 顔色はまだ悪い。

 けれど、目は開いている。


「……あ」


 三谷が、怯えたように目を揺らした。


「……ごめん」


 開口一番、それだった。


「わたし……また、やった?」


 澪が慌てて首を振る。


「違う! もう大丈夫!」


 三谷は唇を噛む。


「でも……わたし、覚えてないのに……」


 涙が滲む。


「みんな、怖かったよね……」


 五右衛門は言葉を探して、結局、短く言った。


「怖かった」


 三谷の肩がびくりと跳ねる。


 でも、五右衛門は続けた。


「……でも、お前のせいじゃない」


 三谷が目を見開く。


「え……?」


 そこへ、園美が一歩前に出た。


 柔らかい声で言う。


「あなたは、被害者よ」


 三谷は固まった。


「……被害者?」


「ええ」


 園美は頷く。


「あなたは選んでない。準備も覚悟もないのに、恋能を“撃ち込まれた”」


 一条が、静かに口を開く。


「……無理やり覚醒させられたんだ」


 三谷の瞳が揺れる。


「そんな……こと、できるの?」


 園美は迷いなく答えた。


「できる。だから問題なの」


 少しだけ間を置いて、続ける。


「今回みたいに、人の心に“引き金”を引く恋能覚醒者ラバーがいる」


 澪が息を呑む。


「……引き金」


「私たちはその恋能を恋引鉄ラブ・トリガーと呼んでる」


 園美の言葉が、病室に落ちる。


 三谷は震える声で聞いた。


「じゃあ……わたしは……」


「あなたは、撃たれた側」


 園美は言い切る。


「あなたが悪いんじゃない」


 三谷の目から、涙がこぼれた。


「……よかった」


 それは救いの言葉であり、同時に——恐怖だった。


「でも……じゃあ、誰が……」


 園美は視線を細める。


「最近、そういう事件が増えてる」


「意図的に恋能を覚醒させて、混乱を楽しむ連中がいる」


 五右衛門が拳を握る。


「……堕恋者だれんしゃ


 園美は頷いた。


「通称、堕恋者。組織名は《フォールン・アモーレ》」


 三谷の顔が青くなる。


「……組織?」


「まだ全部は話せない」


 園美は言った。


「でも、あなたはもう巻き込まれた。だから——守る」


 澪が小さく頷く。


「……わたしも」


 五右衛門は視線を逸らして、短く言う。


「……次は、俺が止める」


 一条が、病室の窓の外を見た。


「……また同じことが起きる前に、な」


 三谷は震える指で、布団の端を握る。


「……わたし、どうすればいいの」


 園美は一瞬、優しく笑った。


「まずは休むこと」


「それから、必要なら——教える」


 三谷は小さく頷いた。


「……わかった」



---


 病室を出て、廊下を歩く。


 園美がスマホを見ながら言った。


「さっきの恋磁力ラブ・マグネティックも、偶然じゃない」


「あなた達を“止める”ための邪魔よ」


 一条が眉を寄せる。


「つまり……監視されてる?」


「ええ。おそらく気づかれてる」


 園美はあっさり言う。


「あなた達が動き始めたってね」


 五右衛門は、胸の奥の嫌なざわつきを噛み潰した。


(……面倒が、近づいてくる)


 園美がちらりと五右衛門を見る。


「男前崎 五右衛門くん」


「あなたの力、隠す気ある?」


「……ない」


 五右衛門は即答した。


「守るために使うだけだ」


 園美は満足そうに息を吐いた。


「いいわ。じゃあ、ついてきなさい」



---


 その夜。


 どこかの暗い部屋で、画面の数値が静かに跳ね上がった。


「ふふ」


 誰かが笑う。


「引き金は、効くね」


 指先が画面をなぞる。


「準備できてない人間ほど、きれいに壊れる」


 画面の向こうで、ひとつ通知が消える。


 日常は、まだ壊れていない。


 けれどーー

すでに引き金は引かれていた。

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