第3話 恋能庁・新宿支部へようこそ

黒塗りの車は、無言のまま新宿の街を滑っていた。


窓の外では、いつもと変わらない夕方の雑踏が流れていく。


ネオンも、人の波も、全部“日常”のはずなのに――

車内だけが、別の時間に切り取られているみたいだった。


後部座席で、黒川園美は腕を組んだまま、微動だにしない。


視線は前を向いたまま。


その横顔からは、感情らしいものが読み取れなかった。


「……質問があれば、今のうちにどうぞ」


淡々とした声。


沈黙に耐えきれず、俺が口を開く。


「……なんで、魅了が効かなかったですか?」


園美は、間を置かずに答えた。


「分からないわ」


「……は?」


あまりにも即答だった。


「え、いや、そこ一番知りたいところなんだけど」


「現時点で説明できる理論が存在しない、という意味よ」


園美はちらりとこちらを見る。


「だからこそ、あなたは“特異点候補”なの」


(またそれかよ……)


澪が、控えめに手を挙げた。


「……わたしは、どうなんですか?」


声が、ほんの少しだけ震えている。


「変、だったりします……?」


園美は一瞬、澪を見た。


その視線は短い。


けれど、どこか“測る”ような目だった。


「今のところは一般人よ」


「今のところ、って……」


「ただ」


園美は言葉を継ぐ。


「ごえもんくんの近くにいると、反応値が上がる傾向があるわ」


「えっ」


澪が息を呑む。


「でも誤差の範囲よ。現段階では」


(……今、絶対“誤差”って言い切ってない)


俺は内心で突っ込んだ。


車は、そのまま地下駐車場へと入っていく。



新宿・恋能庁支部


雑居ビル。

外観だけ見れば、どこにでもある古めの建物だった。


だが中に入った瞬間、空気が変わる。


白い廊下。


無機質な照明。


壁面を走る、意味の分からない数値とグラフ。


案内された会議室で、園美がモニターを起動する。


「改めて説明するわ」


画面に浮かび上がる、ハート型のアイコン。


恋能れんのうとは、人の恋愛感情に比例して発生する超常的エネルギー」


「大多数の人間は自覚できない」


「でも、確実に“存在”している」


モニターに表示される数値が変動する。


「一定値を超えた時、恋能は“能力”として表出する」


「それが――恋能覚醒者ラバー。よ」


澪が、静かに息を吸った。


「……じゃあ、あの万引きの子も」


「ええ」


園美は頷く。


そして、俺の方を見た。


「五右衛門くん」


「あなたは、その恋能を“止めた”」


「……止めたって言い方やめてくれません?」


「事実よ」


園美は淡々と言う。


「恋能を無効化、もしくは制御不能にする現象」


「本来は、対 恋能覚醒者ラバー用の装置でしか起こらない」


(……俺、素手だったけどな)


「だから、あなたは例外」


「特異点候補」


「……それ、そんな簡単に言っていいやつ?」


園美は答えなかった。


代わりに、少しだけ表情を緩める。


「日向さん」


「あなたは、まだ“こちら側”じゃない」


澪が、ほっとしたように息を吐く。


「でも」


その一言で、澪の肩が跳ねた。


「同調率が高い」


「放置すれば、いずれ自覚する可能性はある」


澪は、俺の方を見た。


「……放置、しない方がいいよね?」


「それは、これから次第ね」


園美は腕を組む。


「二人には、しばらく恋能庁に協力してもらう」


「観測対象として」


「観測って……」


「日常生活は続けていい」


「ただし、何か起きたら即連絡」


園美の声は冷静だったが、

言っている内容は、明らかに“逃げ道がない”。


「恋能事件は、年々増えている」


「あなたたちは、その渦中にいる」


俺は、背もたれに深くもたれた。


(……もう、戻れない気がする)


澪が、隣で小さく笑った。


「……でもさ」


「一緒なら、なんとかなる気がする」


根拠のない言葉。


だけど、不思議と否定できなかった。


この日――

俺と澪は、知らず知らずのうちに、

“恋能”という世界の中心へ足を踏み入れていた。

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