第2話 オフ会という名のデート

 東雲さんに腕を引かれ、俺たちは駅前の大通りを歩いていた。

 道ゆく人々が、一様に足を止め、あるいは振り返っていく。

 無理もない。隣を歩いているのは、雑誌から飛び出してきたような、圧倒的な「陽」のオーラを纏った美少女なのだから。


(……いや、東雲さんじゃなくて、ハルなんだ。ハルなんだよな……)


 自分に言い聞かせないと、意識が飛びそうになる。

 ボイチェンを通したあのガサガサした少年の声はもうない。

 耳元で響くのは、柔らかくて、少しだけ弾むような、本物の女の子の声。


「――ねえ、カズ。そんなに離れて歩かないでよ。私、そんなに怖い?」


 東雲さん……いや、ハルが足を止め、俺の顔を覗き込んできた。


「……怖いに決まってるだろ。お前、自分が今どんな姿してるか自覚あるのかよ。隣に並ぶ俺の身にもなれ。周囲の『なんであんな奴が』っていう視線が痛すぎて、HPがガリガリ削れてるんだわ」


「あはは! 自意識過剰だよ。カズはカズで、今日のためにちゃんとオシャレしてきてくれたじゃない。……赤いスニーカー、似合ってるよ。昨日のボイチャで言ったもんね。気合い入れるって」


「……っ、そんな細かいところまで覚えてるなよ」


 俺は顔を逸らして早歩きで彼女を追い越した。

 辿り着いたのは、俺が「ハル兄貴に食わせたいパンケーキがある」と豪語していた、女子に大人気のカフェだ。


 店内に入ると、さらに視線が集中する。

 だがハルはそんなことお構いなしに、メニューを広げて目を輝かせた。


「わあ、すごい! ねえ見てカズ、これ、めちゃくちゃ美味しそう!」


「……。お前がそんなに甘いもの好きだったなんて、初耳だわ。ゲーム中はいつも『肉食いてぇ』とか『プロテイン最高』とか言ってた癖に」


「それは、あの頃は『ハル(男)』を演じてたからね。まぁ、肉もファストフードとか好きだけど……でも、本当はこういうの、大好きだったんだよ。……カズと一緒に食べられたらいいなって、実はずっと思ってた」


 東雲さん……ハルは、はにかむように笑った。

 その無防備な笑顔は、学校で「みんな」に向けている社交的なそれとは明らかに違っていた。

 俺だけに向けられた、特別プライベートな笑顔。

 俺は慌ててメニューで顔を隠した。


「……美味いか?」


「うん、最高! カズも食べてみてよ。……ほら、あーん」


 東雲さんがホイップクリームたっぷりのパンケーキをフォークで差し出してきた。


「……自分で食うよ! お前、距離感バグってないか!?」


「えー、いいじゃん。親友なんだから。……それとも、やっぱり『東雲凛』が相手だと、緊張しちゃう?」


 東雲さんはフォークを戻すと、いたずらっぽく目を細めて俺を覗き込んできた。


「……緊張、しないわけないだろ。お前、俺が送ったログ、全部覚えてるんだよな?」


「うん、全部。暗記してるレベルだよ。……例えば一週間前のあれとか」


 彼女は、あの鈴を転がすような地声で、俺の「大罪」を朗読し始めた。


「『なぁハル、東雲さんのニーハイの食い込みって見たことあるか? あれはもはや、神が人類に与えた唯一の希望だと思うんだよ。あの絶妙な「お肉の乗り方」……あれを真横から観察できるなら、俺、来世は石ころでもいいわ』……だっけ?」


「ぶふっ!!」


 俺は飲んでいた水を思い切り吹き出しそうになった。


「……っ! やめろ、音読するな!! 死ぬ! 今すぐ俺の尊厳が死ぬ!!」


「あはははは! いいじゃん、石ころになりたいくらい好きだったんでしょ? ……はい、今日の私のニーハイ。真横からでも正面からでも、好きなだけ観察していいよ。……ねえ、石ころカズくん?」


