2-2 ヨドミ汁と山の先生


 下っ端として働かされたり、何度も何度も水垢離をとらされたり、踏んだり蹴ったりの初マタギだったが、その一方で、良いこともあった。

 ひとつは、獲れたての獲物の肉で作った鍋が、大層うまかったこと。

 一日目の夕餉は、大人たちが狩った兎を解体し、味噌仕立てにした鍋を食べた。頭から臓腑ヨドミまで、骨ごとぶつ切りにして投入した、ヨドミ汁だ。


「今時分の兎は、クロモジの皮ば たっぷり食ってらがら、風味が良いんだ。遠慮しねで、何杯でもえ」


 玄馬の父・勇馬は料理が得意だ。

最後に手ずから味を調え、ニコニコしながら金五郎の椀に汁をよそってくれる。

兎肉は筋肉質で噛み応えがあり、汁には肉や骨から溶け出した旨味が出ていて、体が芯から温まった。


「な、玄馬。親父さんの作った汁、んめァぞ」


 玄馬が別の鍋からばかり汁をすくって食べているので、金五郎はこっそり袖を引っ張って勧めた。玄馬は今しがた別の鍋からとった汁を一口すすると、兎の骨を齧っている金五郎を、ちらりと横目で見た。


「……そっつの鍋は、臓腑の中身も、たっぷり搾り入れてるんでな」

「臓腑の中身って……」


 玄馬は無言で金五郎の椀を顎でしゃくる。

 ちょうどその時、椀の底から、黒くて丸い塊がぷかりと浮かび上がった。

 なんのことはない――― クロモジの皮をたっぷりと含んだ、芳ばしい兎糞である。これは、マタギの間でも好みがわかれる食材であった。



 良かったことのもうひとつは、勢子頭の陽蔵から、教えを受けられたことだ。

 陽蔵は「鉄五郎シカリの右腕」と呼ばれるベテランマタギで、極めて温厚で面倒見のいい性格だった。陽蔵は初マタギの少年たちを集めると、さながら学校の先生のように、山での作法や、過ごし方、獣の習性などを丁寧に教えてくれた。


「えいが、お前達めだつ。山ではな、何よりまんず、山言葉を覚えねばなんねぞ」


 山言葉とは、マタギが山においてのみ使う隠語である。

 狩座かりくらは神聖な場所であり、里と同じ言葉を使えば、里の穢れを持ち込むことになってしまう。そうならないように、仲間内でのみ通じる、山言葉を使うのだ。


 「熊」は「イタズ」。

 「ムササビ」は「バンドリ」。

 「叫べ」は「ナレ」。

 「鉄砲」は「シロビレ」で、「撃て」は「タタケ」。


 厄介なのは、この山言葉は里で使うことができないので、山にいる間にすべて覚えなければならないということだった。すべての山言葉や、山の作法を覚えるには三年かかり、その上なにがしかの手柄を立てれば、コマタギも晴れて一人前のマタギになることができる。


勉強が苦手な金五郎ではあったが、陽蔵の教えは、なぜかするすると頭に入ってきた。

 陽蔵はコマタギ一人ひとりの顔をしっかりと見つめると、笑い皺の刻まれた目尻をやさしく垂らしてこう続けた。


鉄砲シロビレ撃てタタケ。……お前達は、早ぐシカリの号令でイタズ撃ちタタキてぇと思っでらかもしんねがな。この春熊狩りでは、お前達には勢子セコの仕事ばしでもらう。だども、勢子ば甘ぐ見ではなんねぞ。特に、いずれはシカリの位ば継ぎてぇと思う者は、心して務めばなんね。勢子の仕事ば通して、山の地形と、イタズさがをば、頭と体さ叩き込むのしゃ」


 勢子とは、集団猟において、獣を見つけて追い立て、射手のもとへ誘導する役目を負った者を指すのだが、陽蔵はこの勢子の仕事が抜群にうまかった。

何せ、一目見ただけで獣の居場所を見抜き、「ほーれい、ほーれい」と声をあげると、たちまち獲物が飛び出してくるのだ。それも、他のマタギがやるより、二、三頭は多くの獲物を追い出してくる。


「流石は『山神様のお気に入り』だな」


 マタギ衆の一人が苦笑交じりに言う。

なんでも、二十代の頃の陽蔵は、たいそうな色男で、好色な女神で知られる山神様に気に入られているのだろうという話が昔からあったそうだ。

しかし、実際はそうではない。山の地形や獣の習性を熟知しているからこその技量である。


「ほーれい……ほーれぇい……」


 小柄な体に毛皮をまとい、コナガエ(木製の猟具)を手にして、陽蔵が叫ぶナる

 雪に反射した光を受けて、輪郭ばかりが煌々と光るその姿は、人知を超えた山の使者のように見えることがあった。

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