第4話 スリリングで贅沢な時間

 午前中の授業は、正直言って地獄だった。


 一ノ瀬さんがこちらを向くたびに、「ボタン弾け飛ぶ」という自分の最低な発言が脳内再生され、俺は反射的に視線を逸らした。


 そのたびに隣の席で海斗が、


「一真、お前一ノ瀬さんのこと苦手なのか?もしくは恥ずかしがってる?わかるぞぉその気持ち……。でもあんなに不自然に目を逸らしたら失礼だぞ!」


 と的外れな心配をしてくる。


(違うんだ海斗、俺はただ、彼女の怒りに触れるのが怖いだけなんだ……)


 結局、昼休みも放課後も、俺は東雲さんと直接言葉を交わすことはなかった。

 彼女はいつも通り、クラスの中心で一ノ瀬さんや他の友人たちと楽しそうに笑い、俺は海斗と適当なバカ話をして過ごす。


 それが俺たちの決めた「ルール」だ。

 でも、俺のポケットの中では、授業の合間や移動時間のたびに、スマホが小刻みに震えていた。


【凛:カズー。さっきの現国の授業、爆睡してたでしょ。私の席から寝顔丸見えだったよ?】

【凛:カズって寝てる時、ちょっと口が開くんだね。今度写真撮って、ギルドの掲示板にアップしちゃおっかな(笑)】


 教室の反対側にいる「凛」から送られてくる、相棒「ハル」としての遠慮のない煽りメッセージ。

 俺はそのたびに、顔を赤くしないよう努めながらスマホを握りしめた。


 ――そして、放課後。


 海斗の「ゲーセン寄ってこうぜ!」という誘いを『ネトゲのイベントがあるから』と適当に振り切り、俺は真っ直ぐ帰宅した。

 カバンを放り出し、パソコンの電源を入れる。ヘッドセットを装着し、いつものボイスチャットにログインした。


「――よお、カズ。ログイン早いじゃん。一分も遅刻してないなんて、明日は槍でも降るか?」


 ヘッドホンから響いたのは、ボイチェンを通さない、凛とした、けれどどこかいたずらっぽい女の子の声。

 昨日から始まった、東雲凛こと「ハル」の地声でのログインだ。


「……うるせーよ。学校であれだけ煽られたら、大人しく言うこと聞くしかないだろ」


『あはは! 自覚はあるんだね。お疲れ様、相棒。……あ、そうそう。カズが一日中ビクビクしてた「あの件」だけどさ』


 東雲さんの声に、含みのある笑いが混じる。


「……あの件って」


『咲希のことだよ。……安心していいよ。今日のところは、何も言ってないから。あの子、カズが自分を見て反射的に顔を逸らすから、「佐藤くんって私のこと嫌いなのかな?」ってちょっとしょんぼりしてたよ?』


「…………マジか。悪いことしたな」


『本当だよ? 咲希はカズのこと、普通にクラスメイトとして「いい人そう」って思ってるのに。……あ、でも、もし明日からも変な挙動不審を続けるなら、私、うっかり「実は佐藤くん、咲希のボタンが弾け飛ぶのを楽しみにしてるんだよ」って言っちゃうかもねー?』


「頼むから、それだけは……! 明日からは普通に、できるだけ普通にするから!」


『にひひ。物分かりが良くて助かるよ。……でもさ、カズ』


 不意に、東雲さんのトーンが少しだけ柔らかくなった。


『……今日一日、学校でカズのこと見てて思ったんだけど。……やっぱり、二人だけの秘密があるって、なんかいいよね。みんなの前では「佐藤くん」なのに、こうして二人きりになると「カズ」に戻れる。……なんか、昨日よりもずっと、カズが身近に感じるっていうか』


「…………。……お前、そういうことサラッと言うなよ」


『あはは、照れてる? いいじゃん、親友なんだから。……さあ、お喋りはここまで。今日は新エリアのボス、初見で突破するよ。……準備はいい、カズ?』


「……ああ。いつでもいける。……ハル」


『――うん。行こ、相棒!』


 画面の中で、俺たちのキャラクターが並んで走り出す。


 学校では、クラスの天使と、冴えない男子。

 けれど、このディスプレイの向こう側では、俺たちが三年間築き上げてきた、唯一無二の絆がある。


 ボイチェンが消えたハルの声は、学校で見せる「東雲さん」の声よりも、ずっと俺の胸を熱くさせた。


(……一ノ瀬さんには言ってないんだな。よかった……)


 ひとまずの安心感と、東雲さんから向けられる「親友」としての甘い独占欲のようなものに、俺は翻弄されながらも。

 昨日までとは違う、最高にスリリングで、最高に贅沢な時間が、今夜も幕を開けた。


「……あ、おいハル! そこ、トラップあるぞ!」

『わわっ、ちょっとカズ、助けてよ! 相棒でしょ!?』


 ――明日、学校で彼女と目が合った時。


 次はどんなアイコンタクトを送られるのか、それを想像している自分がいることに、俺は苦笑いするしかなかった。

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