 ハルはテーブルの下で、わざとらしく足を組み替えた。

 まさに俺が「神の領域」とまで称賛した、完璧な食い込み。


「……。……悪かった。俺が悪かったから。謝るから、もうその話は終わりにしてくれ」


「だーめ。これから一生言い続けるから。……だってカズ、あんなに熱心に語ってくれたんだもん。相棒としては、全力で応えてあげなきゃね?」


 彼女は再び、クスクスと楽しそうに笑った。

 その笑い声を聞いているうちに、俺の心の中にあった「気まずさ」が、少しずつ馴染みのあるものに変わっていった。


 姿は学園一の美少女、東雲凛だ。

 けれど、こうやって俺をからかい、俺の反応を楽しんでいるその性格は、間違いなく三年間一緒に遊んできた、俺の親友『ハル』そのものだった。


「……なぁ、ハル」


「……何? 改まって」


「お前さ……。女の子だってバレるの、本当に怖かったのか?」


 俺が真剣に尋ねると、ハルの笑みが少しだけ和らいだ。

 彼女は窓の外を流れる景色を見つめながら、静かに口を開いた。


「……うん。怖かったよ。学校での私は、みんなの理想でいなきゃいけないから。カズみたいに、遠慮なく私に『ヘボ前衛』なんて言ってくれる人、他にいないんだもん。……性別がバレて、カズにまで気を使われるようになったら……私、本当に一人ぼっちになっちゃう気がして」


 彼女は自嘲気味に笑い、俺の目を見た。


「だから……今日、こうしてカズが今まで通りに接してくれて、本当に嬉しい。……ありがとね、カズ」


 ……。

 ……当たり前だろ。お前がハルなのは、声が変わっても、姿が変わっても関係ないよ。

 心の中でそう呟くが、恥ずかしくて口には出せなかった。


 それから俺たちは、ゲーセンで対戦したり、公園のベンチでゲームの今後のアプデについて語り合ったりして、気づけば空は淡い茜色に染まっていた。


「……じゃあ、カズ。そろそろ帰らなきゃ」


 駅の改札前。オフ会の終わりの時間だ。


「ああ。……次はゲームの中でな、ハル」


「うん。……あ、カズ。その前に」


 彼女がスマホを取り出した。


「……LIME、交換しよ? クラスのグループには入ってるけど、個別のやつ。今までゲーム内チャットかボイスアプリだけだったし」


「あ……そうだな。忘れてたわ」


 俺はスマホを取り出し、彼女のQRをスキャンした。

 ピコン、という軽い音がして、新しい『友だち』が追加される。


 アイコンは、俺たち二人がゲーム内で撮ったスクリーンショット。

 そして、名前はシンプルに『凛』。


「……登録完了。よろしくな、ハル」


「うんっ! あ、そうだ。約束ね?」


 彼女は一歩近づき、俺の耳元で囁いた。


「……学校では『東雲さん』と『佐藤くん』。でも、二人きりの時とLIME、ゲームの中では『カズ』と『ハル』。……ね? 誰にも内緒の、特別な関係だよ?」


「……。わかってるよ。……じゃあな」


「うん。……またね、カズ!」


 ハル……いや、東雲さんは最高の笑顔を俺に残すと、軽やかな足取りで改札の中へと消えていった。


 手元に残ったスマホ。

 俺は画面を見つめ、新しく追加された『凛』という名前に、指先を触れた。


 明日から、学校に行けば彼女がいる。

 みんなの太陽として、遠くで輝く東雲凛。

 けれど、俺のスマホの中には、誰にも見せない「ハル」としての彼女がいる。


「……一生、振り回されるんだろうな、これ」


 俺は苦笑いしながら、夜の街を歩き出した。

 明日、教室で目が合った時。

 彼女が一体、どんな「秘密の合図」を送ってくるのか。

 それを想像するだけで、俺の月曜日は、今までで一番楽しみなものに変わっていた。

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