第3話 異端の自覚


 その夜、

俺は何度も

目を覚ました。


 眠りに落ちるたび、

文字が浮かぶ。


 白い闇の中で、

黒い文章が

脈打つ。


 削除線。

追記。

注釈。


 それらが、

生き物のように

蠢いていた。


 頭が、

割れそうに

痛む。


 まるで、

世界そのものが、

俺の中に

抗議文を

送りつけて

きているようだった。


   ◆


 朝になっても、

痛みは消えなかった。


 視界の端で、

文字が

ちらつく。


 人の姿と、

スキル文書が、

完全には

重ならない。


 わずかに、

ずれている。


 俺は、

それが

何を意味するのか、

理解してしまった。


 ――世界が、

 俺を

 拒絶し始めている。


   ◆


 リリアは、

昨夜から

一睡もしていない

様子だった。


 だが、

怯えはない。


 自分の胸に

浮かぶ文字を、

何度も

確かめるように

見ている。


「……消えない」


 彼女は、

ほっとしたように

呟いた。


《治癒》


 その一語は、

安定して

存在している。


 修正は、

元に戻っていない。


 それを見て、

胸の奥で

何かが

沈んだ。


 安堵と同時に、

逃げ場が

消えた感覚。


 俺のやったことは、

錯覚でも、

夢でもない。


 現実だ。


   ◆


 市場に、

不穏な空気が

流れ始めていた。


 昨日の治癒の話は、

すでに

広まっている。


 誰かが、

言った。


「奇跡だ」


 誰かが、

囁いた。


「神の祝福だ」


 だが、

俺には、

別の文字が

見えていた。


 人々の

スキル文書の端に、

微細な

揺らぎ。


 因果が、

歪んでいる。


 世界は、

修正された箇所を

中心に、

無理やり

帳尻を

合わせようとしている。


 その負荷が、

俺の頭痛として

現れている。


   ◆


 昼過ぎ、

異変は

形を取った。


 空が、

一瞬だけ

暗転した。


 雷でも、

雲でもない。


 ただ、

世界の明度が

一段、

下がった。


 人々は

首を傾げ、

すぐに

忘れた。


 だが、

俺は見た。


 空そのものに、

巨大な

文章が

重なったのを。


 読めない。


 だが、

確実に、

こちらを

「見て」いた。


   ◆


 その日の夕方、

黒衣の一団が

町に入った。


 動きが、

揃いすぎている。


 胸に浮かぶ

スキル文書も、

異様に

整っていた。


 ――スキル庁。


 俺は、

背筋が

冷たくなるのを

感じた。


 異変を、

感知したのだ。


 俺が

一行を

消したことで、

世界に生じた

ノイズを。


   ◆


 彼らは、

派手なことは

しなかった。


 聞き込み。

記録確認。

静かな圧力。


 だが、

一人の男が、

ふと、

立ち止まった。


 視線が、

俺を

貫いた。


 その胸に

浮かぶ文字。


《真偽判定》


 ぞっとする。


 俺は、

反射的に

視線を逸らした。


 だが、

遅かった。


 男の表情が、

わずかに

歪む。


 判定不能。


 そう、

書かれているのが

見えた。


   ◆


 その夜、

俺は決めた。


 この町を

離れる。


 リリアを

連れて。


 俺の存在は、

すでに

目立ちすぎている。


 ここにいれば、

彼女まで

巻き込む。


 リリアは、

反対しなかった。


 ただ、

真っ直ぐ

俺を見て、

言った。


「あなたは、

 怖くない」


 その言葉が、

何よりも

重かった。


   ◆


 夜明け前、

町を出る。


 背後で、

何かが

崩れる音がした。


 振り返らない。


 俺は、

理解している。


 俺は、

もう

普通の人間では

いられない。


 才能を

持たない

無能でも、

無関係でも、

いられない。


 世界の文章に、

手を

触れてしまった。


 それは、

異端だ。


 だが――


 それでも、

俺は

知ってしまった。


 誤字は、

存在する。


 そして、

誰かが

直さなければ、

誰かが

壊れる。


 ならば。


 この手で

引いた線の

重さは、


 俺が

引き受ける。


 それが、

編集者という

存在なのだと、


 ようやく、

自覚しながら。

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