第3話 いつもと違う月曜日
月曜日、朝。
教室のドアを開けた瞬間、俺――
同じクラスの
三年間、野郎だと思って「東雲さんに踏まれたいだ」とか「太ももが宇宙だ」とか、本人に向かってぶちまけてきた。その本人が、俺のことを『カズ』と呼び、あんなに楽しそうに笑っていたのだ。
(……いや、落ち着け。まだ俺には『学校では他人のふり』という安全地帯があるはずだ)
自分に言い聞かせながら席に着くと、隣から熱苦しい気配が迫ってきた。
「――おい一真、見たか!? 今朝の東雲さん、いつもより三割増しでキラキラしてただろ! マジで女神……いや、天界からの贈り物だよな」
声をかけてきたのは、
「……ああ。よかったな、海斗」
「なんだよ、お前。相変わらずテンション低いな。……あ、ほら、噂をすれば本物の『輝き』がお出ましだぞ」
海斗が背筋を伸ばし、入口の方を向いた。
教室のドアが開き、一瞬で場の空気が華やぐ。
「みんな、おはよー!」
弾けるような声と共に現れたのは、東雲凛。
そしてその隣には、凛と並んで学年の「トップ2」として君臨する、もう一人の美少女がいた。
「凛りーん、おはよーっ! 今日も凛りんは世界一可愛いねっ!」
一ノ
凛が「凛とした憧れの君」なら、咲希は「誰もが守りたくなる無邪気な天使」。ウェーブがかった栗色の髪を揺らしながら、凛に抱きついている姿は、まさに眼福の一言に尽きる。
だが、俺の心臓は別の意味で激しく脈打ち始めた。
(……待てよ。俺、ハルに言ってたよな。東雲さんのことだけじゃなくて……)
冷や汗が背中を伝う。
一ノ瀬咲希。彼女は小柄で可愛らしい顔立ちに反して、実はかなり「出るところが出ている」抜群のプロポーションの持ち主だ。そして俺は、ボイチャの深夜のテンションで、
『なぁハル、一ノ瀬さんってマジで「隠れ爆乳」だよな。あの制服のボタン、いつか弾け飛ぶんじゃねーかって心配で夜も眠れねーわw』
『東雲さんの脚も最高だけど、一ノ瀬さんのあの、柔らかそうなラインも捨てがたいよな……。あんな美少女二人が親友同士とか、あのグループは桃源郷かよw』
…………。
………………。
(終わった。……俺の人生、完全に終わったぁぁぁぁ!!)
東雲さんと一ノ瀬さんは、中学時代からの大親友だったはずだ。
昨日まで男だと思って性癖をぶちまけていた「ハル」の正体が東雲凛だとしたら。
彼女が親友の咲希に、「佐藤くんって裏であなたの体についてこんなエロいこと言ってるよ」と告げ口していないはずがない。……そうに違いない!!
俺は絶望のあまり、机に突っ伏した。
今、俺の目の前を通り過ぎようとしている一ノ瀬咲希は、俺のことを「歩く公然わいせつ物」か何かだと思っているに違いない。
東雲さんたちが、教室の後ろにある自分の席へと歩き出す。
海斗が緊張で直立不動になる中、俺は死んだふりをして教科書に目を落とした。
挨拶も、言葉もない。徹底して「他人のふり」を貫く。それが俺に許された唯一の生存戦略だ。
東雲さんが、俺の机の横に差し掛かる。
ふわっと、昨日と同じ甘い花の蜜のような香りが鼻をくすぐった。
そのまま通り過ぎるかと思った、その瞬間。
(――……)
東雲さんが、ふとこちらを向いた。
俺と彼女の視線が、一瞬だけ重なる。
東雲さんは、一ノ瀬さんにも海斗にも気づかれないほどのわずかな時間、口角を「にっ」と上げた。
それは学校で見せる淑やかな「東雲さん」の微笑みじゃない。
俺の弱みを完全に握りしめている、相棒『ハル』の、いたずらっぽい笑みだった。
そしてそのまま、何事もなかったかのように通り過ぎていった。
「……おい一真。今、東雲さんと目が合わなかったか!? しかも、一ノ瀬さんの方までお前を見てた気が……うわああ! お前、呪われるぞ、マジで!」
海斗が俺の肩を激しく揺さぶる。
違うんだ、海斗。今のはファンサービスなんかじゃない。
『お前、教科書が逆さまだよ。あと、私の親友をエロい目で見るのはやめなさい、この変態』っていう、死刑宣告なんだ……!
慌てて教科書を確認すると、上下が逆だった。
うわ、最悪だ。動揺してるのが完全にバレていた。
直後、ポケットの中でスマホが短く震えた。
始業前の、秘密の連絡。
【凛:カズ、おはよ(๑>◡<๑) 朝から教科書逆さまとか、ログイン前からコンディション悪すぎじゃない?(笑)】
【凛:それと……今、咲希の胸元見てたでしょ。ハルくんに送ってきたあの「ボタン弾け飛ぶ」説、本人に確かめてあげよっか?】
……ヒッ。
俺は机の下で、必死に顔を伏せた。
『カズ:頼むからそれだけはやめてくれ。本当に死ぬ。社会的に死ぬ』
送信して、すぐにスマホをしまう。
ふと視線を感じて顔を上げると、凛が自分の席で咲希と談笑しながら、一瞬だけこちらを向いて、ぺろっと舌を出し、片目を瞑ってみせた。
――確信犯だ、あいつ。完全に楽しんでる。
教室内で「女王」として君臨する東雲凛と、その親友の一ノ瀬咲希。
誰もが憧れる二人の美少女と、俺の「秘密の地獄」。
海斗が「あーあ、今日も東雲さんは遠いなぁ」と暢気にため息をつく横で、俺はこれからの学園生活を生き抜けるかどうか、本気で神に祈るしかなかった。
「……一真、本当にお前、顔赤いぞ? 熱でもあるのか?」
「……うるさい。放っておいてくれ」
始業のチャイムが鳴る。
俺は教科書を(今度は正しく)開き直し、遠くに見える彼女たちの後ろ姿を、誰にも気づかれないようにそっと盗み見た。
俺の月曜日は、まだ始まったばかりだった。
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