第6話 隣町のファミレス 二人きり

 火曜日、22時。


 部活を終えて帰宅した東雲さんハルとのログインタイム。

 ヘッドセットから聞こえてくる彼女の声は、昼間の「学園の太陽」としての張り詰めたトーンではなく、どこか気が抜けた、親友だけに見せる無防備なものだった。


『……あー。やっと座れたぁ。……ねえカズ、生きてる?』


「……おう。おかえり、ハル。練習、お疲れさん。海斗が死にそうな顔して俺の家の前通っていったぞ」


『あはは、海斗くんは今日、男子のメニューに混ざって走らされてたからね。……でもね、それより私の精神を削ったのは咲希だよ。部室で着替えてる時も「ねえ凛りん、そのシールのドラゴンさん、やっぱり一真くんのとお揃いじゃない?」って、ずーっと私のスマホをガン見してくるんだもん……』


 東雲さんの深いため息が、マイク越しにすぐ耳元で聞こえる。

「無自覚な鋭さ」を持つ一ノ瀬さんの包囲網は、俺たちが思っている以上に狭まっているらしい。


「……だから言っただろ。あの一ノ瀬さんの直感は予知能力レベルなんだって」


『……。……ねえ、カズ』


 不意に、東雲さんのトーンが変わった。

 少しだけ真剣で、それでいて何かを企んでいるような、ハル特有の「いたずらっ子のスイッチ」が入った時の声。


『……明日さ。放課後、ちょっと付き合ってよ』


「……明日? 明日は水曜日で、お前ら部活あるだろ」


『明日はミーティングだけだから、いつもより早く終わるの。……隣町の駅にあるファミレス、わかる? あそこなら、うちの学校の生徒もあんまりいないし……』


「……。……待て。何でお前と俺が、二人でファミレスなんて……」


『ゲーム(エタレジェ)の攻略会議! 今度の週末の大型アプデ、二人でしっかり作戦立てなきゃでしょ? LIMEじゃ限界あるし……。……それに』


 東雲さんが言葉を濁す。

 わずかな沈黙の後、彼女は地声で、少しだけ恥ずかしそうに付け加えた。


『……学校で、アイコンタクトだけで過ごすの、もう限界。……直接、カズと話したいんだもん。ボイチャ越しじゃなくて、ボイチェンもなしで、私の声で、カズと』


「…………っ!!」


 心臓が、今日一番の大きな音を立てた。

 そんなの、断れるわけがない。

 学校では「東雲さん」と「佐藤くん」。


 お互いを見ることすら許されないような距離感で、彼女も、そして俺も、どこかで「相棒」としての飢えを感じていたのだ。


「……。……わかったよ。海斗には、駅前の古本屋に寄るって適当に言っておくわ」


『にひひ。さすが私の相棒! 交渉成立だねっ。……じゃあ、明日、17時に隣町のファミレス。奥のボックス席、確保しておいてよね?』


 ――そして、翌日、放課後。

 俺は誰にも見られないように、足早に校門を出て、電車で一駅隣の町へと向かった。


 一人で歩くその時間は、まるで悪いことをしているような、けれど特別な「共犯者」になったような不思議な高揚感があった。


 指定されたファミレス。


 夕方の時間帯、客層は主婦やサラリーマンが中心で、うちの制服を着た生徒は見当たらない。

 俺は一番奥の、周囲から死角になるボックス席に座り、ドリンクバーのメロンソーダを一口すすった。


 数分後。

 自動ドアが開き、一人の少女が入ってきた。


 学校指定のカーディガンを羽織り、さらりと流れる黒髪を揺らす美少女。


 東雲凛。


 彼女は店内を一度見渡し、俺を見つけると、パァッと花が咲くような笑顔を見せた。


「――お待たせ、カズ!」


 彼女は迷いなく俺の対面に座り、カバンを置いた。

 学校で見せる「学園のアイドル」としての笑顔。でも、俺を呼ぶその口調は、完全に俺の親友「ハル」のものだった。


「……。……お前、本当に来たんだな」


「当たり前じゃん。楽しみすぎて、ミーティングの間ずっと上の空だったんだから。……ねえ、何その顔。緊張してるの?」


 東雲さんはテーブルに身を乗り出し、俺の顔を覗き込んできた。

 本人はハルがカズに話しているつもりだろうが、東雲さんの見た目でそのようなことを言われると心臓によろしくないな。


 にしても近い。


 学校の教室ではありえない、物理的な距離。

 ドリンクバーの氷が溶ける音が、妙に大きく響く。


「緊張しないわけないだろ。……お前、制服のままだし。誰かに見られたらどうするんだよ」


「だから隣町にしたんでしょ? それに……見て」


 東雲さんはスマホをテーブルに置いた。

 そこには、例のドラゴンさんのシール。


「これ見ながら、ミーティング中ずっと『あと一時間でカズに会える、カズに会える……』って唱えてたんだからね。咲希に『凛りん、なんか怖い』って言われちゃった」


「……あの一ノ瀬さんは、お前の挙動不審に気づいてるぞ、絶対」


「いいの。今はそんなのどうでもいい。……ねえ、カズ。昨日のバフのタイミングだけど、やっぱり私は――」


 そこからは、怒涛のゲームトークだった。

 新エリアの敵の配置、スキルのクールタイムの管理、そして次に狙う装備の性能。

 三年間、俺たちが画面越しに積み上げてきた、熱くて、バカげていて、最高に楽しい時間。


 でも、今、その声はヘッドセットからではなく、目の前の彼女の唇から放たれている。


 東雲さんは楽しそうに、身振り手振りを交えて熱弁を振るう。

 時折、俺が「いや、そこは俺がタゲを取るから」と反論すると、「えー、カズに任せるの不安だなー!」と鼻を鳴らして笑う。


 その笑顔は、誰も知らない。

 バスケ部の仲間である海斗も、親友の一ノ瀬さんも。

 誰も見ることができない、「ハル」としての東雲凛の顔。


「……。……なぁ、ハル」


「ん? なに?」


「お前……。学校での『東雲さん』より、今の方が、ずっと可愛いぞ」


 不意に漏れた本音だった。

 東雲さんは一瞬、きょとんとして目を丸くした。

 そして、みるみるうちに頬を真っ赤に染め、手元のパフェのグラスを見つめた。


「…………。……。……バカ。……そういうこと、急に言わないでよ」


「……悪い。……でも、本当だ」


「……。……知ってる。……カズが、私のこの顔を一番好きだってことくらい、三年前から知ってるもん」


 彼女は、顔を上げた。

 赤らんだ顔のまま、でも、真っ直ぐに俺の目を見つめて。


「だからね。……他の誰にも、見せないんだよ。……これ、一真カズだけの『特等席』なんだから」


 外は、いつの間にか夜の帳が下り始めている。

 ファミレスの騒がしい店内の中で、俺たちのボックス席だけが、世界から切り離された特別な空間のように感じられた。


 海斗たちは、まだ学校で練習に励んでいるだろう。

 俺と彼女の秘密は、放課後の街に溶け出し、より鮮やかに、より深く刻まれていく。


「……じゃ、次はレイドボスの作戦、続きやるぞ。……しっかり聞けよ、相棒」


「うん。……えへへ。任せて、カズ!」


 秘密を共有しすぎた二人の、あまりに甘くてスリリングな放課後は、まだ始まったばかりだった。

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2026年1月11日 07:18
2026年1月12日 07:18

ネトゲの親友に性癖をぶちまけてたら、オフ会に来たのがクラスの美少女だった やこう @nhh70270

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