第2話 白いスーツの女

路地裏で、倒れた少女は小さく呻いていた。


万引きの現場で、意味の分からない力を使い、澪に向けて放たれた“何か”。


それを止めた理由も、方法も、俺には分からない。


ただ――

あの桃色の光は、触れた瞬間に消えた。


弾いたわけでも、跳ね返したわけでもない。


最初から、そこに無かったみたいに。


「……はぁ」


澪が、息を吐く。


「びっくりした……ね」


声は震えているのに、ちゃんと立っていた。


俺の方を見て、無理に笑う。


「助けてくれて、ありがとう」


「……いや」


何をしたのか、説明できない。

自分でも、納得できていない。

だから言葉が詰まった、その時だった。

 

コツ、コツ、コツ。

 

路地裏に、はっきりとした音が響く。


ヒールの音だ。


この場所には似合わない、迷いのない足音。


振り向くと、白いスーツの女が立っていた。


街灯の光を受けて、黒髪が静かに揺れる。


ただ歩いているだけなのに、空気が一段、冷える。


「その子、こちらに引き渡して」


声は低く、感情がない。


「……誰だ?」


反射的に一歩、澪の前に出る。


女は、俺たちではなく、倒れた少女だけを見ていた。


「私は、恋能庁れんのうちょう


淡々と名乗る。


特庁恋能保安課とくちょうれんのうほあんか。通称――恋保れんぽ


視線が、ゆっくりと上がる。


黒川園美くろかわ・そのみよ」

 

恋能庁。


聞いたことのない単語なのに、

その響きだけで“普通じゃない”と分かる。


園美は、倒れた少女を見下ろし、短く息を吐いた。


「恋能の無断使用」


「しかも、軽犯罪に使うなんて……」


一瞬、言葉を切る。


「才能の使い方が、雑すぎるわ」


“もったいない”という言葉が、頭に浮かぶ。


でも、それを口にする人間の目じゃなかった。


園美は少女の手首に、金属製の拘束具を嵌める。


手際が良すぎて、逆に現実感がない。


慣れている。


何度も、こういう場面を見てきた人の動きだ。


「……あの」


澪が、おそるおそる声を出す。


「わたしたちは……」


園美は、初めて澪に視線を向けた。


ほんの一瞬。


測るような目。


「日向澪さん」


名前を呼ばれて、澪の肩が跳ねる。


「あなたは普通よ」


即答だった。


「少し反応が良すぎる気もするけど……」


一拍。


「今のところは、誤差ね」


今のところは。


その言葉が、なぜか耳に残った。


次に、園美の視線がこちらへ向く。


「……男前崎五右衛門くん」


「……!」


「調べたわ。当たり前でしょ?」


淡々とした口調。


事実を述べているだけ、という顔。


「未覚醒の状態で、“魅了”を無効化する例は存在しない」


園美は、俺の手を見る。


まるで、そこに答えが書いてあるみたいに。


「あなたは、特異点候補よ」

 

特異点。


言葉の意味は分からない。


でも、良い意味じゃないことだけは分かる。


「……俺は、何も」


「分かっていないでしょうね」


園美は、あっさり言った。


「だから厄介なの」


拘束した少女を肩に担ぎ、背を向ける。


「近いうちに、連絡するわ」


「恋能は、人生を変える力よ」


一歩、足を止めて、振り返る。


「――なめないで」


それだけ言って、園美は去っていった。

 

残された路地裏は、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに静かだった。


澪が、俺を見る。


「……なんか、すごい人だったね」


「……ああ」


それしか言えなかった。


頭の中で、言葉が整理できない。


特異点。

恋能。

未覚醒。


どれも、自分とは無縁だと思っていた単語。


なのに。


翌日、放課後。


校門の前に、白いスーツがあった。


電柱にもたれかかり、腕を組んでいる。


「お待ちしていたわ」


園美は、当然のように言う。


「……待ち伏せですか」


思わず口をついて出た言葉に、園美は眉一つ動かさない。


「説明が必要でしょう」


「ついてきなさい」


拒否する選択肢は、最初から存在していなかった。


こうして俺と澪は――


“恋能”という、

理解できない世界の入り口に、立たされることになった。


まだこの時は、知らなかった。


この出会いが、

俺たち全員の“感情”を、

少しずつ歪めていくことを。

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